できるだけ、ありったけ


大袈裟かもしれないが、彼は私の持っていない物をぜんぶ持っているのではないかと思う。
潮風の匂いに包まれながら、自分で握るものよりふたまわりくらい大きなおにぎりを一口齧り考える。8月最後の週末。連日お天気お姉さんが繰り返し伝えているようにまだまだ暑い日は続きそうだけど、砂浜に面した公園は駆け込みで手軽な夏を感じたい人々が集まっていた。跳ねる魚を見て喜ぶ子供、レジャーシートの上に寝そべり体を焼くおじさん、小さな犬を抱いて波打ち際を歩くカップルたち。様々な楽しみ方をする人たちに紛れ、木陰に腰掛けおにぎりを頬張る私と大和も、そのうちのふたりである。今、隣にいる大和の大きな手の中にある私が握った小さなおにぎりは、特に意識したわけではないものの、まるでままごとの玩具のように見えてとても滑稽だ。朝ふたりで用意していた時も大きさのちぐはぐ加減に笑ってしまったけど、食べる折になり改めて見てもやはり面白い。 そのことを彼に伝えようと口を開きかけたと同時に、どこからか転がってきたビーチボールが私のつま先にこつりと当たる。顔を上げると、視界の端に両手を振り自分の物だとアピールする男性をすぐに捉えることができた。
持ち主に返してあげるべく拾い上げるためおにぎりをタッパーの中へと戻そうとしていると、私がもたもたしているうちに大和が無駄のない動きで素早く立ち上がり、ボールを彼らの方に向かって思い切り放り投げた。そして深く青い空に見事な弧を描いたそれは寸分の狂いもなく、すっぽりと持ち主の手元へと収まった。
「ありがとうございまーす」という元気な若者達の声に大きく手を振って答える大和に「ナイスパス」と私がわざとらしく拍手をしながら言えば、自信に満ち溢れた表情を浮かべながらも「風向きが良かったから」とどこか照れくさそうに頭を掻いた。
「私が投げてたら中間地点あたりに落ちてたなー、多分」
このおにぎり、もしかして永遠に減らないんじゃないだろうか。もう一口頬張りながら言う。大和は既に2つ目の小さなおにぎりに手を伸ばそうとする所だった。
「そう?結構風があるから、届いてたんじゃないか?軽いし」
「無い無い無い。高校のとき花梨と遊びでキャッチボールしてた時のこと覚えてる?」
顔の前で手を振って、頭の中で埃がうっすら積もっているエピソードを引き合いに出すと、すぐにピンと来たらしい大和は「あー」と苦々しく笑う。しかしそれでも尚「けど、やってみないとわからないから」とフォローを入れ、この期に及んでもすんなり認めようとはしなかった。
そんな頑固さも、当事者すらかろうじて覚えているレベルの思い出と呼ぶにはあまりにも稚拙な記憶をすぐに思い出せるところもまた、私の持っていない物のひとつだろうと思うし、大和らしいなとも思う。
「大和さ、ほんとに私のことよく覚えてるよね。人の名前とか他の事は結構忘れる癖に」
「それはの事が好きだからね」
「ボール投げるのも上手いし」
「まあ……」
「あと、背も高いし」
「……ありがとう?」
「それから、大きいおにぎりが作れる」
中に入れた梅干しが見えるくらいまで齧ってもなお、大和の手にある私が作った物より大きなそれをじっと見つめて言う。大和は唐突な私の言葉に少しの間きょとんとしたように黙って瞬きを繰り返していたが、そのうち彼なりに私が何を言いたいのか咀嚼できたようで「でも小さいほうが数を沢山食べられるから」と至って真面目なトーンで返した。
「何、その理屈」
笑い飛ばされるかと思ったのに。予想していなかった彼の反応と返しに堪えきれず溢れ出る笑い声を砂浜に響かせながら私は言う。あまりにも大きな声だったので、前をゆったりした速度で横切る老夫婦がちらりとこちらに視線を向けたので、ちょっとだけ恥ずかしくなる。
「だってそうだろ?」
そんなに笑うことないじゃないかと困った風に眉を寄せる大和に「……確かにそうかも」と控えめに意地悪く笑って見せつつ私は答える。照りつける太陽の光と同じくらい、痛い程に眩しい大和の理屈。これもきっと、自分の中には無いぜんぶのうちのひとつなんだろうと、そんな風に思った。
今は到底信じられないが、じきに暑さも落ち着いて、夏が終わり短い秋がやって来る。同時に今日交わした些細な会話も、頬を撫でるべたつく風も、つま先に当たったボールの感覚も、おにぎりの大きさも小ささも、忘れっぽくてどこか淡泊な私はやがて忘れてしまうだろう。
しかし、私が忘れてしまっても大和はきっと覚えている。大和がいつもうっかり忘れてしまう、私なんかとの思い出よりも大事じゃないかな、ということたちの代わりに、いつまでも。

「また来年も来たいな」
半分くらい。無意識に出た言葉に、大和は反射的とも言える速さで「来よう」と力強く答えた。私の目を照れくさくなるくらい真っ直ぐに見つめて。
「私が忘れてたら、ちゃんと『海行こう』って誘ってね」
「うん、絶対」
癖のように、昔から変わらずよく口にする単語をいつも以上に強調させて言って、大和は空になっている方の手の小指を顔の前に差し出す。
それに関節ひとつ分ほど短い自分の小指をもったいぶりつつ絡めながら、やがて消えゆく夏の残り香を、私は何気なくも尊い記憶と共に肺一杯に吸い込んだ。