A cover is not the book.


どんな本も、表紙からじゃ中身まではわからない。人間もそれと同じようなものだと思う。

水町くんを最初に見かけたのは高二の秋の初め頃。この図書室の中で一番日当たりの良い場所にある丸テーブルだった。
正確には机に突っ伏していたから、どこの誰なのか、どんな顔をしているのかまではその時はわからなかった。ただ、最後に洗ったのはいつなのかわからない埃っぽいレースのカーテンの隙間から差し込む陽の光が、彼の金髪を輝かせていたのが綺麗だと感じたのをよく覚えている。

放課後、週に一度図書委員の仕事の当番が回ってくる。貸し出しの手続きや返却された本に不備がないかの確認や色々仕事はあるのだが、私は貸し出しカウンターに座っている時間が一番好きだった。
部屋の中央あたりに位置するカウンターからは借りた本を読んだり自習をしたり、小声で友人同士で談笑したりする生徒の姿がよく見える。彼らはそれぞれ何を話しているのだろう、どんなことを考えているのだろう。そういった意味のないことを、読書と係の仕事の合間に勝手に空想し、人間模様を観察するのが読書に加えてもうひとつの趣味のようになっていた。
ある当番の日。授業を終えた私が図書室に入ると既に、カウンターの正面に位置する丸テーブルに人の姿があった。
遠目からでも目立つ、麦の穂みたいな金色の髪。それを捉えた私は何よりも先に「珍しい」という感想を抱いた。
若干偏見も入っているが、基本的に図書室に出入りする人間というのは慎ましく真面目に学校生活を送っている者が多い。言葉を選ばずに言うならば、地味な子が多いのだ。私もあまり他人のことは言えないが。
もちろん、人を見かけで判断するのはあまりよくないということは理解している。髪の毛の色が派手な子や、制服を自分流に着崩しているような子が全く来ないわけではない。が、〝そういう子〟が帰りのホームルームが終わって比較的すぐに図書室に向かった私よりも先に来ているということも含め、大変珍しく思ったのだ。

その日を境に、彼を図書室でよく見かけるようになった。
当番の日はもちろん、それ以外の日で私が図書室に立ち寄ったときもきらきらした金髪が目に入った。
ただでさえ目立つ明るい髪色。その上、カウンター前という意識しなくても自動的に目に留まる場所に居る。
ゆえに、断じて別に深い意味はなく、彼が私の中で〝なんだか気になる存在〟と位置付けられるのにそう時間は掛からなかった。
最初に彼を見てひと月ほど経った頃だっただろうか。彼が私のみっつ下の学年、中学二年生であることと、水町くんという名前らしいということを同じ当番の子から聞いて知った。
この学校は中高一貫だし、そうでなくても他の近隣の学校に比べて生徒数も多い。だからクラスと名前。泳ぎが上手でちょっとだけ有名であるらしいこと。それだけの情報が得られただけでも十分である。
これ以上のことはあまりわからないまま、また私の方からも特に知ろうともしないままに時は過ぎていった。

そして半月ほどが過ぎ、窓の外に今シーズン初の雪がちらちらと舞い始めた今日。
いつものように私が当番として図書室に入り、カウンターに座って適当な本を読んでいると、水町くんは大きな欠伸をしながらやって来た。すっかり定位置と化している丸テーブルに迷いなく座り、頬杖をついてぼんやり外を眺めている。
カウンターでの仕事を淡々とこなしつつ彼の姿をいつものように盗み見ていたとき。私は司書の先生から返却された本を本棚に戻す手伝いをするよう声を掛けられた。
ラック状になっているワゴンを押しながら狭い通路を行き来して、背表紙に書いてある番号の棚に本を戻していく。
とても簡単な作業ではあるが、今日はやたら本の量が多くて、最後の一冊を手に取る頃には最終下校時間が目前に迫っていた。
私の様子を伺いに来た先生に、今日は残っている生徒もほとんど居ないし、それを棚に戻したら帰宅して良いと告げられる。作業に没頭していて気づかなかったが、周りを見渡せば、先生の言う通りいつの間にか自習をしている生徒たちもほとんど帰宅をしたらしく、室内はいつも以上にしんと静まり返っているように感じた。
私も仕事をはやく終わらせて帰ろう。手元にある本の背表紙を見て、棚を探す。目的の棚はカウンターの近く、水町くんがいつも座っているテーブルの真横だった。
最初と比べると随分軽くなったワゴンを押して目的の場所へ向かう。人気の無い通路。空席ばかりのテーブルたち。雪が積もった日の朝みたいに静かな部屋。そんな中、角を曲がった瞬間目に入った、カウンター前の丸テーブルに乗っかる金髪。
思わず驚いて大きな声を上げそうになったが、寸でのところで飲み込めた自分に大きな拍手を送りたい。
――てっきり、水町くんも帰っているものだと思い込んでいた。
推測するに、いつの間にか眠ってしまい、日が暮れたことに気付いてないのであろう。
驚きのあまりばくばくと早鐘を打つ心臓の音を無視しつつ、ここを出る前に退室するよう声を掛けていこうと決め、彼の座る椅子の後ろを静かに抜けて目的の本棚の前に立つ。
さっさと終わらせよう。そう思いながら天井近くまでびっしり本がおさめられた本棚を見上げたとき、ここである問題が発生していたことに私は漸く気が付いた。
「……とっ、届かない……」
本の定位置が、私のような平均的な女子高生の身長ではギリギリ届かない場所だったのだ。
試しにうんと背伸びをしてみるが、やはり届かない。諦められず、二、三度挑戦してみるが、結果は変わらなかった。
仕方が無い。面倒だが踏み台を持ってくるか。はて、最後にどこで見かけたっけ、と思考を巡らせていたその時だった。

「ここに戻せばいーの?」

突然掛けられた声に、私の脳も動きも一瞬にして停止する。
背後から私の手の中にあったハードカバーの本をひょいと取って、頭ふたつ分ほど上にある本棚に戻しながら、彼――ついさっきまでテーブルに突っ伏して寝ていたはずの水町くんは、大輪の花のように眩しい笑顔を惜しみなく私に降り注いだ。
「え……っ?」
「なー、ここー? 合ってる? ってか聞いてる?」
おーい、と水町くんは本を持っていない方の手を私の顔の前に翳す。
その行動によってハッと我に返った私は「あ、ああああ、合ってます!」と至極情けない声を上げた。
私の反応に、水町くんは短く笑い声を上げる。外の寒さなんて忘れてしまうような、夏の日差しみたいなカラッとした声だった。
私が台を探して持ってくるまでもなく、長身の彼はいとも容易く本を戻し終え、「うーん」と大きく伸びをする。それに続いて豪快に口を開けて欠伸をし、「あんた、今日はカウンターの当番じゃなかったんだ」と呟くように言った。
「え」
「今日水曜じゃん? 水曜はいっつもカウンターに座ってるから。でも今日は途中から居なくなったなーと思ってたら、本返して回ってたんだな」
なんと言うか、意外だった。
水町くんはここでは顔を伏せて寝ていることがほとんどだ。だからてっきり、私が彼のことを一方的に認知しているものとばかり思っていた。私の存在を知っている上に当番の日を把握しているなんて思いもしなかった。
その事実に直面した瞬間、私の心臓は先ほど驚いたときとはまた違った跳ね方をした。
今まで感じたことのない、不思議な感覚だった。スキップをしているような、軽ろやかで弾むような、心地がいい。そんな跳ね方であった。
「あ……うん。先生に頼まれて」
「なるほどなー。んじゃ、また来週~」
水町くんはまた眩しい笑顔を向けて私に手を振ると、ゆったりした動作で図書室のドアを開け廊下に出ていく。
その背中がドア一枚で隔てられたあと、私は「また、来週」と彼の言葉をなぞるように呟く。相変わらず静まり返ったこの部屋に、その言葉がいつまでもいつまでも響いているようだった。

今日、私は二ヶ月近く表紙ばかり眺めていた本を初めて開いた。
その本の表紙は煌びやかで、それでいてどこか物憂げで、自分とは別の世界に在る感じがした。でも、最初のページの一行目を読んだ瞬間、私の見えていた景色は変わったのだ。
この物語はどのくらいの長さになるのか、どんな展開が待っているのかはわからない。
今の私にわかるのは、次の水曜からはホームルームが終わった瞬間教室を飛び出して、真っ先にこの図書室に向かってカウンターに座り、そわそわしながら彼を待っているであろう、未来の自分の姿だけ。