朝焼けと蝶々結び



2024年に出した筧夢本『懐疑的マーメイド』『ここだけの話』の後日譚ですが読んでいなくても問題ないです。
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そういえば、私は筧をいつも待たせてばかりだったかもしれない。
たまに待ち合わせて学校に行くときは少し早めに出てきても絶対筧の方が先に来ているし、何度か休日一緒に出かけたときもそうだ。いつだったか、約束していないのに学校の前で私が委員会の仕事が終わるのを待っていたこともあったっけ。それに忘れもしない約1年前。私の家の前で待ち伏せされていたことも。
筧はいつもどんなことを考えながら私のことを待っているのだろう。灯りがぽつぽつともり始めた住宅街の一角。傍から見たら不審者と相違ないであろう状況で私は考える。紛れもない、暇つぶしというやつだ。
視線を上に向ければ、吐く息と同じくらい白い月が建物と建物の間に見えた。空の色は1分1秒ごとに徐々に明るくなり、自分の家を出た時に比べ、限りなく白に近い青の面積が増えてきている。いつもより30分ほど早く起きただけなのに、いつもと待つ側・待たされる側という立場が変わっただけなのに、少し世界が違って見える気がするのは面白い。原因はそれらだけじゃなくて、もしかすると今から私がしようとしていることも関係しているのかもしれないが。
2月14日の早朝。私は筧の家の前に立ち、彼が出てくるのを辛抱強く待ち続けている。今日はいつもどおり部活もあるし、当然授業だってあるから学校に行けば必ず会える。でもいつまで経っても慣れることなく苦手なままの早起きをがんばって、わざわざこうしているのにはちゃんとした理由があるのだ。
ふと、気配を感じた気がして視線を私も何度か開けたことのあるドアへと移す。根拠のない予感は的中し、すぐに控えめな物音と共に漸く筧の姿が見えたのを捉えると、心臓が軽く跳ねるのを感じた。
「おはよー!」
私が元気よく挨拶をしたのと、筧が幽霊でも見たかのように顔を一瞬引き攣らせたのはほぼ同時のことだった。
「…………何の真似だよ?」
「言い方!」
私が喚くと家の門を後ろ手で閉めながら、筧は濃く白い息を吐く。いつもと同じ黒いコートを着て、ミルク入りのコーヒーみたいな色のマフラーを後ろできゅっと結んでいる。見慣れたその姿も、やっぱりどこか新鮮に見えた。筧に言ったらきっと「気のせいだろ」と一蹴されると思うんだけど。
「問題です。今日は何月何日でしょうか」
「……。……まさか、」
私がどうしてここに居るのか。ほんの少しだけ考える素振りを見せたものの、筧はすぐに私の問いの答えに辿り着いたようだった。話が早いのはとても助かる。
「はい」
待つのに慣れていない私にしては、もう十分待った。だから筧の口から答えが出てくるのを待たずして、私は彼の胸元に小さなリボン付きの紙袋を押し付けるように差し出す。躊躇いがちに視線を泳がせながら、ぎこちない動作でそれを受け取った筧は「学校で渡せば良いのに」とその大きな体には似合わない、今にも消えそうな声で言った。
「だって学校で渡したんじゃ誰かに先越されるかもしんないじゃん」
「はぁ?」
「今年は絶っ対、他の誰よりも先に渡したかったから」
去年から誰にも言わず、密かに掲げ続けていた目標を私は初めて口にする。
1年前のバレンタインデー、私は結局筧にチョコを渡せなかった。渡せなかったのに、筧は何故か律儀にホワイトデーのお返しをくれた。だから今年は何が何でも渡したかったのだ。他の誰よりも早く、一番に。
自分の事ながら、かなり負けず嫌いだと思う。意地っ張りだとも。筧と付き合うようになってからその度合いはどんどん増している気がするけど、私はそんな今の自分も大好きだと思う。
私の言葉を聞いて、筧は私を見据えたままゆっくりと瞬きをする。口元はマフラーで見えなかったが、それはそれで楽しいから良しとしようか。
「あ。ひょっとして、すでに家でお母さんに貰って……」
「ねえよ。……あとそういうの、心配いらねえっての」
相変わらず小さな声で言って、大きな手で犬みたいにぐしゃぐしゃと私の前髪を撫でる。筧の言葉の意味がいまひとつよくわからなかったのと、せっかく整えてきた髪がダメになった腹立たしさで胸の中がいっぱいになっているうちに、「早く行くぞ。朝練に遅れる」と言って私の手を引いて歩き始めた筧に仕方なく従う。どんな魔法を使っているのだろう。別に逃げなどしないのに腕はがっちりと固定されていたが、不思議と痛くはなかった。
大きな背中越しに見える東の空は気が付けばかなり明るくなってきていた。手が届きそうで届かない位置を彩るオレンジ。今私と筧の頬は、それときっと似たような色をしているんだろう。色んなことがちぐはぐで不透明な朝、それだけは確信する。