「…どうしたんだい、その髪は」
いつも通り仕事を終え、いつも通り彼女の家に寄り、いつも通り軽い挨拶をしながらリビングの扉を開けると、いつも通り寛ぎながらテレビを見ている、いつも通りではない彼女が目に入り、絶句する。
「見てわからない?切ったのよ」
彼女は毛先を指に巻きつけ、くるくると弄びながら言う。
「だって君、それ相当切っただろ?」
「んー、20㎝くらいかな?」
テレビの画面から目を離すことなく、は不機嫌そうに答えた。
しまった。今日は彼女が毎週楽しみにしているドラマの放送日だった。時間を少しずらして帰ってくるべきだった。
いや、今はそんな暢気なことを言っている場合ではない。
3日前、同じように彼女の家に寄ったとき、確かに彼女の艶のある髪は胸の辺りまであった。
それが今や、肩にかかるかかからないかくらいの長さになっている。
後ろから見たらまるで別人だ。
大げさに言わなくとも、一瞬部屋を間違えたのかと思ってしまった。
しかし、そんなひとり狼狽える私に目もくれず、彼女は画面の中の男女の恋模様に夢中になっており、現在、2人の間には凄まじい温度差が存在している。
「20㎝って。20㎝って君、一大事じゃないか」
「あーもう、うるさいなあ。短かったら何なの?キース、中学校の先生みたい」
彼女はやっとテレビから目を離し、こちらに鋭利な視線を向ける。
「髪は女の命と言うじゃないか。私の同僚がいつも言っている。あと中学校の先生って何だい?意味がわからないよ」
「意味わかんないのはどっちよ!うるさいうるさいうるさい」
彼女はそう言って喚き、両手で耳を塞ぎ首を振りながら足をばたばたとさせ、そのままソファにこてんと横に倒れ込んだ。
クッションに顔を埋めたまま動かなくなった彼女の隣に腰を下ろし、静かに考えを巡らせる。が、彼女がどうして突然髪を切ったのか、そしてどうして怒っているのか、皆目見当がつかない。
普段は自分の考えはハッキリと口にする彼女がこんな風に拗ねるのは非常に珍しい、というか、初めてのことであり、焦りと戸惑いが隠せなかった。
「、」
1人で考えるのを諦めて、隣で丸くなっている彼女の肩に手を置き軽く揺さぶる。
「……」
「何かあったなら話してくれ」
「……」
「話してくれなきゃわからない」
「……」
「何か気に入らないことがあったら謝る」
「……ねえ、」
それまでだんまりを決め込んでいたが漸く顔を上げ、口を開く。
「どうしてキースは私が髪を切った理由ばっか気にするの?」
「だって、それは、」
彼女の鋭い視線に捕らえられ、たじろぐ。
そんな私を見て、少しだけ呆れたように短い溜息を漏らすと、彼女は大きく伸びをした。
「本当に、理由なんて、無いよ」
「そうなのかい?」
「そうよ、考えすぎ。切りたかったから切っただけ。毛先傷んでたし」
そう言って彼女は再び短い息を吐く。
「でも女性が髪を切るのはストレスとか悩みとかそれなりの…」
「ないない。ないから。変な雑誌の読みすぎだから」
「じゃあ何で怒ってるんだい?テレビを見てる邪魔をしたからかい?」
「……」
「中学校の先生みたいだから、かい?」
「……」
「それとも…」
「…あのさ、」
「ん?」
彼女は少し戸惑いがちに視線を逸らし、頬を染めながら、消え入りそうな声で呟く。
普段の強気な彼女からは想像できないほど、脆くて華奢な彼女がそこには居た。
「『かわいい』とかさ、『似合うよ』とかさ…ひとことくらい言ってくれても、いいんじゃない?」
「……ううん」
「え、何その反応!」
「い、いや、違うんだ!そんなことか、と思ってね!」
「そんなこと?キースにとってはそんなことでも、私にとっては大問題なの」
「そういうものか」
「そういうもの!で、言うの?言わないの?」
「ああ、もちろん、」
クッションを両手で強く抱き締め俯く彼女を、私は静かに抱き寄せた。