サボテンレコード


文字書き・絵描きワードパレット(@kouduki_haru様)より
⑤黄昏
・薄闇 ・「また明日」 ・影の差す笑顔
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通りに面したカウンター席に置いてあるサボテンの様子がおかしい。
それに気付いたのは、今朝店を開ける準備をしている最中だった。
様子がおかしい。というか、枯れている。いや、水は沢山あげていたから腐っているのかもしれない。どっちだろう。
植物なんてこれまでの人生で育てた事がない私にはそのどちらなのかぱっと見で当然わかるはずもなく、途方に暮れる気持ちと、一般的にあまり世話を焼かなくても育つイメージのあるサボテンをダメにしてしまったという自分への情けなさの板挟みになり、ただ茫然とその場に立ち尽くす。
しかし、しんなりとしてしまった棘を見てすぐに我に返り、慌てて品出しに戻った。
夜の煌びやかな光のイメージが世間的には強いのかもしれないが、この街の朝は存外早い。
もう間もなくやって来るであろう常連客達の姿を頭に描きながら、嘗てそのカテゴリに属していた、枯れたサボテンの本来の持ち主の顔を思い浮かべる。
彼がこの街を去ってからもうじき季節が一巡しようとしているのに、大輪の花が咲いたような笑顔を今もはっきりと思い出せてしまう自分に少し呆れながら。

*

彼――ライアン・ゴールドスミスとは光の街シュテルンビルト、ブロンズステージダウンタウン地区で古くから愛される店で出会った。
というと聞こえが良いが、ざっくばらんに言ってしまえば、私が父親から継いで数年になる老舗ドーナツ店の前で、だ。
駅が近い大通りに面する立地のお陰か、「俺の若い頃にはあのレジェンドがお忍びで買いに来てくれた」と嘘か本当かわからない自慢をしょっちゅうする、人の好さだけが売りだった父の人望のお陰か、はたまた学生時代からほぼ毎日手伝いをしていた私のお陰かはわからないが、父の死後私に代替わりしても客足が遠のく様子はない。
早朝は一杯のコーヒーとカスタードドーナツを買って忙しそうに店を出ていく会社員、昼間は派手なチョコ掛けのドーナツを喜ぶ観光客らしき人々、夕方が近づけばお小遣いを握りしめた子供達や学校帰りのティーンエイジャーが代わる代わるやって来る。
でも、店の前で出会ったと言っても彼の場合は少し違う。一番初めはうちの客では無かった。

季節の境目にあったその日は、まだまだ早朝は肌寒く、吐く息もほんのり白かったのを覚えている。 いつも時間に追われる中でこなす開店準備を早めに終えてしまった為、珍しく通りに出てウィンドウをピカピカに磨いていた時だった。
「なぁ、ちょっと聞いて良い?」と、微かに残る夜の匂いの中、何の前触れも無く頭上から声が降ってきた。
日の出もまだで、車も人も殆ど行き交わない時間。
この辺りでこんな時間に起きているのは自分と2ブロック先のパン屋さんだけだと思っていたので些か驚いて目をぱちくりさせていると、声の主は「ごめん、びっくりした?」と一生懸命笑いを嚙み殺しているかのような表情で続けた。
「……何でしょう?」
片手にスマホ、もう片手にカメラ。一般的なビジネスルックではなく動きやすそうなラフな格好。そして私が記憶する限り、この辺りで見たことの無い顔。
それらから勝手に察し、随分と朝早くから行動する観光客が居るもんだと思った。
「ここに行きてぇんだけど、行き方教えてくんない?」
そう言って、彼は画面に表示された住所を見せる。
このように道を聞かれることは仕事柄、また土地柄別に珍しくない。
おすすめのディナーの場所。最寄りの売店。人気のランドマーク。道を尋ねられない日は無い。
しかし、そこに書いてある住所は他の観光客が問うような場所ではなく、私が記憶する限りでは観光という単語と結びつかない場所。言ってしまえばビジネス街のど真ん中だったので、彼に興味が湧いた。
好奇心をくすぐられたというやつだ。
「ゴールドか。2本先の角を曲がって別の通りに出て、上に行く電車使うのが一番早いですね。たぶんもう動いてると思う」
「そっか。ありがとな」
「いいえ。観光ですか?随分朝早いみたいだけど」
興味本位で尋ねると、彼は少し影の差す笑みを浮かべ、わざとらしく少し肩をすくめて見せた。
「いや、仕事でさ。でも昨日こっちに来たばっかから観光してた。興奮して眠れなくて」
「そう。刺激の多い街だから。良い一日を」
「ああ。アンタもな」
言って、ひらひらと手を振りながら彼は少しだけ色づき始めた朝の街中へと消えていく。
悠然と道の真ん中を歩いて行く後ろ姿は、この街を我が物顔で歩く野良猫さながらだと感じた。

*

そんな彼と再会をしたのは、2週間程経ったある日。
街中には来たる祝日の為の蟹をモチーフにした飾りが散見され始めた頃だった。
「店長~ヒーローのお客さんでぇす」
レジに居たバイトの子に大声で呼ばれ、何事かとバックヤードから出てくると、「お、居た」と言って愉快そうに笑う彼がショウケースの前に立っていた。
「こないだはどーも」
顔の横で手を振り、ウインクをする。
観光客などではない、彼の正体を一方的に知った後だからだろうか。それとも店の中だからか。あの時よりも彼が大きく感じられた。
「いいえ……ライアンさん」
「あ、俺の事知ってる?」
「そこのテレビ、店やってる時は大体点けっぱなしだから世間のニュースは勝手に耳に入ってくるのよ」
私はそう言いながら、カウンター席の上にある年季の入ったテレビを指で示す。
ニュースを見ていた常連のひとりの会社員が思わぬ来客に気が付いて、「わーゴールデンライアンじゃん」と嬉しそうに立ち上がり、握手を求めに来た。
「なるほどな」
手厚いファンサービスに応じながら、彼は続ける。
常連は礼を言い、「会社で自慢しよ。あんた、頑張れよ」と嬉しそうに去って行った。
「で、今日は何しに来たの?」
「お礼。っつーかここドーナツ屋だろ?ドーナツを買いに。その場で買えば良かったんだけど、前に来た時開店前だったから」
「律義な人なのね」
正直、私は彼に少しの興味は抱いたが、大して期待のような感情は一切抱いていなかった。
私でなくともそうだっただろう。道端で道を聞いてきた見ず知らずの人が、後日改めて礼を言いに来るなんて誰が考えようか。
また、この街は広く、実に色々な人種の人で溢れている。善人も居れば彼が確保して身柄を引き渡すべき悪人も。
彼がただの観光客ではなく、先日外国からヘッドハンティングされてきた新しいヒーローだと知ってからも、それは変わらなかった。
だから、この街で最も忙しい人間のひとりのはずの彼がこうしてわざわざ改めて礼を言いに来たことに、嬉しさよりも驚きに近い感情を抱いた。
彼はバイトの子に勧められるがままに一番シンプルなドーナツとホットコーヒーを注文し、通りに面したカウンターの席に座る。
多分趣味なのだろう。前に会ったときも持っていたカメラを取り出すと、齧り付く前にパシャリと1枚。それからウィンドウの向こうの風景も1枚撮っていた。
「美味いよこれ。甘さがちょうどいい」
テーブルを拭くついでに食事中の彼に近づくと、満足そうに言った。
そう言って貰えるのは素直に嬉しい。短く礼を言うと、彼は「名前は?」と尋ねてきた。
「ハニーディップ」
「違う違う」
「コーヒーの方?」
「いや、そうじゃなくて。アンタの」
「……
「ライアン・ゴールドスミス」
名乗って彼は手を差し出す。少し躊躇したが、濡れた手をエプロンで拭ってからそれを握り返した。
「知ってる」
「そうだった」
はは、と乾いた笑い声が、あの朝磨いたっきりの少し汚れ始めたウィンドウに反射する。
それから彼は「良い店だ」と小さく呟き、呑みかけのコーヒーを片手に席を立った。
「じゃあな、ハニーディップ。また来るわ」
最後にひらひらと手を振り、ドアのベルが3回鳴って、彼はまた野良猫の歩みで街へと消えた。
野良猫の“また来る”は当てにしても良かったんだっけ。ダメなんだっけ。そんなことを言ってた人が昔居た気がするが思い出せない。
あまり抱いたことのない種類の感情を持て余していると、バイトが「で、店長とどういうご関係?」と面白そうに尋ねる。
きっとあなたが期待しているような面白い話は何もない。“また”が来て、これから増えるのならば別だけど。そう、半分冗談半分希望のようなことを言うのも憚られ、私は彼女にただ草臥れた視線を送った。

*

驚くべきことに(喜ばしいとも言う)、“また”は存外早くやってきた。
ハニーディップとホットコーヒーを注文し、窓際の席で食べて私や他の店員達、居合わせた客と他愛もない会話を少ししては帰る。そんな彼の様子は多い時で2、3日に1回、少ない時は1週間に1回程度、時間帯も曜日も不規則に見られた。
その都度、彼の人となりを少しずつ知れるのは楽しかった。
高級なチョコレートを一粒ずつ、大事に食べている時のような気分だった。
しかし、窓際の席に座る大きな背中が徐々に当たり前となり、街を騒がせた大きな事件を経て異国の野良猫も、すっかりこの街と店と私の生活に馴染んでいたように見え始めた頃。
“また”も早かったが、“おしまい”も同じくらい早くにきたのだ。

「へー。ライアン、他の国に行っちゃうんですねぇ」
客足も途絶え手が空くランチ時。テレビを見ていたバイトの子の呟きに驚いて私も手を止めテレビに視線を向ける。
そこには“重力王子、電撃移籍”という速報のテロップが右から左へ虚しく流れていた。
ふぅん、そうなんだ。自分でも吃驚する程無機質な声が出た。
ハッとして横目でバイトの子を見るが、彼女は何ひとつ気にしていない様子でレジ周りを掃除していた。
彼とはたった数か月、店員と客という関係で繋がっていただけだった。
店以外で会った事も無ければ連絡先も知らない。
一週間に数十分だけ会話をするだけの関係。だから別れを悲しむのも、教えてくれなかったことを恨むのも可笑しい。
しかし――

「……何だって言うのよ」

何故だか妙にむしゃくしゃする。腹いせに空っぽの窓際の席をピカピカに磨き上げながら悪態を吐く。
こういうの何て言うんだっけ。飼い犬に手を噛まれる?違うな。去った野良猫に想いを馳せる?ううん、そんな言葉は無い。
「店長、何か言いました?」と不審そうに問うバイトに「何でもない」と返しながら、馬鹿馬鹿しい考えを押しやって、代わりに次に会った時何と言うべきか考え始める。
『おめでとうございます』?
『さようなら』?
『ふざけんじゃない』?……は、絶対違う。
しかしそんな私のもやもやは思いの他長引くことになった。
彼が再び店に姿を現すのは、それから約1ヵ月後の事だった。

*

「久しぶり、ハニーディップ」
日曜の夕方。客足が引き、ひとりでテレビでやっている昔の映画をぼんやり見ていた時。
彼は眩しい夕陽と大きな荷物を背負いながら店に来た。
彼と一緒に、ドアの外から新しい緑の匂いが滑り込んできた。
「……やっと来た」
まさか最後の最後の日に来るとは。
ショウケースに頬杖を付いて皮肉を込めて言ってやると、彼は「待ってた?」といたずらっぽい笑みを浮かべる。
考えすぎてすっかり無になった答えを心の奥に仕舞いながら、「いつものね、待ってて」とコーヒーを淹れる。
すると、彼は定位置には行かず、黙ってショウケースの上に小さな紙袋を置いた。
「何それ?」
「開けて」
「は?」
「いいから」
笑いながら急かし、彼は「今日はチョコのやつにしようかな」と呑気な事を言ってぴったりの金額をトレーに乗せて窓際の席に座った。
コーヒーとチョコドーナツ、それから謎の紙袋。3つを携え私は彼の隣に座る。
店員として長く勤めていたが、この席に座るのは初めてだったかもしれない。黄昏のスポットライトを惜しみなく浴びながら、私は袋の中を覗いた。
「……?サボテン?」
「そ。あげる」
「どういうこと?」
の物にしてってこと」
餞別?ってことなのか?でも何故にサボテン?彼の生まれた国の風習的な?世話になった人に植物を贈るとか?
きらきら輝く小さなサボテンを前に怪訝な顔をする私がツボに入ったのだろう。
彼は一頻り笑った後、事情を話し始めた。

このサボテンはシュテルンビルトに来た翌日、つまり私に道を聞いた日にふらっと入った店で買った。
部屋に緑が欲しい、そんな単純な理由だったそうだ。
その日から気に入って大事に育てていた。
しかし海外への移籍が決まり、引っ越しの準備を始めた際、海外へ植物を持っていくときの手続きの面倒さを思い出す。
然るべき手順を踏めば問題なく持って行くこともできるが、彼はこう見えて細かい手続きに関してはてんでダメらしい。(こう見えても何もイメージそのままじゃん)
だから信頼できる人に託そうと思った。お喋りな彼の長い長い話を要約すると、そういうことだった。
話を聞き終え、納得出来たような出来ないような気持ちで居ると、先に彼の方が口を開いた。
「元同僚にあげても良かったんだけどな。俺が思うに、この店には緑が足りない」
「それは失礼しました」
「こいつがある事で今この瞬間、この店は完璧になった」
「常連客をひとり失うのに?」
最後くらい良いだろう。
たっぷり皮肉を込めて言うと、彼はゆっくり瞬きをした。
話しているうちに陽は沈み、薄闇が辺りを塗り替えていた。太陽は沈んだ。物語はこれでおしまい。神様がそう言っているようだった。
「……俺だと思って愛してよ」
今後もよろしく、ちゃん。
お道化て言う彼に「私の名前覚えてたの?」と返すと、「さっきも呼んだぜ」と自信たっぷりに言い、最後のコーヒーを飲み干す。
それから「またな」とまるでまた明日も会えるかのような挨拶をして、彼は地球の反対側へと旅立った。

*

その日から今日まで――いや、私が今日気づいただけで、本当はもっと前から枯れていたのかもしれないが――このサボテンは彼の定位置で店の中に細やかな彩を与えてくれていた。
大事にするあまり、水を頻繁にやり過ぎたのが悪かったか。
後悔先に立たずを身を持って体験しつつ、開店準備を終えた私は今日最初の客を待つ。
常連も、今日は出足が遅いようだ。
何だか落ち着かなくて、サボテンを預かった日と同じ、彼の特等席の隣に座ってエプロンのポケットに入れていたスマホを取り出し、【サボテン 枯れた 対処法】と検索する。

結果、植物愛好家によるサイトを数件見たところ、この症状は根腐れと呼ぶらしい事が判明した。 そして、切って別の鉢に植え替えればまた生き返る可能性があるかもしれないということも。
「……いやいや、そこまでして生かす必要がある?」
問い掛けても返事は返ってきやしないのに、腐ったライアンの分身に目線を合わせ、私は呼びかける。
死んだ生き物を蘇らせるなんてまるでゾンビみたいではないか。
それに死んでいたのはサボテンだけではない。あの日別れて以来、彼とは一切連絡を取っていないのだ。
死んだも同然の関係を今更蘇らせる必要が果たしてあるか。
唯一彼と自分とを繋いでいたと言っても過言ではないサボテンを、花すら咲く前に腐らせたのだから、永遠に来ないであろう「また」を待つのはもうここで「これっきり」にするのが美しいのでは。
――でもそれなら私はどうして『対処法』なんて調べたのだろう?

腐ったサボテンをキッと睨む。やはり返事はない。
しかし、返事が無くとも私の答えはサーチ画面にキーワードを打ち込んだ時点から、いや、無意識に水をやりすぎていた時点から、もしかするとそれより遥か以前から分かりきっていたのだろう。きっと。
どんなに些細であっても、たしかに心地よかったあの時間と自分とを繋ぎ止めておきたいのだ。
それから、野良猫とサボテンと自分とを。
単純明快な答えを受け入れて、酷くスッキリした気持ちを抱きながら、私は立ち上がる。

向こうの時間はここと真反対だから、きっと夕方くらいだろうか。
レジの一番奥からサボテンと一緒に紙袋に入っていた小さな紙を取り出し、書いてある番号を丁寧に打ち込む。
コール音を聞きながら、夕陽の中の彼を想像した。
ここで一緒に見た夕陽と同様、眩しそうに目を細める、美しい彼を。
「もしもし?」
幾度かのコールの後、記憶通りの声が耳元で響いた。
「……あー、ライアン?私。シュテルンビルトのドーナツ屋の」
「え!?ハニーディップ!?」
「うん、そう。元気してた?ってか今時間大丈夫?」
「へーきへーき!もう連絡くんないのかと思ってた。えっ、どうした?そっち朝だろ?店は?」
「えっと……あのね、何から話そう。あっ、そうそう、あなたがくれたサボテンのことなんだけど……――」

太陽はまだ、当分沈みそうにない。

title:サボテンレコード(フジファブリック)