お人好しカメレオン



「最近調子いいよね、折紙サイクロン」
「あぁ。確かに」
「前は何て言うの?ぶっちゃけ他のヒーローの引き立て役?」
「マスコット的な?」
「そう!なーんかそんなポジションだったけどさぁ」
「近頃は事件の度にポイント獲ってるし」
「完全イロモノだったもんねー、昔は。ブログ炎上したり」
「あー!あったねぇ。っていうか私聞いたんだけど、素顔結構かわいいらしいよ?」
「えぇ~うそでしょーどうせ。誰に聞いたのよそれ」
「誰だったっけなぁ……」
「ほらわかんないんじゃん」
「同じ会社の私らでも知らないんだからさー」
「まあヒーローにこの手の噂は付き物だもんね」
「夢が広がるね」
「あはは」

女というのは基本的に噂が好きな生き物である。
就業時間終了後のロッカールームはまるで噂が咲く花畑のようだ。
常々気になっていたことの真相からできれば知りたくもなかった事実まで、そこら中に散らばっている。
は先輩社員たちの止めどない噂話をBGMに、なんとも言い難いむず痒い思いと表情をぶら下げながら、ロッカーの中に放り込んだ荷物を纏めていた。

本当のことを言ってしまえば、自身も一般的な女子と同じく、それなりに噂話を好む。
噂であれ学問であれ、知らないことを知ることは楽しい。
普段通りであればも手を止め積極的にその花畑の中へと入っていくものだが、今は話が別である。
何故か。
――その答えは、「話題が周りには内緒で付き合っている自分の恋人についてだから」という、それはそれはシンプルな、しかし当の本人にとてみれば大層複雑なものであった。

先輩たちの黄色い声を耳で捉えつつ、は自分のロッカーの内側にひっそりと貼った折紙サイクロンのヒーローカードへと目をやる。
このカードをここに貼って、もうどれくらい経つだろう。剥がれかけたセロハンテープがその月日――彼とが今のような関係になるまでの全てを静かに物語っているようだった。

折紙サイクロンことイワン・カレリンはが勤めるヘリペリデスファイナンス所属のヒーローである。
その能力は擬態。
人物、有機物、無機物問わず、触れたものになら何にでも姿を変えることができる。
聞こえは良いが、人命救助や犯罪者の確保が主たる仕事であるヒーローにとっては使い所が難しい能力のひとつであり、実際に先輩社員が噂しいる通り、以前は鳴かず飛ばずのいわゆる(本当はもこういう言い方をしたくはないのだが)落ちこぼれであった。
しかし、最近は本人の弛まぬ努力の甲斐もあって、少しずつではあるが確実に活躍の場を広げ始めている。1番近い場所からずっと見守ってきた自分がそう思うのだから間違いない。はそう考えていた。

2人は同じ会社に勤めてはいるが、が所属するのは総務部。
イワンが出入りするヒーロー事業部とは全く別の部署である。
よって会社内ではあまり顔を合わす場面は無いものの、丁度今のように社内で折紙サイクロンの話題を耳にしたり、廊下に貼ってあるポスターなどで彼の姿を目にする機会は多く、その度にの胸中は自分のことのように嬉しいような、誇らしいような、照れくさいような、でも悪くはない、そんな生ぬるい気持ちで満たされるのであった。
剥がれかけたセロハンテープを指でなぞり、は人知れずにこりとロッカーの中の恋人に笑いかける。
イワン、あなたの頑張りは確実に評価されてるよ。よかったね。
そんな甘酸っぱい思いを込めて。
「お先に失礼しまーす」
は鞄を肩にかけながら飽きもせず噂話を続ける先輩たちに挨拶をする。
彼女たちの噂話の中心人物はいつの間にか、折紙サイクロンから他部署の新入社員に移っていた。
女は噂話を好むが、興味の対象が移り変わるのもまた早い。
やはり、そういう生き物なのだ。
「お疲れ様、ちゃん」
「おつかれー」
「ばいばーい」
口々に返される挨拶に軽く会釈をし、は帰路についた。

オフィス街のど真ん中に位置する会社の外は自分と同じように帰路につくビジネスマンの姿が多く見られる。
繁華街とはまた違った意味で活気のあるこの地区を歩けば、意識せずとも自然と背筋が伸びる。
仕事が億劫に感じる時も勿論あるが、その心地よい緊張感がは嫌いではなかった。
今日はイワンも早く帰ってくると言っていた。急いで買い物を済ませ夕飯の用意をしなくては。
は茜色に染まった人ごみの中を背筋をぴんと伸ばし、縫うように歩いた。

が今日のように仕事の帰りに夕飯の買い物に行くことはあまりない。
ほとんどはイワンと、2人とも休みである週末に揃って出かけるのだが、先週末は立て続けに事件が発生し、イワンは殆ど家を空けていた。
別にひとりで出かけてもよかったのだが、イワンが『事件発生中に出歩くのは危ないから』と言って聞かず、それを良しとしなかった。
自宅と現場はかなり離れているのにも関わらず、だ。
どれだけポイントを獲っても、どれだけ強くなっても心配症なところ、そして持ち前の優しさだけは変わらない。
自分だけに向けられる、イワンの些細な擽ったい気遣いを思い返し、は人知れず頬を緩めた。

手早く買い物を済ませ店から出たは、再び自宅へ向けて歩き出す。
なんとなしに空を見上げた際偶然視界に入った、ジジジと無機質な音をたて点き始めた街灯のまぶしさに思わず目を細めた。
間もなく星の街と呼ばれるこの街がその名の通り一番輝く時間がやって来る。
(近道、しようっと)
は調子外れの鼻歌まじりに路地裏に靴音を響かせる。
薄暗い路地裏は自宅までの近道にはなるのだが、舗装状態があまり良くないためは普段あまり進んでは通らない。
恐らく最後に通ったのは二月ほど前か、あるいはもっと前か。
しかし偶にはこうして気分を変えて通ってみるのも悪くないと、猫になったような気分で細っそりとした路地を行く途中、ふと道端に積み上げられた瓦礫がの目にとまる。
瓦礫の山の付近では、汚れた作業着に身を包みヘルメットを被った作業員らしき人物が2名、熱心に話し合っていた。
その姿を見て、は思わず自宅へと急ぐ足を止めた。
(…ここもまだ、片付いてないんだ)
は灰色の山とふたつの影を捉えながら、じわりと顔を顰めた。

約1ヶ月前、この街は数名のNEXT能力者によって壊滅の危機に瀕した。
結果的にはイワンを含む9人のヒーローの活躍により最悪の事態は免れたが、その傷跡は大きく、また事件解決後もシュテルンビルト最大の危機としてメディアは大きく報道していた。
しかしメディアもまた女と同じく噂が好きで飽きやすく、ひと月も経てば事件が起こったジャスティスデーの日の話題が報道される機会も格段に減ってきている。
それでも、例えメディアは飽きて忘れたとしても、あの事件があったことはまぎれもない事実であり、実際に街を歩けばまだまだ損傷した建物は多く目につき、あちこちに目の前にあるものと同じような瓦礫の山が見られる。
それに、傷ついたのは建物だけではない。
何の罪もない市民、観光客、警備に当たっていた人――そしてヒーローたちも、だ。
先輩たちが噂をしていた通り、イワンは確実に活躍の場を広げている。
誇らしくもあるが、それは同時に、また“あの時”のような危険な事件の中に飛び込む可能性があるということも静かに示唆しており、その事件の名残である瓦礫を前にしたの胸はきりきりと締め付けられた。
頭ではきちんとわかっている。わかっているつもりである。それが彼の仕事だということを。誰かを救うこと、それが彼の願いだということを。
それでも彼と過ごす時間が増えるのと同時に、心の何処かでそれをわかりたくない、彼を失いたくないと拒否する気持ちも大きくなるのだった。

彼は確かに強くなった。
では、隣に立つ自分はどうだろうか。
彼のために、自分に何かできることはあるのか。
自分は、一体――

(やめよう、)

淀んだ気持ちが自身の中にふつふつと芽生え始めたことに気がつき、は瓦礫と作業員から無理矢理視線を逸らし、再び足を早めた。
まるでその場所――本来彼の居るべき場所から逃げるように。
心なしか、遠ざかるその靴音は寂しげだった。

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「…でね、その時スカイハイさんが、」
「……」
「…?」
「…えっ?あ、ごめん?」
自分の真正面で律儀に正座をして夕食をとるイワンの呼びかけには驚き、思わず右手に持っていた箸を落とす。
――駄目だ、完全に意識が飛んでいた。
カラカラと軽い音を立てテーブルを転がる2本の箸を拾い差し出すイワンにが小さくお礼を言うと、イワンは何も言わないかわりに微かに眉を下げた。
、何か考え事してたでしょ」
「…別に、」
やんわりと、しかし的確に自分の隙間を突いてくるイワンにの心から苦い感情が溢れ始める。
それが表面に出ないよう、はイワンから受け取った箸を握る手に力を入れた。
「ごはん、固かった?」
自分の顔を覗き込み、心配そうな声色で尋ねるイワンには首を横に振って答えて見せる。
「ちょうどいい」
「体調、悪い?」
「ううん、元気よ」
「今朝なかなか起きなかったこと、怒ってる?」
「怒ってない」
「じゃあ、会社で何か…」
「いや、ほんとに何もないってば」
心配いらない、とは気丈に笑ってみせる。
本当のことを言えば、帰り道にぽっと浮かんだ自分の中にある蟠り、葛藤をそのまま伝えてしまいたかった。
しかし、今のには自分自身が何を考えているのか、どうしたいのか、うまく言葉にできる自信がなかった。
箸と茶碗を持ち直し、はイワンが炊いた文句の付けようがない完璧な白米と共にそれを飲み込んだ。
このもやもやした気持ちも胃の中でごはんと一緒に溶けてしまえばいいのに。そんなことを考えながら。

が食器の片付けを終えイワンの居る居間に移動し、食事中からずっとかけっぱなしにしていたテレビに目をやると、HERO TVの特番が放送されていた。
最近あった事件のダイジェストとそれぞれのヒーローの動きについて、踏ん反り返ったコメンテーターがにとってはわかりきった、あくびが出そうなほど退屈なコメントをしている。
『注目すべきは折紙サイクロンでしょうかね。以前からじわじわときていましたが、ジャスティスデー以降特に――』
(………)
コメンテーターのせいで再び胸中に芽ばえ始めた淀んだ想いを抱えながら、が熱心に見入るイワンの隣に寄り添うように座ると、イワンは擽ったそうにぴくりと肩を揺らした。
「……今日ね、」
恐る恐る。そんな言葉がふさわしい。
イワンの手を取りながら、慎重に、割れ物のように、大切そうに言葉を紡ぎ始めたにイワンは視線を移す。
「うん?」
「今日…会社でもね、先輩たちが折紙サイクロンの話してたよ」
「えっ、なんて?」
期待と不安が入り交じったような、入り組んだ表情を浮かべるイワンには今できる限りの精一杯の笑顔を向けて見せた。
「んーとね、最近がんばってるよねーって」
「…本当に?」
頬の筋肉に壮大な違和感を覚える。
そんなとは対照的に、イワンはぱっと表情を明るくした。
「私、嬉しくって嬉しくって。自分のことみたいに喜んじゃった。もちろん心の中でだけどね」
嘘ではない。
確かに嬉しかった。誇らしかった。
しかし実際に言葉にすると、何故だか妙に嘘くさく、安っぽく思えてしまう。
だがそう思っているのはだけのようで、イワンは無邪気な笑顔を湛える。
それが余計に、の心を締め付けた。

「自分のことじゃないのに、ね」

そう、今にも消え入りそうな声で呟けばイワンは不思議そうに首を傾げる。
こんなに近いのに、自分たちの間には大きな深い溝があるようだと、は感じていた。

自分以外の“誰か”に起こる全てのことは、自分のことではない。
全て他人事として片付けられる。
いくら近くにいたとしても、どんなに長く一緒に居たとしても、どれだけ深い関係だったとしても、自分は他の“誰か”にはなれない。
“誰か”の気持ちを知ることも、“誰か”が見ているのと同じ景色を見ることも、“誰か”の痛みを代わりに背負うことすらも叶わない。
そうだ、自分はイワンではない。
自分には誰かを守る力なんてない。
至極当たり前のこと。
自分は無力だ。
どうしようもない。
しかし、にとってはそれが堪らなく悔しいのであった。
「――私、イワンになりたかったな」
「…………え?」
「イワンと同じ能力が欲しかった」
「……」
「もしも私もイワンみたいに、擬態できたら。私にその力があったら、」
しんとした部屋の中に、テレビの音との声だけが響く。

「その力があったなら、イワンになれたのに」

喉の奥が苦くなるのを感じながら、は突き放すように言った。
(何を言っているんだろう、私は)
ふいに訪れる沈黙が、一段との表情を曇らせた。
「……は僕の姿になって、何がしたいの?」
突拍子もない自分の発言に対し、大して驚くそぶりも見せずただ静かに笑い沈黙を破ったイワンを、は意外に思った。
恐らく出会った頃であったらこんな反応はしなかっただろう。
――でも、今はもうあの頃ではない。
もイワンも、街も、時間も、あの頃とは違う。具体的に何が違うのかと聞かれれば返答に困るのだが。
自分を受け入れるように笑うイワンの姿に、の心の中で突っかかっていた何かが外れる音がした。
「…例えばね、」
「うん」
「この前みたいに危険な仕事の時とか、私が代わってあげるの」
「うん」
「そうすればイワンは傷つかなくて済むもの」
「……うん」
「イワンが逃げたいときも、」
「……」
「疲れてるときも、私が代わりにね、」

ぽつりぽつりと血色の良い唇から溢れる言葉をひとつひとつ丁寧に拾いながら、イワンはに呼びかける。
しかしは力なく空を見つめたまま、譫言のように決して繋がらない言葉を次々に生み出した。
「私が、」
「ねぇ、
「私、」
「もういいよ、
イワンが咎めながらの肩をそっと抱き寄せると、はそれを拒むこともなく、なされるがままにイワンの肩に頭を預けた。
イワンの服からは微かに、夕飯の焼き魚の匂いがした。
「……わかってるよ。私にも。そんなこと、できっこないってこと、わかってる。できないこと、私にだって、わかってる」
わかってる、わかってる。
呪文のように、その言葉を何度も口にする。まるで自分自身に言い聞かせるかのように。

それからは堰を切ったように、イワンの肩越しに次々にあふれ出てくる自分の気持ちを吐露した。

自分の大好きな人を褒められるときの誇らしさ。
“みんなのヒーロー”の意外な一面を知っていることに対する優越感。
帰り道に見た瓦礫の山。
そして今まで一度も告げることのなかった、ひとりでイワンの帰りを待っている時の不安な気持ち。

上手く話せたという自信は全くと言っていいほど無い。
しかし、イワンはただただの話に相槌を打っていた。

「でも、イワンはイワンにしかできないもんね」

とめどなく溢れる言葉に終止符を無理矢理打つように、微かに震えの残る、しかし芯の通ったが言う。
それに対してイワンは何も言わず、ただの背中に回した腕に力を込めた。

「私にできること、あるかなぁ」

知っている。ここで泣くのはずるいということを。
それでも言葉と一緒にいつの間にか溢れ始めた涙は止むことがなく、は嗚咽交じりにつぶやいた。
頬にかかるイワンの伸びた髪の毛。
背中に回された体温。
伝わる規則正しい鼓動。
これらを失うことが、には守りきれないことが、たまらなく怖かった。

「僕の代わりは僕しかいないけど、」
たっぷりとした沈黙の後、の啜り泣く声が虚しく響く室内に、イワンの心地よい声が溶ける。
はすん、と短く洟をすすり顔を上げ、それに答えた。
「…ん」
の代わりも誰にもできないから」
「……」
をやっていてくれれば、それでいいよ、僕は」
「………。…私は、このままでいいって、こと?」
「うん」
ぐ、とイワンの胸に手をつき、はイワンの腕から抜け出して向き合う。
驚いたように口をぽかんと半開きにして自分の顔をまじまじと覗き込むの瞳をしっかりと捉えながら、イワンは照れ臭そうに小さく笑い、それから何かを決意したように口を開いた。
「僕も、僕のことをそんな風に真剣に考えてくれる今のを、誇りに思うよ」
が僕のことを誇りに思ってくれているようにね。

イワンの言葉にはぱちぱちと瞬きをし、それから愛おしむようにイワンの頬に震える手を添える。
それに答えるように、イワンもそっと自分の右手を重ねた。

「…私、変わらなくていいの?」
「うん」
「イワンを、守れない、今のままで?」
「もちろん」
「瓦礫の撤去もできなくて?」
「いいよ」
「イワンの髪の毛も上手に切れなくても?」
「あはは、」
「卵焼きも、あんまり上手に作れないままで?」
「……うーん、それはちょっとだけ上達して欲しいかな」
矢継ぎ早にされる質問に答え穏やかに笑うイワンに、目にいっぱい涙を蓄えたも思わずつられて笑った。

自分は彼のように強くはない。
これから強くもなれそうにない。
それでも、彼はそれで良いと言う。
何もできないままで良いと言う。
ただ想っているだけで良いと言う。
それどころか、そんな自分が、誇りだと言った。
自分にはわかる。
それは慰めでも同情でもない。
彼の澄んだ瞳がそれを証明している。

(嗚呼、私はその一言をずっとずっと待っていた気がする)

何か、ずっと長い間自分を縛っていたものが解けていくような。
はそんな感覚に浸っていた。

「ありがとう、
暖かな感情が胸中に広がり始めたを再び抱き寄せ、イワンは耳元で囁くように零す。

でいてくれてよかった」

そう告げる唇には自分のそれを静かに重ねる。
それほど長くないキスの後、が額と額をくっつけながら「…卵焼き、じょうずに作れるようになるね」と控えめな声で言うと、イワンは少し驚いた表情を浮かべた後、「期待してる」と唇を綻ばせた。

title:お人好しカメレオン(UNISON SQUARE GARDEN)