魔法使いはじめました


可哀想なあの子を舞踏会に行かせてあげるため。王女が長い眠りについたことを悟られないようにするため。綺麗な声を手に入れるため。自分より綺麗な子を殺すため。
幼い頃に飽きるほど読んだ童話に出てきた魔法をひとつひとつ思い浮かべる。慈悲、同情、羨望、憎悪。動機も手段も目的もさまざまだが、やっぱり私が今一番望む魔法はそれらの中に見つからないのだ。

「今度はいつ? また来年の冬かな?」
「だな」
荷物を預け終えて身軽になった筧は、答えながらコートの袖の下に隠れた時計を見る。余裕を持って来たはずなのに、年の瀬の空港は予想以上に混雑していて手続きに予想以上に時間を要してしまった。
筧が留学して三度目の冬。毎年〝あっち〟の休暇に合わせて帰国する筧をこうやって見送るのは、高校を卒業したときと合わせると四度目になる。が、一向に慣れる気配がない。特に今回は筧の家族も毎回一緒に見送りにきていた水町も都合により来られなくなり、私ひとりで送るのが初めてというのもあって、昨日の夕方くらいからずっと胸の中がざわざわしている。厄介なことに、そのざわざわは時間が経つにつれ収まるどころか徐々に大きくなり、そろそろ筧に聞こえてしまうのではないか心配になるほどにまで大きくなっている。
「もう行く?」
「ああ。この様子だとその方が良いかもな」
保安検査場の前。徐々に伸び始める列を一瞥し、筧は頭を掻いた。
人々の頭がまるで黒い波のようにも見える、彼が視線を向ける場所へは私は行けない。このゲートを抜け、私の知らない手続きをして、飛行機に乗って、筧はまた何千キロも離れた広い海の向こうに行く。もっともっと強くなるために。
ならば、私にできることはもうひとつしか残っていない。
「……。……なんだよそれ」
両腕を、静かに狼狽える筧に向けて広げて立つ。通りすがる人が何人か、ちらりとこちらを見るのを感じたが気にしない。いや、いつもならばそれなりに気にするのだが、今は不思議と気にならなかった。
「今から筧に魔法をかけてあげる」
「は? こえーんだけど……」
「いいから、ほら」
はやくはやく! と大きく手招きをすると、筧は周りを見渡して何やら一瞬考えるそぶりを見せたあと、深い溜息を吐く。それから観念したように私のもとへゆっくり歩み寄った。そこをすかさず私は捕らえて筧の腰のあたりに両腕を回す。胸とお腹の真ん中あたりに顔を埋めながら「ぐふふ」と笑えば「ほんとに何がしてえんだよお前は」と不満そうな声が上から降ってきた。それでも促されるがままに私の背中に手を回す筧がとても好きだな、と心の底から思う。
当然、私は筧ほどの力はない。それでも全身全霊の力を込めて大きな体を抱きしめる。

どうか、寂しいと思っているのが私だけじゃありませんように。筧もときどきで良いから私を想って「寂しい」と感じますように。

そんな、本人には絶対伝えられない呪いにも似た魔法をかける。
これは慈悲や同情、羨望、憎悪、どれでもない。童話には出てこない、私だけが持ち得る名も無き魔法だ。
「で、一体何の魔法だよ」
彼にとっては赤子も同然であろう、私の弱っちい腕から解放され、やや乱れたコートの襟を正しつつ問う筧の頬は薄いピンクに染まっている。その表情をもっとじっくり堪能したいところだが、横切る人の波は途切れない。本当にそろそろ行かせてあげた方がよさそうだ。
「絶っっ対言わない」
「はあ?」
「いってらっしゃい、筧」
未だ止まない胸のざわざわをかき消すように言って、思いっきり両手で背中を押してやるものの、やはりぐらつきもしない筧は小さな声で「……いってきます」と言い私を振り返る。
魔法の効果は一年後、どんな風に確かめてやろうか。そのとき筧はどんな顔をするのか。幸か不幸か、ひとりで考える時間は十分すぎるほどにある。大きな背中が見えなくなる頃、ひとまず私は帰りの電車の中でじっくり考えることを心に決めた。