私は孤独だ。私は寂しい。
いや、別に私だけが特別なのではない。元来人間はみんなそうなのだ。
人は生まれながらにして孤独である、とは誰の言葉かは忘れたが、よく言ったものである。
平凡な家庭の子であろうが有名人の子であろうが一国の王の子であろうが、皆平等に、母親の胎内から一度出れば実質ひとりの人間、個人として生きていかなくてはならない。
例外なく、古来より、人間は皆そうしてきた。
――しかし、生まれて間もない赤ん坊や子ども、そして大人だって、ずっとずっと自分ひとりの力だけで生きていけるかと聞かれればそんなことはなくて。
故に人間は生まれながらにして本能的に愛情を求め続け、愛され、養育され、時に利用して、自分という存在を認められたくて、やがて恋をするのだ。
上手くいかなくたって、飽きること無く、繰り返し、繰り返し、何度だって。
(別にしなくてもいいのに、ね)
心の中で誰に聞かせるでもない悪態をつきつつふと空を見上げれば、頭上には数千、数万もの人工的な灯りが爛爛と輝き、私の頬を明るく照らす。
ずび、と人気が無いことをいいことに色気も無く豪快に洟をすする。
鼻の奥がつんと苦くなり、なんだか妙に懐かしい気持ちになった。
ゴールドステージの外れ。私には到底手が届きそうにないような高層マンションが立ち並ぶ区域。
その隙間にある、すべての人から忘れ去られたような小さな公園。
真ん中にぽつねんと申し訳程度に置かれた塗装の剥がれかけたベンチ。
その上で、私はもう随分と長い間こうしている気がする。
1時間。2時間。もっと、かもしれない。
ひとりぼっちの私にどのくらいの時間が経ったのか教えてくれる人は誰もいないけれど、手の中にある温かかったはずの缶コーヒーの冷たさだけがそれを静かに証明していた。
いい加減帰ろうかな、と何度も思った。
しかしいざ立ち上がろうとすると、怪我をしているわけでも疲れているわけでもないのに踵に力が入らず、再びぺたりとお尻がベンチに触れるのである。
それはさながら磁石のように。
諦めないことは悪いことではない。
しかし頑固すぎるのは考えものだと、我ながら思う。
結局自分を苦しめることにしかならないのに、身を削って、ボロボロになって、すがり付いて。
ほんと、馬鹿みたいだ。
(待っていても来ないよ)
わかってるよ。
(もう、帰ろうよ)
そうしたい。
(ほら、立って)
うん、でもね――
バラバラに切り離された心と体。
それらを持て余し、どうすることもできない私は、叫ぶでもなく。涙を流すでもなく。
ただただ、深いため息を吐いた。
「ちゃん。夜遊び?」
「……あ」
私のため息が寂れた公園中に溶けわたった頃。
突然現れた、街灯が作る影。それを捉えて、私は思わず息が漏れたような声を上げる。
自分の爪先の数10cm先。
黒いブーツ、ボトムス、鍛えられた逞しい上半身。
それらを下から上へと順に捉え、最後にすっかり見慣れたにやけ面を拝んだ。
「ライアン」
きゅっと締まった喉の奥から、意図せず彼の名が飛び出す。
しわしわの情けない声だったが、それを笑うでもなく、返事をするでもなく、ライアンは黙ったまま唇の端をキッと吊り上げた。
「ダメだろ~こんな時間にひとりでふらふらしてたらぁ。どこで悪い男が見てるかわかったもんじゃねーよ?」
「………あんたみたいな、ね」
「おう。そのとーり」
私が言う皮肉を、ライアンはいつもと変わらない眩しすぎる笑顔で跳ね返す。
いつもの調子。いつものやりとり。
しかしその曇りの無さ、透明さが、今の私にとっては少しだけ苦しかった。
思えば、彼は私が今のようにひとりでいるときにふらりと現れることが多かった。
最初はいつだっただろう。
確か、ちょうど今日みたいな夜だった。
月は無くて、雲もなくて、高い空に見下ろされて。
寂しい寂しい夜だった。それだけは覚えている。
そして何度かこういうことがあった後、酒の席で「私のこと、つけてるの?」と冗談混じりに聞いたことも、あった。
その時に彼がなんと答えられたかは忘れてしまったけど、それは今はどうでもよかった。
彼の顔を見ると妙に安心するのは、確かだったから。
「ちゃん、何してたの?」
「……何もしてなかったよ」
「ふーん?」
あやしい。
と、彼の顔にはありありと書いてあった。
しかし腕を組み替えただけで、それ以上の追求はしなかったし、これからして来るような様子もない。
恐らくは私から出てくる「ワケあり」オーラを読み取ってのことだろう。
普段は土足でずけずけと人の心の中に入ってくるくせに、こういう気遣いもできてしまうのだ。この男は。
そういうところが、本当に、
「…ライアンは何してるの?」
「俺?」
「うん。家、この辺だったっけ?」
尋ねると、彼はぱちぱちと数度瞬きをする。
それからバツが悪そうに、眉間に浅い溝を作った。
どうやら、私の指摘は些か鋭すぎたらしい。彼にとって。
手の中にある缶コーヒーを意味もなくころころと弄びながら、私は顎に手を当てて真剣に考え込み始めた彼の言葉の先を待つ。
辺りは相変わらず耳が痛くなるほど静かだ。
しかし先程、一人で過ごしていたときの静寂とはまた違った音がする。
上手くは言えないけど、そんな気がした。
「あー………」
「うん」
わしわしと頭を掻き言葉を選ぶ彼に、真っ直ぐ好奇の視線を送る。
少しいじわるかな、とも思ったが彼のことが気になるのも事実。
私に今更退く気など無かった。
――彼は多分、私のことが好きだ。
実際に「好き」と言われたわけでは勿論無い。
しかし、なんとなくわかる。
こんなことを言ったら彼のファン達から「自惚れるな」と罵声を浴びせられるに違いないけど、本当に、なんとなくわかるのだから仕方ない。
ひとりで居たくない時に、今日みたいに何食わぬ顔でふらっと現れる。
文句を言い、時に腹立たしいほどの茶々を入れつつも、私の話を最後まで聞いてくれる。
私のいじわるな指摘に対し、適当に誤魔化すこともできるだろうに、真剣に答えを用意しようとする。
それから、それから、それから――
頭の中に並べる好意の判断材料。
大切な宝物であるそれらひとつひとつを抱きしめることが出来ない代わりに、私はぎゅっと缶コーヒーを両手で包み込んだ。
「……そう、俺は、あれだ」
「うん」
何の前触れも無く紡がれた明るい声に顔を上げ、私は彼の視線と自分の視線を絡める。
どうやら、良い答えが出たらしい。
先ほどの険しい表情から一転。
この上なく晴れやかな顔で、彼は言った。
「何もしてない人の隣に座ることに決めたところだ。たった今、な」
「………なにそれ、」
「よっ、と」
彼の予期せぬ答えに今度は私の方が面食らって、言葉を失う。
ぱくぱくと口を開け閉めしていると、詰めろ、と手で指示され、気乗りはしなかったが腰を浮かしてほんの気持ち体を右側に詰めた。
するとライアンは間髪入れずに私の左隣に腰を下ろす。
新たな体重を受け止めて、古いベンチはぎしと、微かにしなった。
「…ふう」
「……強引だなあ」
「は?ベンチにくらい座らせろよ」
「ま、いいでしょう。公園はみんなのものだからね」
「だろ」
静かな公園に、ふたりの笑い声がわんわんと響く。
ひとりぼっちがふたり、夜の公園で息をする。
ひとりとひとり。
決して交じわることのない視線。
けれども、見つめる先は同じ。
同じ故に、交わらない。
同じ想いも、交わらない。
「ライアン」
「あ?」
「…………」
「んだよ?」
「……肩、貸して」
返事は無かった。
しかし、微かに首を左へと倒すのを、私は辛うじて横目で捉える。
都合良く解釈した私は躊躇いなく、少しだけ広くなった彼の肩にこてんと頭を預けた。
私は孤独だ。私は寂しい。
彼も孤独で、彼も寂しい。
寂しいから、恋をする。
だから彼は多分、私のことが好きになり、私も多分――彼のことが好きになった。
ひとりとひとり。
すきとすき。
おそろいの想いは、交わらない。
でも、哀しくはない。
強がりでもなんでもなくて、本当に。
だって、
「ちゃん」
「うん」
「高くつくぜ?」
「……うん」
いま、こんなにも近くに、いるのだから。