この街は、私にとって少しばかり騒がしすぎる。別に住みにくいだとか、嫌いだとか、そういうわけではない。ただ、ほんの少しだけそう感じる瞬間がある。
物事や抱く感情、そのすべてに理由があるとは限らない。私はそう考える。大した理由もなく好きなもの、大した理由もなく好きになれないもの。きっと、誰しもがそんなものの一つや二つくらい持っているはずだ。私の場合、この街に対する印象がたまたまそうだった。それだけの話。
でも多分、結局全ては“慣れ”なんだろうな、とも思う。印象なんて、ほんの少しの経験や時間を重ねること、即ち慣れることで簡単に変わってしまうのだから。この1年ちょっとの間に私の周りで起こった出来事。その記憶が全てを物語っている。そんな気がする。そう思わされるようになったきっかけである“彼”との出会いは、確実に私の人生においてかけがえのないものになりつつある、というか、なっている。これは紛れも無い事実ではあるのだが、そう言うと、なんか恥ずかしく少しだけ悔しい今日この頃である。
まあ、そんな長ったらしい前置きは置いといて、
「はーっ、この子が!」
「夜分遅くにすみません」
「いえ。…えっと、初めまして。虎徹さん、バーナビーさん」
自分でも笑ってしまうほどに上ずった声で挨拶をし、興味深そうにまじまじと私の顔を覗き込んでくる、アルコールによりやや顔を上気させたオリエンタル系の顔立ちの男性と、その隣で思わず息をのむ程の綺麗な顔に(まるでこの状況に納得がいっていないような)険しい表情を湛えた美青年に私は頭を下げる。それはもう深々と、地面にのめり込んでしまいそうなほどにだ。
――はてさて、一体全体何故私はこんな真夜中に自宅の玄関先で初対面の男性2人と挨拶を交わしているのだろうか。
自分のつま先をぼんやりと眺めながら、ふと冷静になる。そんな、あっちへこっちへと大騒ぎな私の胸中のことなどつゆ知らず、隣に立つ私の同居人(兼恋人)であるライアンは「立ち話もなんだし、上がれよ」とにこやかに、そして穏やかに2人の客人を家の中へと招き入れた。
2人が私の横を通り過ぎるのを横目で確認した後、私は勢いよく顔を上げライアンの背中に密かに無言で冷たい視線を送る。するとそれに気づいた彼はこちらを振り返りながら手をひらひらと振り、声には出さず、唇で“ごめん”という言葉を形作った。
(何が“ごめん”だ馬鹿野郎)
調子が狂う、なんてものではない。しかし悲しいかな、リビングへと消えて行く三つの背中を眺めながら、私はただ大きな溜息を漏らすことしかできなかった。
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『これからおっさんとジュニアくん、うちに連れて帰るから』
事の発端は今から30分ほど前。電話の向こうから突然投げかけられた、ライアンのそんな一言だった。
誰もが浮き足立つ週末、金曜日、夜もとっぷりと更けた深夜1時過ぎ。此処がいくら眠らない街シュテルンビルトとはいえども、一般的には人間がそろそろベッドに入って寝息を立て始める時間である。私はその日の朝、ライアンと2人で朝食をとっている際に言われた『今日飯食って帰るから、先に寝てていいぜ』という彼の言葉に甘え、ゆったりとした1人きりの夜の時間を過ごしていた。粗方の家事を終えるとシャワーを浴び寝る支度を整え、その後友人と他愛も無いメールのやりとりをしてみたり、ライアンが買ってきたファッション雑誌をぱらぱらと捲ってみたり、それに飽きればさして見たいわけでもないテレビを点け、流れているドラマをなんとなく眺めてみたり。それは些か平和すぎるほどに平和な時間であった。
そしてそのうちいい感じに微睡み始め、さて、そろそろ床に就くか――とソファから立ち上がった矢先、テーブルに置いた携帯電話が着信を知らせた。はて、と不審に思いつつディスプレイに表示される名前を確認し、もたもたとした動作で電話に出ると、電話の相手であるライアンは開口一番に『ちゃんごめん、』と一言断りを入れた。そしてその後、間髪を入れず、私を襲っていた睡魔が一瞬で逃げ去るほどの爆弾――例の一言である――を投下したのだった。
ライアンの無駄に長ったらしい話を要約するとこうだった。今日ライアンは彼の同僚達、即ちこのシュテルンビルトの市民を守るヒーロー達と親睦会と銘打った食事会をしていたらしい。それはそれは楽しい会合だったと電話の向こうでライアンは嬉嬉として語っていたが、参加していない私にとってはどうでも良い。そしてヒーロー様ご一行は帰りが遅くならないうちにと、明日も仕事がある者と未成年者を見送り、残ったメンバーでゴールドステージのバーへと向かったという。(ライアン曰く、「大人の時間をめいっぱい楽しんだ」らしい。これまた心底どうでもいい。)飲み比べやダーツなどをしてひとしきり騒いだ後、店から出て帰る方向が反対の者と別れ、そのまま解散。という流れになる予定だったが、別れ際にライアンと同じ会社に所属する同僚の1人で、先程玄関にて私に好奇の目を寄せていた彼その人である――ワイルドタイガーこと鏑木虎徹さんが何気なく放った「そういえば、ライアンって何処住んでるんだっけ?」という何気ない問いかけから話が発展。ライアンが(恐らく大袈裟な脚色なども加えつつ)話しているうちに同居人である私に興味を持った虎徹さんの発案により、突発的に家に来ることになったという。(虎徹さんの横に佇んでいたもう1人のライアンの同僚、バーナビーさんは、不機嫌そうな表情と突然の訪問を心底申し訳なさそうに詫びる姿から察するに、恐らくは酔っ払い2人の意見に反対したが結局力ずくで強制連行されたのであろう。可哀相に。)
どこから突っ込んで良いのかわからず電話を耳に当てたまま私が驚きのあまり言葉を失っていると、ライアンはそれを良いことに「とりあえずあと30分くらいで着くから、よろしく!」と早口で言い残し一方的に電話を切った。
耳元で鳴る規則正しい電子音を聞きながら、私は怒りのような呆れのような、その両方のような奇態な感情をもてあまし、その場に呆然と立ち尽くした。…が、すぐに我に返り、あの野郎、覚えておけ――と心の中で悪態をつきながら、私は客人である彼の同僚2人を迎え入れる準備に取りかかった。
自由奔放。そして、ややがさつ。
皮肉なことに、そんな彼と付き合い始めてから自分でも驚くほどなんというか、切り替えが早くなった。我れながらそう思う。そんなことを考えつつ。
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そして、そうこうしているうちにライアンが腹立たしいほどのにやけ面を浮かべながら2人を連れて帰宅し、今に至る。というわけである。
思えば、彼が同僚を連れて帰ることはこれが初めてだ。恋人の同僚のもてなし方は生憎心得ていないため変にそわそわしてしまう。なんかこう、気の利いたマナー本的な物を読んでおくべきだったかな。そんなものがあるのかどうか知らないけど。
「へぇ~じゃあ彼女、元々お前のマネージャーだったのかぁ」
「おう!そうなんだよ~」
「職場恋愛とかやるなぁ!おじさん感心しちゃう!」
「虎徹さんが感心する意味がわかりません」
「いちいちうっせぇなジュニア君は!フィーリングだよフィーリング!だろ、おっさん?」
「そうそう!ひゅーりんぐ!」
ライアンと虎徹さん、2人の豪快な笑い声が空間を満たす。
私が酔い冷ましにと水の入ったボトルとグラスが乗ったトレーをキッチンからリビングに運び込むと、ライアンは客人をソファに座らせ、自分は部屋の隅に置いてあった椅子を引っ張り出して座り、会話に花を咲かせていた。
会話の中心になっているのは恐らく私。少しばかり気恥ずかしく思いながらも穏やかな表情を取り繕い、「どうぞ」とテーブルにトレーを乗せる。
「どーも!」
「ありがとうございます」
「いえ…」
口々にお礼を言う2人に軽く会釈をすると、虎徹さんはソファから身を乗り出し、私の顔を真剣な顔を覗き込んだ。茶色がかった二つの綺麗な瞳に捉えられ、私は思わず数センチほど後ずさりをしてしまった。
「あ、あの…?」
「ちゃん、だっけ?」
「ええ、はい…。な、なんでしょうか?」
視線を左右に泳がせながら私は震える声で答える。何故私はこんなに緊張しているのだろう。初対面だから?相手が有名人だから?現在の話題の中心が自分だから?恐らくはその全部だろう。小心者か。そうだった、私は小心者だった。
「何て言うか…ちょっと意外だなって思ってさ」
「……えっ、」
「ああ?何が?」
グラスに水を乱暴に注ぎながら、不機嫌そうにライアンが言葉を詰まらせる私の代わりに答え、虎徹さんの顔に視線を移す。一方で虎徹さんは私から視線を逸らさず、低く唸りながら何かを考えるように個性的な髭を蓄えた顎に手をやり、そのままソファの背にもたれかかった。バーナビーさんはそれを横目で見ながらやれやれという風に短く溜息をつく。それぞれの些細な言動にもそれぞれの性格が反映されているようで、ちょっと面白い。同じ会社に所属するヒーローと言えどもここまで違うのか、と思わずそんなどうでも良いことを考えてしまった。
「いやぁ、俺ぁライアンの彼女って言うくらいだから、てっきりもっと派手な感じかと思ってたけどなぁ」
「ハァ?派手?」
「ああ…確かに。ジャスティスデーのNEXTとか好きそうでしたしね」
ライアンから差し出されたグラスをすらりと長い腕を伸ばし受け取りながら、それまで黙りを決め込んでいたバーナビーさんが会話に割って入ってくる。スタイルが良いからこんな些細なモーションでも絵になる。加えてこの礼儀正しさ。これは世の女性達が黙っていないはずだ。図らずも見惚れてしまう。
「そうそう。あとアニエスとか」
「あー?プロデューサー?…まあ、そりゃ、ああいうのも嫌いじゃねーけど」
「嫌いじゃないんですね」
「お前正直だな」
自分の家なのに何だか居心地が悪い。私は暫く黙ってはっきりとしない3人のやりとりをテーブルの前に屈んだままの姿勢で聞いていたが、会話の中心が自分から逸れ始めたことを察し、席を外そうと立ち上がる。
この時間だ。恐らく朝までこの調子だろう。念のため客人用の毛布を用意しなければ。引越しの時どこにしまったっけ。カビ臭くないかな。ぐるぐると考えながら私が静かにリビングから立ち去ろうとした。その瞬間、
「だからさぁ、お前の彼女、意外に地味なんだなって思って!」
てっきりあんな感じだと思ってたわ。
そう言ってけたけたと軽快に笑う虎徹さんの無邪気な声が、ぐさりと音を立てて、それはそれは見事に私の胸を突き破った。
地味。
じみ。
…地味?
だれが?
わたし?
私、地味?
ん?
「じ……地味………?」
虎徹さんの口から飛び出した一言を咀嚼しかねて呆然としていると、バーナビーさんが「ちょっと虎徹さん!その言い方は失礼ですよ!」とすかさずフォローを入れ、それにより意識を手放しかけていた私は何とか現実に引き戻された。(バーナビーさん、一緒に来てくれてありがとうございました。本当に。本当に。)
「えっ!?いや、良い意味で!良い意味でだって!地味っていうか…真面目そう?そう!そういう意味!ごめん、ちゃん!」
「い、いえ……」
勢いよく立ち上がり顔の前で手を合わせへこへこと私に頭を下げる虎徹さんに「気にしてないですから」とジェスチャーで答える。しかし、本当のところ、私は気にしている。それはもう、自分でも驚くくらい。ものすごく。
確かに自分は派手か地味かと聞かれれば百歩譲っても後者である。傍に立つのが金ピカのみんなのヒーローだからという理由を抜きにしてもだ。自覚はある。昔からそうだった。前に立って誰かを引っ張るようなタイプでもなかったし。うん。しかし、改めて他人から言われると、なんだか、なあ…いや、そもそもは地味な私が悪いんだけど。よくわからないけどそういうことにしておこうかなって、
「ちょっとちょっと!お前ら何好き勝手言ってくれてんだ。俺は見た目だけで選ばねーっつーの!」
思い始めた刹那、ライアンの無駄に大きな声がぐらぐら揺れる私の身体を更に大きく揺さぶる。酒を飲んだわけでもないのに二日酔いの時みたいに頭の中がぐわんぐわんする。むすっとした表情を浮かべるライアンに、虎徹さんが「悪ィ悪ィ」と手を合わせて謝罪をする様子を私は暫くただ黙ってぼおっと眺めていた。
このままここにいると多分、いや、絶対にもっとややこしいことになる。そうだ、私が早急に立ち去れば問題ないのだ。そうに違いない。そうしよう。別に3人でよろしくやって頂いても失礼にはならないだろうし?逆にその方が彼らにとっても、そして私にとっても都合がいいかもしれないし?うん。そんなよくわからない決意をし、私が顔を上げると、図らずもライアンと視線がぴたりと重なった。
私のことを地味と言ったことが許せなかったのか。はたまた自分は面食いだと思われていたという事実に腹を立てたのか。そのどちらかは知らないし、もしかすると他の理由があるのかもしれないが、ライアンは相変わらず硬い表情を浮かべていた。
私は『もう今日は疲れた、先に寝る』という意味を込めて目を細め鋭い視線を送り伝える。別に伝わるなんて思ってないけど、形だけでも、と。そんな私の表情を見てライアンは眉根を寄せ、首を傾げ、何かを考える素振りを見せた。
(あ、今の顔、ちょっとかわいい。かもしれない)
…なんてことを考えていると、ライアンは突然、本当に、何の前触れもなくパッと表情を明るくし、それから「任せろ」とでも言うように、徐にグッと力強く私に向かって親指を立てて見せた。その表情の変化の早さと展開について行けず、私は彼の感情に反比例するかのように眉をひそめ、顔を顰める。
待って待って。一体何がしたいの、あんたは。
「…それにな、」
私に一言も突っ込む隙さえ与えぬ(客人の手前自重したのもあるが)ライアンは自信たっぷりに口を開く。その表情に、迷いはない。眩しいを通り越してもはや神々しい。その域にまで達している。最早。
「それに?」
「…なんですか?」
そんな彼に対し、虎徹さんとバーナビーさんは好奇の目を向け、ライアンの言葉の先を待つ。バーナビーさんがちらりと私の顔色を伺うような視線を送った気がしたので、ごめんなさい、私にも彼が何を考えているのか見当がつきません、と心の中でとりあえず答えておいた。
先ほどまであんなに賑やかだった部屋が一転して、静寂に包まれる。この部屋の主人が作り出した、妙な雰囲気によって。みんなが彼の言葉を待ちわびている。
やがて、この部屋と雰囲気の主人は、コホンと大げさに咳ばらいをした後、大きく息を吸い、一息にこう言ってのけた。
「ちゃんとは夜の相性もバッチリだし、何の問題も無ぇ!」
「………………はっ!?」
私の中に流れる時間が、完全に、止まった。
「はぁ~なるほど」
どれくらい時間が経っただろう。5分?2時間?3日?1週間?1年?5年?10年?
いいや、おそらくは、数秒。
鼻の奥がつんとする。私には永遠に感じられたほんの少しの間の後、虎徹さんはのんびりと相槌を打った。
「虎徹さん、そこ納得するところじゃないです。ライアンも少しは自重して下さい」
「やーだね」
2人を嗜めるようにバーナビーさんが声をかけると、ライアンは「どや」と言わんばかりに図々しい笑みを浮かべる。
「いやいや、相性って大事だからな。うん、仲よさそうで何よりだわ」
「だろ?おっさんわかってんな」
なんというフォローだろうか。こんなフォローの仕方があるのか。あっていいのか。フォローという表現が合っているのかもわからない。そもそもフォロー、する気あったのかなこの人?あったかどうかは知らないし、結果的にこれが良かったのかどうかも…うん、知りたくない。
ただ今の私にわかるのは、虎徹さんがとても素敵な笑顔を湛え、私に春の日差しのように穏やかな視線を送ってくるという事実のみだった。
「……ッ~~~」
力を無くした私は静かに頭を抱え、半ば崩れ落ち形でその場にうずくまる。この状況を一体どうしてくれようか。誰か助けてくれ――贅沢を言っているのは重々承知。それを踏まえた上で、3人ものヒーローを目の前にして私はひたすらに途方に暮れていた。
その後ろで軽く憎たらしい2人分の笑い声と1人の溜息が聞こえる。それを聞きながら、私は今一度確信した。
やはり、この街は私には少しばかり騒がしすぎる、と。
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「……もうおよめにいけない」
「俺がもらうから良いじゃん別に」
「……」