言葉とは、人間の想いや感情を伝えるためだけに存在すると言っても過言では無いツールである。
それが無ければ人間はいつまで経っても他者と交じり合うことができず、良い意味でも悪い意味でも、そこからまた新たな何かが生まれることは決してない。
――一方、それに対して「目は口ほどに物を言う」という古い言葉もある。
人間のありとあらゆる感情を目は最も顕著に表す。即ち、「言葉など用いずとも感情は伝わる」というのだ。
どちらがより正しいかと聞かれれば、恐らくは「ケースバイケース」。そう答える他ないのであろう。きっと。
それが息をするのにも苦労する、大人社会で生きていく上での暗黙のルールというやつである。
いずれにせよ、どうでも良いこと、できれば隠しておきたいことほど自分の意図とは裏腹によく伝わって、本当に伝えたいことほど伝わらない。伝えられない。自分の経験上、そういうものなのだと認識している。
本当に、この世は創造主にとって都合良く出来ている。
(一体どんだけ暇なんだろうな、神様って奴はよ)
そんなことを考えながらライアンは短い溜息をひとつ零し、射るような視線を街の中心にそびえ立つ女神像から自分の隣に座り小難しい顔で新聞を広げるに移した。
「『タイガー&バーナビー、再結成。重力王子、電撃移籍』」
「…なあ、照れるからあんま声に出して読まないでくんない?」
「そんながらでもないでしょうに」
「はっ、バレたか」
間延びした声で新聞の見出しを読み上げると、その横でベンチに深く腰掛けどっかりと足を組むライアン。
ふたりの頬を撫でる風からは軽快な音と匂いがする。
夏を先取りしたようなからりとした空気の中、ころりと鈴が転がる音に似た笑い声を響かせるにつられるように、『重力王子』その人であるライアンも自然と唇を綻ばせた。
「…っていうかその新聞いつのだよ?結構前のじゃん?どこで手に入れたの?」
先ほどからが両手いっぱいに広げる新聞を上体を起こして覗き込み、ライアンは尋ねる。
するとは待ってましたと言わんばかりにすんと鼻を鳴らし、得意満面な笑みを浮かべた。
「近所の人が廃品回収に出す用に縛ってる束の中から、こっそり拝借しました」
「………はぁぁあぁぁあ………?」
「なに?どうせ捨てるんだしいいじゃん」
記念だよぉ記念。
心底楽しそうに言うに返す言葉を選びきれなかったライアンは、ただ何も言わず、再びベンチの背もたれに体を預け、そのままずるずると10センチほど座高を縮めた。
は時折、ライアンの想像の範疇をひょいと軽く超えるような行動をとる。
自分以外の人間は皆他人。
ひとりひとり、個々の人間であるが故に他者の考えや行動が読み取れないというのはごく当たり前のことだ。
しかし、大抵の場合はある程度付き合っていくうちになんとなくだが「多分こんなこと考えているんだろう」という予測がつく。
伝わってくるのは目からだけではなく、ちょっとした所作だったり、つぶやきだったり色々だが。
それが不思議なことに、彼女に関してはいつまで経っても全くそれがかなわない――はライアンが今まで出会った中でもとりわけ『読み取る』ことが難しい。そう感じさせる人間だった。
良い香りがする方へする方へ、気の向くままに歩む姿。
ころころと次から次へと変わる表情。
笑顔の裏に垣間見える、うっすら雲がかかった瞳。
それら全ての理由、意味。
――わからないから、知りたい。
――わかっていたいから、知りたい。
そんな単純すぎるにも程がある「知りたい」一心でライアンは本能のまま幾度も歩み寄ってはみるのだが、いつだって波のように、掴もうとしたその瞬間きれいに取りこぼしてしまうのだ。
やはり目は口ほどにものを言ってくれなどしない。
本当に知りたいことに関しては。
「出発、いつだっけ?」
適度な沈黙の後、ぱさりという紙が立てる軽い音と共に紙面から顔を上げたが尋ねる。
「……あさって」
対してライアンは、今までの霞掛かった考えを払拭するように、大きな欠伸をしながら答えた。
「ねぇ、あっちって寒いの?暑いの?」
「さーな。シュテルンビルトと同じくらいじゃね?」
「適当!自分のことなのに!」
「だって行けばわかることじゃん。今から心配しても疲れるだけだろ」
「そういうもん?」
「そういうもんなの」
「………へぇ?」
「んだよぉ~~その目は。ったく心配性だなあ、ちゃんは」
「心配するよーそりゃあ」
新聞を大切そうに丁寧に折り畳んで膝に置き、眉を下げて困ったように笑うに視線を移しながら、ライアンは「心配?」と今し方自分に向けられた言葉をそのまま繰り返す。
「うん!しんぱい!」
心配。
不安。悩み。心の中にあるひっかかり。
――本来その言葉が意味するものや感情とはほど遠い。
そんな明るい表情と声色でライアンの方へ体を乗り出すの隣で、片眉を上げながら、ライアンは腰を浮かせて座り直した。
「…なんで?」
彼女のことに関して“わからないこと”には慣れっこだ。
しかし、わからないからといって知ることを諦めはしない。
背筋を伸ばしてライアンが問えば、は面食らったようにぽかんと口を開け、ぱちぱちと数回瞬きをする。
それからふと我に返った様子で大袈裟に腕を組み顔を伏せ、「うーん」と唸りながら考える素振りを見せた。
再び訪れる沈黙。
それがふたりの周囲に満ち始めた頃、は何の前触れも無く突如、夏に咲く背の高い花のような笑みを浮かべ、
「だって、大切な友達のことだもの」
そう、これしかない。と、確信に満ちた力強い口調で言い放った。
(嗚呼、)
ともだち。
だから、心配。
そう言う彼女の言葉には嘘も偽りも、それ以上の意味も理由も何も無い。
わからないが、それだけはわかる。
そしてこれは、運命の悪戯でこの街に来て偶然と出会い、知り合いになり、そして友人になり、彼女のことを知りたいと思い続け、願い続け、歩み寄り続けてきたライアンが、初めてに関して自信を持って「わかる」と胸を張って宣言できることだった。
(――なるほど、な)
その瞬間、ライアンの中でかちりと欠けていたパズルのピースがはまる音がした。
「……っ…ははっ」
の言葉をやや時間をかけて嚥下したライアンは表情を和らげ、掌で口元を覆い肩を震わせる。
眉根を寄せ、難しい顔をしていたライアンが突然声を上げて笑い始める――その一連の流れを見ていたは心底驚いた様子でライアンの方へ体を向けると、ぐっと身を乗り出した。
「えっ?えっ?なに?どうしたのライアン?」
「…いーや、なんでもねぇよ」
「そんなわけない!気になる!何よ~?」
もう片方の手をひらひらと顔の前で振り、前のめりになる自分を軽くあしらうライアンに、は不満の声を上げる。
それから暫く「教えろ」「ケチ」「気になる」などと喚き散らし、時折ぽこすかと軽く握った拳で胸や肩を叩きながら粘っていただったが、やがて諦めたように溜息をひとつ吐くと、すとんとベンチに座り直し髪をいたずらに指先に巻き付けた。
のそんな、喉に魚の小骨が引っかかったような釈然としない表情に、ライアンは密かに今までの自分自身を重ねる。
どうでも良いこと、できれば隠しておきたいことほど意図せずとも伝わって、本当に伝えたいことほど伝わらない。伝えられない。
本当に、この世は創造主にとって都合良く出来ている。
けれども、もしかすると、このことに関して創造主は実のところ一切関係なく、想いや言葉自身が伝えるべき時を選んでいるのではないだろうか。
意図せず伝わってしまう想いは今伝わるべきだと判断したから表面に出た。
伝えたいと思う言葉は「まだその時じゃ無い」と判断したから伝わらない。
想い・言葉自身がそれを選んでいる。
もしそうだとしたら――
『大切な友達』
それがとライアン、今現在のふたりの関係。
きっと、ライアンがの想いを汲み取ることができないのは、ふたりがこの関係である以上、“まだ”伝わるべきではないからなのだろう。
いつか来るであろう未来。伝わる・伝えるに相応しい関係にふたりがなった時。
今ライアンが伝えきれず、心の中に抱える想いはその時に、伝えるべきことなのかもしれない。
――果たしてその時が本当にやってくるのかどうかはわからないが、今はただ、彼女が待つ未来を願う他無い。
遠く離れた、海の向こうで。
「…そうだなあ」
『大切な友達』の
姿を横目で捉え、ライアンはうっすら目を細めて体を捻る。
は先ほどのライアンの態度によってすっかり機嫌を損ねたようで、だんまりを依然として決め込んだまま静かに顔を上げた。
そしてふたりは無言で乾いた視線を交わし合った後、やがてライアンは唇の端をニッと上げ、悪戯っぽく笑った。
「ちゃんがもうちょっと大人のイイ女になったら、教えてやるよ」
来るべき時。
彼女が居る未来。
その場所に向かって一歩を踏み出すから、どうか待っていて欲しい。
行き場の無い願いを込めて、ライアンはの頬に手を伸ばす。
そんなライアンの姿を暫くきょとんと見つめていただったが、すぐに頬に添えられた手に自身の手を重ね、
「うん。待ってる」
ライアンが記憶している中で、ふたりが出会ってから今までの間で一番だと言える笑顔を浮かべた。
inspired by:はじまりのうた(フジファブリック)