「どれにするか決まったー?」
複雑に入り組んでいる私の気持ちなど知る由もない水町くんは呑気な声で問う。ショーケースの向こう。店番をしているおばさんは『どうぞごゆっくり』と言うような柔らかな表情で、無言で私たちを見つめていた。下唇を噛みしめつつ、もう一度端から順番に、並んでいるものをじっくりと観察する。
定番のこっくりとしたチーズケーキ、大きな苺のショートケーキ、数種類のフルーツが乗ったタルト、優しい色のロールケーキに艶やかな表面が美しいオペラ。
お店の人には悪いが、ひとつ千円近くするようなケーキの並ぶ行列の絶えない人気店ではないのがまだ幸いであったと思う。学校からほど近い住宅街の中にひっそり佇む昔ながらの洋菓子店に並ぶケーキたちの前には、種類によって差はあるが、おおよそ三百円から六百円程度の値札が添えられていた。
色とりどりのケーキと値札。両方を交互に見て、私は今日何度目かわからない溜息を吐く。
一方で水町くんは呆れるでも怒るでもなく、相変わらずにこにこといつもの顔で笑っていた。
今日、三月十四日の朝。突然思い立ったように呼び出して、誇張表現でもなんでもなく半ば物理的に引きずるようにしてこの店に連れて来た水町くんは自信たっぷりに「どれでも好きなの選んで!」と私に告げた。
状況がよく呑み込めず深く話を聞いてみれば、ホワイトデーのお返しのつもりらしい。
「俺も色々考えたんだけどさあ~、何がいいかわかんなかったから、だったら自分で選んでもらった方が間違いねえなと思って」
彼はわしゃわしゃと金髪を掻き、屈託のない笑顔を湛える。対する私は、よく言えば自分の意思を尊重してくれた、悪く言えば私に丸投げした水町くんにただ困惑する他なかった。
「……どれでもいいの?」
沈黙が居心地悪くて、彼に問う。何がそんなに楽しいのだろう。私とは対照的に、水町くんはずっと明るい表情を浮かべたままだ。
「どれでもいいよ。決めらんないなら二、三個選んで! なんだっけ? 三倍返しってゆーし!」
「……三倍返し……」
水町くんの口から飛び出した言葉を繰り返し、私はふと考える。
俗に言う〝バレンタインのお返しは三倍返しで〟、の三倍って一体何を指しているのか。
順当に考えたら金額だけど、相手から貰った物の金額なんてわからないし、いちいち調べるのって何か……すごく嫌だ。それに、私のように仮に手作りをあげた場合はどうなるのか。材料費、光熱費、ラッピング代、その他諸々を概算するわけにもいかない。
じゃあ気持ち? そんな金額よりもふんわりしていて推測し辛いものを基準にするのもどうなんだ。大体、贈った方の気持ちとお返しする方の気持ちのバランスがうまい具合に取れていないと何かとまずいことになるだろうし。どちらかの気持ちが大きくはみ出すことほど虚しい出来事って、多分ない。
恐らくは、私的には今ひとつ釈然としないその両方をトータルして算出した結果、“三倍返し”に落ち着くのだろうと考える。なんとなく。誰が考えた理論かは知らないが、実に難儀なものである。
平均五百円ほどのケーキ二、三個分。今回の場合、水町くんの私への想いはそれに値するという計算になるのか。
改めて考えた後、私は先月彼に渡した自分が用意したチョコレートの存在を思い描く。
お菓子はよく作るけど、家族以外の男の子にちゃんとしたチョコをあげたのはあれが初めてだった。あの日のために少しドキドキしながら用意して、渡して、大袈裟にも目を潤ませながら喜んでいた水町くんを見た瞬間、私は自分の中を駆け巡った感情に、前から抱いていた気持ちが間違いではないことを再度確信したのだ。
その尊い気持ちに対する答えを今まさに自分で選ぼうとしていることに気が付いて、更に緊張感が走る。これはなんていうか、大袈裟に言うと、いわゆる究極の選択というやつなのではなかろうか。
私の彼への気持ちは本物だ。では、彼の私への気持ちは一体どうなの?
フルーツタルトのように、比較的高価で華やかなものを選ぶのが相応しいのか。はたまた、シンプルで安価なシュークリームを選ぶくらいがちょうどいいのか。わからない。私には選べない。けど、知りたい。例えどんな結果が待っていたとしても。だから、
「水町くん」
「なに? 決まった? どれどれー?」
「あのね、私に選ばせてくれるって気持ちは有難いんだけど……」
言葉の端をにごす。ショーケースの前にしゃがんで私を見上げる水町くんがぱちぱちと瞬きをする。光を受けた水面みたいな輝きに眩暈を覚えつつ、意を決して私は続ける。
「私は……やっぱり水町くんが選んでくれたのが、一番食べたいかな」
期待と希望とほんの少しの願いを込めて。告げると、彼はきょとんとした顔で私の顔の真ん中あたりをじっと見つめる。
その後躊躇いがちに自分の足元に移された視線の軌跡を辿りつつ、彼の頬がほんのり色付いた意味を私は静かに考えるのだった。