Love does not consist in gazing at each other, but in looking together in the same direction.


『あのお店、寄っても良い?』

帰り道。反対側の通りにある雑貨屋を指差しながらそう尋ねるに、バーナビーが何の迷いも躊躇いもなく「はい」と首を縦に振ったのが十分ほど前。
妙に重厚感のある木製の扉を開け中に入り、落ち着いた照明に照らされる趣味の良い雑貨が所狭しと並ぶ店内をふらふらと行き来するの後に続きながら、何を買うのかと何気なく尋ねたのが数分前。
ここへ来た目的を聞いてバーナビーが反射的に顔を顰めたのがその数秒後。
そして現在、バーナビーはあの時簡単に首を縦に振ってしまったことを心の底から後悔している。
決してその思いを口には出さないが、売り物である姿見にちらりと映るその表情が全てを物語っていた。
「…これとかどうかな?」
「それはが欲しいだけでしょう」
「そんなことないよ!」
手に持っていた陶器性のうさぎの置物を棚に戻しながらは声を荒げる。
その声の大きさに近くで品出しをしていた店員が反応し、怪訝そうに顔を上げた。
送られてくる探るような視線を賺さず絡め取ったバーナビーはお得意の営業スマイルを瞬時に作り、「失礼」と店員に会釈を返す。
そして店員の意識が自分たちふたりから完全に逸れるのを確認した後、まるで小さな子どもを窘めるかのように、の唇の前に人差し指を添えた。
「うるさいですよ
「………ほっ、ほらほら!バニーちゃんもちゃんと真面目に選んで!」
羞恥心からか頬を微かに紅潮させたはバーナビーから顔を背けると、店の奥へと足を進める。
その後ろでバーナビーは相も変わらず、むっすりと不貞腐れたような表情を浮かべていた。
「嫌です」
「もー、そんなこと言わないで」
困り顔でバーナビーを振り返りながらもずんずん店の奥へと進むだったが、店の真ん中辺りに位置する天井に届きそうなほど大きな棚の前で、はたと足を止める。
そして棚の下段から上段をなぞるようにじっくり見た後、上の方の段に飾ってある銀色のフォトフレームに向かって手を伸ばした。
シンプルだが味わいのある花飾りのついた気品のある一品。
やっぱり写真立てがいいかな、と背伸びをしながら独り言を零すの背中に向かってバーナビーは短く、それでいて重い溜息を吐いた。

バーナビーがと今のような関係になって、もう随分と経つ。
共に過ごす時間が増える毎に、について、そして時には自分でも気づくことのなかったバーナビー自身の隠れた一面についての理解は深まっていった。

何かを知ることは、面白い。
それが自分の愛する人に関することであれば尚更、だ。
しかしいくら共に過ごす時間が増えたところで、どう頑張っても理解できないこと、受け入れられないことの一つや二つ(或いはそれ以上、かもしれないが)、誰にだってある。
なんとなく算数が嫌いだとか、単語のスペルを覚るのが面倒だとか。
特に明確な理由もないのに受け入れられないこと、知りたいと思えないこと。
それらと同じように、いくら努力しても他者の考えを受け入れられない時があるのだ。

これは何も、ふたりに限ったことではない。
別々の生き方してきた別々の考えを持つ人間と人間が付き合う中で、ちょっとした意見の違いが生じるのは、ごくごく当たり前のことである。
しかし、その違いを認め合い、それも含めて愛し合うのが理想ではあるし、バーナビーも本来ならばそういった所謂“オトナの対応”をしたいところではあった。
が、今回ばかりはどうしてもの考えを受け入れることができずにいる。
その理由は漠然としたものでも、決して難しいものでもない。実に単純明快なものだった。
「…どうして――」
爪先がぷるぷると震えるほどに精一杯背伸びをし、フォトフレームに向かって懸命に手を延ばす
その背後から問いかけながら、バーナビーはいとも簡単にそれを取り、スッとの前に差し出せば、「あ」と、嬉しさと悔しさが3:7でミックスされたような、気の抜けた声が上がる。
ばつが悪そうに眉根を寄せるにバーナビーはわざとらしく小さく肩を竦めて見せ、

「――どうしてわざわざ、ライアンへの餞別とやらを僕たちが選ばなくちゃいけないんですか?」

自身の中に沸き上がる不満と疑問を包み隠さずストレートにぶつけた。

*

さすらいの重力王子、ゴールデンライアンことライアン・ゴールドスミス。
とバーナビー、ふたりが暮らすこの街、シュテルンビルトの市民ならばその名を一度は耳にしたことがあるだろう。
数ヶ月前、ふらりとこの街にやって来たヒーローである彼は、一時的ではあるがバーナビーとコンビを組み、輝くこの街を駆け回っていた。
しかし、街中を震撼させたジャスティスデーに起こった例の事件が解決した直後、考えあって、彼は突如バーナビーとのコンビを解消することを発表。
紆余曲折を経て、バーナビーは再び元相棒であるワイルドタイガーとのコンビを再結成。一方のライアンは間髪入れずに来た海外からのオファーに快諾し、当初アポロンメディアと交わした残りの契約期間をのんびりと過ごしながら移籍の準備を着々と進めていた。

バーナビーにとってライアンは「元相棒」ということになるのだが、それ以上の関係を築こうと考えたこともなかったし、これからもそうするつもりはない。と、心に決めていた。
波長の合わない彼と仕事だけでなくわざわざ無理してプライベートでも付き合う理由が見当たらない。バーナビーの中でそういう結論に辿り着いたからだ。

しかし、バーナビーの恋人であるは違った。
歳が近いということもあってか、ライアンと初めて会ったその日から、はライアンに並々ならぬ好意(当然のことながら、あくまでも友情だ。これは強調すべき箇所であるとバーナビーは考える)を寄せ、更にバーナビーにとってはこれ以上なく不幸なことに、ライアンもまたに興味を持ち、ふたりは順調に“友情”を育んできた。
――バーナビーがそれを受け入れているかどうかは別として。
そんな若いふたりのやりとりを見守っている時のバーナビーの顔は、が生まれた国に伝わる物語に出てくる「オニ」という生き物のようだと、現相棒であるワイルドタイガーこと鏑木虎徹から言われたことがあった。
に凍てつくような鋭い視線を向けながら、バーナビーは虎徹から言われた言葉を静かに反復させていた。

「バニーちゃんもライアンにはお世話になったじゃない」

氷の視線を両手で受け止め溶かしつつ、はいたって真剣な面持ちでバーナビーの質問に答える。
「…………。なってません」
「じゃあ今の間は何?」
「喉が乾燥していただけです」
「ふぅん」
今度は逆に、に疑いの色がこもった眼差しを向けられながら、感情を持て余したバーナビーは無意味に眼鏡をかけ直す。
その視界の端で、口元に手をやり笑いを堪えるの表情をぼんやりと捉えた。
(どうやら彼女の方が、一枚上手、らしい)(不本意ながら)

小悪魔的な魅力のある含み笑いを飲み込んだ後、はよほど気に入ったのか、先ほどバーナビーが手渡したフォトフレームを照明にあててみたり、裏返したり、様々な角度から覗き込だり忙しそうにしている。
バーナビーは相変わらず釈然としない気持ちを抱えたまま、黙ってその様子を眺めていた。

しかし程なくしては唐突に、バーナビーと手元のフォトフレームとの間にふよふよと視線を泳がせ始める。
その、夏の青空から一転して急に夕立雲が立ち込めたような表情の変化に、「はて、どうしたのだろう」とバーナビーが不審に思っていると、声を掛けるよりも先に、は些か躊躇いがちにゆっくりと口を開いた。

「…ねぇ、」
「はい?」
あちこち泳ぐ視線。増える瞬き。何かを食べている訳でもないのに、もごもごと動く口元。
何かを言おうか言わまいか迷っている。
今のは、バーナビーにはそんな風に見える。
悔しいことに、“何か”まではわからないが。

沈黙がふたりの間に浸透し始めた頃、は意を決したように小さく一度頷くと、バーナビーに問いかけた。

「………バニーちゃんは、ライアンが嫌い?」
「…………は?」

予想だにしなかったの突然の問いかけに、バーナビーの頭の中は一瞬で白いペンキで塗りたくられる。
頓狂な声を上げぽかんと口を開けていると、先ほどまでの頼りない視線は何処へやら。は今度は痛いほどにまっすぐ、バーナビーを見据えた。
「どう?好き?嫌い?」
(そんな顔で聞くのは、反則だろう。)
じっ、とバーナビーの背中が汗ばむ。
堅く閉じられたその質問に、バーナビーは静かに腕を組み、何も言わず、ただただ低く唸りながら眉間に深い皺を刻んだ。

何かを好きか嫌いかという二択の質問は、一人の人間が生まれてから死ぬまでに何度されることだろう。
思わずそんな馬鹿げたことを考えてしまう程に、それはポピュラー且つおもしろみのない質問である。
勿論バーナビーも例外では無く、公私問わず慣れ親しんだ類いの質問ではあったが、今回好き嫌いを問われている人物が人物だけに、思わず頭を抱えざるを得なかった。もちろん、心の中でだが。

――ライアンのことが好きか、嫌いか。
別に、バーナビーはライアンの全てを拒絶する程嫌いなわけではない。
波長は合わないが、短期間でも彼から学ぶことは多かったし、一応、それを認めてはいる。
しかし、逆に好きかと問われれば、それは何か違う気がする。
好きということは彼の全てを受け入れるということだ。
がさつな面も、やや真剣みに欠ける行動も、全て。
それが自分にできるかと聞かれれば「NO」と即答できる。
では、自分は一体、彼のことをどう思っているのだろう。
知っている人が居たら是非とも教えて欲しい。
バーナビーはぐるぐると渦巻く思考回路の中で、ひたすら見知らぬ“誰か”に助けを求めていた。
自分のことは自分が一番わかっている筈、なのに。

「………嫌いでは、ないです」

悩みに悩み抜いた末、無理矢理に絞り出した答えをバーナビーが伝えると、は緊張感のある表情から一転し、ゆるりと口元を緩めた。

「そっか。それはよかった」

どうやら自分で出した即席の答えはを満足させることができたらしい。
バーナビーはひとまず、ほっと安堵の溜息を吐いた。

「…私はね、本当に感謝してるんだよ。ライアンに」
少しの間の後、は「これ、第1候補」と呟きながらバーナビーにフォトフレームを一旦元の位置に戻すよう頼み、春の日差しのように穏やかに笑う。
促されるままにフレームを棚に戻し、バーナビーは背後のを振り返った。
「感謝、ですか?」
「そう。感謝」
「……何でまた」
話しながら、は棚の下段に飾ってある食器の淵を無意味に指先でなぞる。
バーナビーの瞳に映るは、心の底から幸せそうで、そしてこの店内にあるどんな上品な雑貨よりも輝いている。
この瞬間が、楽しくて仕方ない。そんな風に。
はそんなにライアンへの餞別を選ぶのが楽しいのだろうか。
――否、きっとそうではない、それ以上に何か決定的な考え、感情が彼女の中に在るのだろう。
バーナビーはぼんやりと考えながら、ただ黙っての言葉の先を待った。
「だって、短い間だったけど、バニーちゃんとコンビ組んでくれたし」
「…それは会社の意向ですから。それに、」
「それにね、」
言い返すバーナビーに被せて、は構わず言葉を紡ぎ続ける。
普段のふわりとした柔らかい口調では無い。力強さを秘めたその響きに、さすがのバーナビーも思わず閉口せざるを得なかった。
そんなバーナビーの様子を捉えつつ、は花がつぼみを開かせるように、ゆるりと口元を綻ばせた。

「…それに、私の大好きなヒーロー達が、ふたり一緒に帰ってきた。彼の後押しのおかげでね」

(……嗚呼、なんだ、)
一点の曇りも無い、恐ろしくなるほどに透き通ったの言葉に、バーナビーの頭の中で感情と思考の洪水が起こった。

愛し、愛されることの嬉しさ。
全てを無条件で受け入れることができない悲しさ。
伝わらない、伝えることができない、言いようのないもどかしさ。

のライアンに対する想い。バーナビーのライアンに対する思い。
それら、今まで自分を締め付けていた“問題”を含めた、次々に溢れては消えていく想いの海の中で、やがてバーナビーは息を切らしながら辛うじてふたつの大きな思考の島に辿り着いた。
ひとつ目は、自分がライアンに対して対抗心のような、嫉妬心のようなものを一方的に燃やしていたということ。
大切なが自分以外の男を想い贈り物を選ぶこと。その行為に、知らず知らずのうちに。
ふたつ目は、の思考と行動の根本には(こう言うと烏滸がましいかもしれないが)バーナビーと虎徹、ふたりの存在があったという事実。
が照れながらもはっきりと「大好きだ」と公言する、彼女の中で確かに揺るぎない存在となっている、自分達ふたりの存在が。
こんな時にもライアンに対し少しばかり優越感のようなものを感じてしまう自分はやはり性格が良くないのだろうかという考えが頭を過るが、バーナビーは一先ずそれに目を瞑ることにした。
そんなことは、今のバーナビーにとってはどうでもよかった。
自分自身の幼さと、全てを受け入れる彼女の心の広さに気付かされたことの方が、それの何十倍も、何千倍も重要で、価値のあるものだった。

のライアンに対する気持ちを蔑ろにすることは、彼女の自分を想う気持ちを無下にすることにも値する。
…ことになるのであろう。恐らくは。
バーナビーはそう解釈する。
――さて、それでは彼女の崇高且つ純粋な気持ちを受け入れた上で、これ以上何を望むことができようか?
一体何を求めることができようか?
また、自分がすべきことは?

バーナビーには、全てわかっていた。
本当は、最初から。

もじもじと指先を擦り合わせながら照れ笑いを浮かべるを捉えつつ、バーナビーはそれまで自分を取り巻いていた様々な感情を唾と一緒に飲み込む。 同時に、凝り固まっていた肩の力が抜けていくのを感じていた。
まだまだ彼女から学ぶべきことは沢山ありそうだ。
(…そして、彼からも)

「だからね、私はちゃんとお礼、しておきたくて」
やっぱりあれにしようかな、と顔を上げ、棚の上段を指差す
その隣で、バーナビーは先ほどまでの険しい顔からは到底結びつかないような、それはそれは穏やかな微笑みを浮かべた。
雪がとけるように、じんわりと。
「………こっちの色の方が、良いです」
「へっ?」
「フォトフレームの色。僕はどちらかと言えば、がさっきまで手にしていた方が好みですが、」
今し方棚に戻したフォトフレームの隣に並ぶ、似たデザインではあるが優美に輝く真鍮製のものを手に取り、バーナビーは言う。
「…………?」
何が言いたいのか理解しかねる様子でがきょとんとバーナビーに緩い視線を送ると、バーナビーはそれに答えるように自信たっぷりに笑った。
「その色だと、ちょっと地味過ぎる。……“彼”にとっては」
派手好きな男ですからと続けるバーナビーに、は目をまあるくし、暫く魚のようにただ口をぱくぱくとさせた。

「だから僕は、こちらの方が良いと思います」

が、その言葉を聞くと、不確かな疑問は確信へと変わり、その白い頬をくにゃりと緩ませる。
柔らかな視線が絡み合い、愛しい結び目を作った。

ふたりの間に流れる時間は、なんて美しい。
ふたりで共有する想いは、なんて貴い。

「私もそう思う!」
子猫を乗っけた時のようにお腹の底が暖かくなるのを感じながら、はフォトフレームを持つバーナビーの手に、そっと自身の手を重ねた。

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『愛とはお互いに見つめ合うことではなく、いっしょに同じ方向を見つめることである』
サン=テグジュペリ
(麦さんに捧ぐ)