「私、お祭りってあんまり好きじゃないんだよなあ」
やけにはっきりとした口調だった。
祭り囃子や屋台が並ぶ参道を通る人々の発する楽し気な声に掻き消されぬようにそう言ったは、大きな口を開けてりんご飴をまた一口齧る。買ったときには「食べきれるかな?」と眉をひそめていたのに、地道に齧り続け、あれよと言う間に残りあと半分位にまで小さくなっている。
今朝から「絶対食べよ」と何度も繰り返し、楽しみにしていただけあるなと筧は思った。
「そんだけ楽しんでんのにか?」
「それ、言われると思ったー」
薄い暗闇を照らす提灯のように明るい口調では言い、りんご飴の棒をくるくる回す。三日月ほど小さくなった艶やかな表面を光が滑って、きらきらと輝いている。
どこか浮世離れした光を目で追っているうちに、「部を手伝うようになってから日に焼けた」とよく嘆いている割りには白く細い指先がふと視界に入り、筧は思わず目を逸らす。何故だかわからない。しかし、すぐにそうしなければならないと直感的に思ったのだ。
今朝は色々な事がいつもと少しずつ違っていた。
まず、学校がある日だろうが長期休み中だろうが関係なく、毎日練習の開始時間ぴったりにやって来る水町が珍しく遅刻をした。部員の多くが不審に思いながらも練習を始めた後、遅れること約15分。「悪ぃ、いつもの道が通行止めでさー」と彼は頭をわしわしと掻きながら現れた。通常、それだけならば「そうか、次から気を付けろよ」で終わる話なのだが、マネージャーのが水町の手にしている団扇を見つけ、「何それ?」と聞いたあたりから話が大きく変わる。
水町が持っていた団扇は、筧たちの高校の近くにある神社で毎年夏に開かれる祭りを宣伝する為に作られたものだった。「なんかそこで配ってたから貰って来たんだよ」と得意気に話す水町をよそに、日時と場所を丁寧に読み上げたは「これやるの、今日じゃん」と気づいたことを口にした。すると、後ろから覗き込んできた部員たちがそれぞれ「そうだよ」だの「こんなのあるなんて知らなかった」だの口々に言い始め、一気に騒がしくなる。それを見て、何やら閃いた様子で大げさに手を叩いた水町が「じゃ、練習終わったらみんなで行こうぜ」と提案。そうして予定の無い者は皆その唐突な誘いに便乗し、夕方いつもより後片付けを手早く終わらせた後、ぞろぞろと列をなして神社へと向かったのだった。
学校の真裏に位置する地域で一番大きな神社の入り口は、通常時は木々のお陰で昼間でも薄暗くひっそりとしているのだが、今日に限ってはその面影は一切なく、人々でごった返しており、活気に満ち溢れていた。
「何食う?」と口々に話しながら参道に進み始めた部員達の背中に続きながら、よく知る場所も雰囲気が変わると知らない場所のようだと筧は思った。大会が近く、部員達の中には気を張り詰めている様子の者も見受けられる今日この頃。息抜きには丁度良いだろうという、自分の事ながら“らしくない事”も同時に。
そしてふと、鳥居の前で足を止める。目を伏せて一度だけ深く大きく息を吸い込んだ後、筧も彼らに続こうとした。けれども、気づいたときには遅かった。ぼんやりしているうちに集団の一番後ろにいたはずの水町の背中すら見えなくなってしまっていたのである。
「しまった」
そんな中、筧が思わず口に出そうとした言葉を隣で一言一句違わず呟いた人物が居た。それがまさに、今筧の隣でりんご飴に齧りついているだった。もまた、神社が醸し出す神秘的な空気に気を取られ、気が付いたときには皆から取り残されていたという。
そうして「これ以上はぐれるわけにはいかない」と、行動を共にする事になったのだ。
「お祭りってほんと嫌だ。みんなとはぐれちゃうし」
いつの間にかはりんご飴を綺麗に食べきっており、あとはぼこぼこした芯の部分がどこか虚しく棒に刺さっているだけだった。
昔親に連れて行ってもらったお祭りでもはぐれちゃってさ、と幼き日の失態を語り続けるの話を流し聞きしながら、筧は携帯電話を取り出し画面を開く。左上に表示されているアイコンの隣には先ほどと変わらず「圏外」の文字が並んでいた。境内までの道には長い木々が生い茂っている上に、この人混みであるから納得の結果ではあるのだが、突き放されたようで少し腹が立つ。
しかし特に成す術の無い今、ここは潔く他の部員と連絡を取るのは諦め、自分と同じく取り残されたとこのまま行動を共にし、程よい頃に入口に向かうのが最善ではないかと考えている。それをに伝えようとしたとき、の方が先に再び口を開いた。
「あと、終わった後のこと考えたら寂しいじゃん?」
視線を手元から空へと移し、夜空を仰ぐ。先ほどから座っている手水舎横に簡易的に置かれたベンチがの抱く感情を増長させるかのように、軋んだ音を立てた。
「楽しいことはいつか終わる。この世の避けて通れない真理をありありと見せつけられるイベントのひとつだよね」
はいつも明るく、前向きに物事を捉えるタイプだと筧は理解していた。
それは教室で交わす何気ない会話や、友人と談笑している姿や、筧も所属しているアメフト部の2日に一度だけ来るマネージャーとして入部してからの働きっぷりから読み取ったものである。
だが、筧が勝手に描き上げたの人物像とはやや異なる発言に、自分の解釈は本来の彼女とは少し違っていたのかもしれないと感じざるを得なかった。
頭上で輝く月の裏側が暗闇であるように、赤赤としたりんご飴の中心部分には虚しさが隠れているように、自分はの表面的な部分しか見ていなかったのではないか、と。
思わぬタイミングで顕になったの、筧が未だ知らない一面。同時に、これもまた理由はわからないが、心の奥に密かに芽生えたいくばくかの悔しさ。喧騒と感情と思考の渦の中、どうにか「また来年来りゃいい話だろ」という頭にぱっと浮かんだ言葉をそのまま絞り出すようにして筧は返す。
今日はやはり、何かが少しずつおかしい。頭が痛い。筧が何もかもを誤魔化すようにペットボトルに残っていた水を飲み干すと、が自分に熱い視線を向けていた。
「……なんだよその顔」
「いいや。何か筧先生らしからぬ発言だったもので」
でも、そんな筧もいいね。
近くに居る子供の元気な声に搔き消され、最後の方は明瞭ではなかった。だが、筧にはそう聞こえた。そう聞こえたことにしておこう。これもまた、普段なら思わないようなことではあるが、今日は不思議とそう思えた。それから、この心地の良い空間で、もう少しだけ迷子のままで居続けるのも。祭りと同様、そのうち綺麗さっぱり消えてなくなる騒がしい感情と共に。
まだ暫く止む気配のない祭りの熱気の中、そんな事を考えていると、「あ!筧と!居たー」という水町の声が筧の耳に飛び込んでくるのだった。