寒い。鼻の下あたりまで覆うようにマフラーをぐるぐる巻きにしていても、唸るように容赦なく吹き付ける風は私の前髪も心も乱していく。鈍い色をした海の上には同じ色をした雲が広がり、風によって作られたわずかな切れ間から光がはしごみたいに伸びている。私の数歩先、大きな足跡を残しながら波打ち際ギリギリを鼻歌まじりに歩く水町くんも私とほぼ同時にそれに気づいたようで、空を見上げつつ「あ」と嬉しそうな声を上げた。
今日、12月31日。1年の終わりのこの寒い日に水町くんは生まれた。
「大晦日ってみんな忙しいじゃん? じーちゃんばーちゃんの家に行ったり家の掃除したり正月の準備したり? だから家族以外にあんま祝ってもらった記憶なくて」「近所のケーキ屋も毎年閉めてるから当日にでっかいケーキも食ったことねーし」「高校までは筧が毎年マメに祝ってくれてたけど、今年はあっちに居るしなあ」と苦々しい笑みを浮かべながら話していたのはまだまだ夏の暑さが残る頃だった。
水町くんの口から度々飛び出す『筧くん』に私はまだ会ったことがない。今は留学してアメリカに居るとか、馬鹿みたいに真面目だとか、一方で面白い奴だとか、水町くんの口から語られる断片的な筧くんの情報しか私の中には無い。けど、彼との思い出を話すときの水町くんはいつだって楽しそうだ。だから私も、いつか筧くんに会えたら彼のことを好きになるだろうと強く確信している。当然、水町くんとは違う意味での好きだけど。
そんな筧くんとも数年前に来たという海に、私は今日水町くんを誘って来た。平日だと考えられないほどガラガラの電車を乗り継いで、シャッターが閉まる海の家の前をいくつも横切って。当然といえば当然なのだが年末の浜辺には私たち以外は人がおらず、とてつもなく静かで、世界の果てのようだと思った。
私たちは不規則なリズムで迫りくる波から逃げつつ少し歩いて、道路へと続く階段の一番下に並んで腰掛ける。私が鞄の中からチョコの包みをふたつ取り出すと水町くんは花が咲いたように笑い、そのうちひとつを大事そうに受け取った。ケーキは来る前に作ってきたから、帰ったらコタツに入って食べよう。彼がかつて誕生日当日に食べたかったケーキほどは大きくないかもしれないが、心は込めて作ったから。
「この海の向こうに筧くんは居るんだね」
口の中いっぱいに広がる甘さを噛みしめながら私が呟くと、チョコの包み紙を折ったり広げたりして弄んでいた水町くんは勢いよく顔を上げる。
毛足の長いコートのファーが彼の綺麗な金髪と一緒に風に揺れている。いつか美術の資料集で見たどこまでも広がる麦畑を連想させた。
「いつか会いたいなあ」
口を半分開けて目をぱちぱちしている水町くんを尻目に私が続ければ、「えっ!? 筧に!? なんで!?」と彼は身を乗り出して叫んだ。ふたりだけの世界に、驚きの声が響き渡る。
「会いたいよ。好きな人の大事な人に会いたいっていう気持ちは普通じゃないかな?」
物理的にはやや身を引きつつも、私は彼の気迫に負けじと答える。返された言葉に水町くんは文字通りきょとんとした表情を浮かべていたが、眉間に皺が寄り、下唇をぎゅっと嚙み、それらがやわらぎ、それから頬がほんのり赤くなった。
視線を海の方へと泳がせて、「……そっかな」と小さく呟く。「そうだよ」と同じくらい小さく返せば、水町くんは漸く私の方を見て「へへへ」と鼻の頭を掻きながら笑った。
目の前には相変わらず寒々とした風景が広がる。そんな中、さっき見えた光のはしごだけが私たちの視界の端で楽しそうに踊っている。寒い。けど、悪くはない。そんな風に思えてしまうのは間違いなく、隣に座って照れている今日生まれた彼のおかげなのだろう。乱れた前髪を撫でながら、私は波の音より静かに考えるのだ。