実際、いっそ死にたかった。なにもかもをいっぺんに失った気分だった。
今私の顔を見た人に街頭アンケートを取ったら十人中九人が「死にそうな顔」だと表現しそうな表情でサンドイッチに入れてもらうオリーブを店員に上限ギリギリまで入れるよう伝えて顔をあげたとき、見知った顔と目が合った。
仙石昴だ。入店したときには気づかなかった。彼はレジに一番近い席にひとりで座りサンドイッチに齧りついていたが、私に気付いた瞬間「うわ」と声をあげた。いやそれ、こっちのセリフなんだけど。
「お疲れーっす。昼メシっすか?」
「昼……? いや、朝? むしろ夜?」
「俺に訊かれても」
ごもっともである。彼は私の不思議な発言に軽く首を傾げ、また一口齧る。向かい側の空いた椅子を指して座っていいか訊ねると、昴は野菜やパンでいっぱいになった口をもごもご動かしながら「もひろんふ」と返した。まるでおひさまみたいな笑顔だった。
トレーをテーブルに置き、座りながら地図みたいな染みのある店の壁にかかっている時計を見る。十一時三十分ちょっと過ぎ。昴が最初に訊いたように、世間的には少し早いランチタイムといったところか。まるで時間の感覚がない。というか最後に食事を摂ったのはいつだろう。朝はもちろん食べてないし、昨日の夜は――そう、ふたり分作ったけど食べる前にゴミ箱に捨てたんだ。
「なんか、飼い犬に逃げられたみたいな顔っすね」
サンドイッチを買ったものの、いざ目の前にすると炭酸がぬけるみたいにしゅわしゅわと気化していく食欲に困り果てていると、昴は言った。
「……『飼い犬に逃げられた』?」
「そう。飼い犬に逃げられた。あ、猫派でしたったけ?」
「どっちも好きだけど」
「んじゃあ、犬でいいや。ね?」
お前は何故そんなに満足そうなのか。思わず問いたくなるほどの満ち足りた顔で昴は頷く。前から思っていたけどこの子、ちょっと変かもしれない。確かまだ十七とかだっけ。六個下か。ジェネレーションギャップを感じているだけの可能性もあるな。正直しんどい。色んな意味で。
仙石昴は私の会社に所属するヒーローだ。私は新進気鋭(だと思ってるけど誰も言ってくれないから自称している)のメカニック。彼のスーツを開発したチームのひとりであり、メンテナンスも担当している。そして昨日三年付き合った彼氏にフラれ朝まで泣いて、どうにか出社したもののやる気が出なくて適当な理由をつけて会社を抜け出し、さすがに腹が減ったと目にとまった店に入ったところ、会社の若者と遭遇した哀れな女。
当然昴は私の事情など知らない。だからこんな呑気な顔して優雅にサンドイッチを頬張っていられるのだ。いや、別に知って欲しいとかわかって欲しいとかそんなことは考えていないけど。
「死にそう、とかは思わなかった?」
一緒に注文したブラックコーヒーを飲み、苦さに顔をしかめて昴に訊く。十人中のうちひとり。あくまでも私の頭の中での統計ではあるものの、それに該当する人間に一発目で当たってしまったのだ。これは突っ込んで訊くしかないだろう。
単純に、気を紛らわせたかっただけ、あとはむしゃくしゃする気持ちをぶつけたかっただけというのもあるが。
「さんが?」
「うん。店に入ってきた私の顔見て」
「ええー? だってさん、死なないっしょ」
ひねくれた質問に彼はあまりにもさらりと返すので私は思わず手に持っていたカップを落としそうになる。
「……え、死ぬよ!? 人間だもの!? 普通に刺されたり撃たれたりしたら死ぬよ!?」
あんた、私を何だと思ってんの?
思わずテーブルに身を乗り出し畳みかけるように言えば、さすがに昴も私の気迫に驚いた様子で数センチほど後退る。客観的に見ると上司が若者に詰め寄っているように見えるのだろうか。せめて姉弟喧嘩くらいに見えてくれと静かに祈る。
「そ、そそ、そうじゃなくて。ほら、いつだっけ。前に俺が派手にスーツ壊しちゃったときに『私が死んだら昴のスーツは誰がメンテすんのよ』『あんたが引退するまで死ねない』とか言ってたし?」
やや声は上ずっていたが、視線は私の眼から一切離すことなく昴は言った。花のようにやわらかく、光のように真っ直ぐな言葉だった。
「…………言ったっけ?」
「言ってたっすよ。忘れたんすか?」
「うん。ごめん、全く覚えてない」
「ひど。俺、あれ結構嬉しかったんすよ。頼りにしてます」
昴は言って、くしゃりと笑う。それと同時に、すうっと背負っていたものが無くなっていくような感覚と、自分の幼い行動を思い返し顔が熱くなっていく感覚を覚えた。
そう、男にフラれたからなんだというのだ。
私にはやりがいしかない仕事がある。目の前には手を付けていないサンドイッチだってある。帰る家がある。気に入ってる服もある。自転車だって持ってる。あと、私を必要とする男の子も居るではないか。確かに、ここで死んでなどいられない。
「というわけで、まずはいっぱい食ってください。犬に逃げられたんなら俺、一緒に探すし。あ、俺のもひと口食います? うまいっすよ」
相変わらずよく喋る子だ。まるで花束みたいに差し出すサンドイッチに、私は促されるがまま齧りつく。
ここのツナサンドはこんなにしょっぱかったっけ。そんなことを考えつつ。
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わたしの願い事 地図/花のように/祈る(title:YUKI)