「もしも私が神様だったら」
はベッドサイドランプが照らす薄暗い天井に翳した自身の両方の掌を交互に見つめながら、掠れた声で呟いた。
「え、何の話?」
その声に、それまでに背中を向けて微睡み始めていたライアンは目を覚ましてもぞもぞと身体を起こし、左隣で仰向けに横たわるに視線を落とす。
それにより2人の胸辺りにまでかけられていた布団が捲れ、が「さむい」と小さく文句を言うと、ライアンはの髪の毛に指を滑らせながらもう一方の手で布団をかけ直した。
「私が神様だったら、って話」
指を絡め取りながらは目を閉じる。
ライアンはの言葉の咀嚼を試み暫く思案したが敢え無く失敗し、肩を竦めた。
「いや、全くわかんねぇんだけど」
「それはそれは、壮大な話よ」
脳内に疑問符をいっぱいに浮かべるライアンとは対照的にが毅然と答える。
「ふーん」
その2人の間に存在する温度差が妙に可笑しく、ライアンは呼吸と共に笑みを零した。
「私が神様だったら、」
深夜の寝室に、の澄んだ声が響く。
これから紡がれる、彼女曰く壮大であるらしい物語に期待を寄せながらライアンは相槌を打つ。
「だったら?」
は自分の顔を覗き込むライアンの瞳をしっかりと捉えながら続けた。
「この世から争いごとを、無くす」
「ハ?」
ライアンの口から素っ頓狂な声が漏れる。
「だから、この世から争いごとを無くすのよ」
「…いやいや。ちゃん、それはさすがに壮大すぎだろ」
自身の想像の範疇を軽く超えるほど大きすぎたの発言に、ライアンは手で口を覆い小刻みに肩を震わせる。
「だから言ったじゃない」
笑い続けるライアンへ冷ややかな視線を送りながら、は大きく息を吐いた。
「あと、それだと多分俺、失業しちゃうんですけど」
ひとしきり笑った後、皮肉を込めてライアンが言ったが、「それでもいい」とは力強く答えた。
「私はライアンが傷つかなくて済む世界を、つくるよ」
そう言っては布団を頭まですっぽり覆い、「おやすみ」と言うとライアンに背を向けた。
それを眺めながら、ライアンは数週間前、勤務中に怪我をして帰ってきた時のことをぼんやりと思い出していた。
この仕事をしている限り、自分は怪我とは切っても切れない関係にある。
だからと言って「仕方ない」と甘んじているわけではなく、未然に防ぐために常に注意はしているしそのために体も鍛えている。
しかし、誰かを救うためには時には自分が犠牲にならないといけない。それがこの仕事だ。
その日も例によって“犠牲”になり、“名誉の傷”を左腕に負った。
幸いそれほど傷は深くなく生活にも全く支障がない程度のものだったが、医者に診せると珍しく大袈裟に包帯を巻かれ、なんだか漫画みたいだなと、ひとり苦笑しつつ帰宅した。
先に帰りキッチンで夕飯を作っていたに帰宅したことを告げると「おかえり」といつものように振り返りながら笑顔で迎えてくれたのだが、包帯の巻かれた腕を見るとそれまで浮かべていた柔和な表情はみるみるうちに崩れ、真っ青な顔で「どうしたのそれ」と尋ねてきた。
目に一杯涙を浮かべるの頭を撫でながら事情を話せば、てっきり「注意が足りない」といつものように小言を言われるのかと身構えたのだが予想に反し、「そう」と短く答え、再びこちらに背を向けキャベツを切り始めた。
はいつも自分を送り出すとき、何かを堪えるように笑う。
本人にそれを指摘したことはないので無意識にやっているのか意図的にやっているのかはわからないが推測するに、自惚れでなければきっと、「行かないで」という彼女なりのメッセージがそこには込められているのだろう。
しかし彼女は決してその思いを口に出すことは無く、反対に、常に自分の背中を押す言葉をかける。
決して弱音を吐かず、いつでも前向きに強く生きる彼女の【自分が傷つかなくて住む世界をつくる】という発言は、珍しく彼女が彼女自身の中に潜む弱さを見せてきてくれたようでライアンは嬉しく思い、挙げ句の果てには(彼女には確実に怒られるが)たまには怪我をして帰るのも悪くないなと考えていた。
「」
「ん、」
ライアンの呼びかけには布団からにゅうっと顔を出してゆっくりと仰向けになり、眩しそうに手の甲で軽く目を擦る。
「おやすみ、神様」
ライアンは何よりも自分自身のことを想い待っていてくれる“小さな神様”に覆い被さるように体制を変えると、額に唇を落とす。
はくすぐったそうに、そして満足そうに笑って布団の中から腕を伸ばし、祈るように、慈しむように数日前まで包帯が巻かれていたライアンの左腕を撫でた。