勇敢なヴァニラアイスクリーム


例えば、僕が履いてきた靴。
例えば、彼女が髪を結っているリボン。
例えば、先刻店に入るときにすれ違った少年が持っていた赤い風船。

一見して共通点のないように思えるそれらに共通している、ただひとつのこと。
それは、幾つかの選択肢の中から選ばれたものであるという点だ。
人生は選択の連続だなんて大袈裟に言う人もいるし、まあ確かにそれは間違っちゃいないと僕は思う。
人は生きている限り何かを選ばなくてはならない場面に遭遇し続ける。
かく言う僕も例外ではない。
振り返ってみれば、自らの意志で学問の道に進むのではなく今の仕事を選んだわけだし、今日は大切にしている手裏剣の手入れではなく友達のちゃんと出かけることに決めたわけだし、先日買ったばかりのスニーカーではなく履き慣れたブーツを選んで履いてきたわけだし。
このように、ちょっとした“選択”ならそこらじゅうにいくらでも溢れている。
大きなものから小さなもの、「これだ」とぱっと決められることから、眉間に皺を寄せて腕を組み、「うーん」と低い唸り声を上げながら選ばなければならないものまで。

――そう、まさに今の彼女のように。

「どれにするか決まった?」
「うーん……まだ。イワンは?」
「決めた」
「そっかぁ」
腰を折り、サックスブルーのブラウスから覗く白い腕を組んで顎に手を添えるちゃんは、ショーケースの端から端までを綺麗に彩るアイスクリームから目を離すことなく答える。
その表情はまさに真剣そのものであり、アイスを選ぶというよりかは人生に於ける重要な選択を迫られている人のようだった。
僕が「ふっ」と自然と漏れてきた笑い声を誤魔化すかわりに顔を上げると、ショーケースの向こうで他のお客さんの注文を聞いている店員さんと視線がぶつかる。
何故だか妙に焦って反射的に軽く会釈をすれば、「どうぞごゆっくり」という意味が込められているのであろう。アイス屋さんにはあまり似つかわしくない、少しだけ苦そうな笑みを向けられた。
「……ああ、駄目だ!私にはひとつになんて絞れない!」
そうこうしていると、やがてちゃんはやけになった子どものような声を上げてショーケースから目を離し、文字通り頭を抱えながら壁際に立つ僕を振り返った。

女の子は優柔不断なもんだと冗談ぽく誰かが前に言っていたけれど(確かタイガーさんだったような気がする)、ちゃんはその理論でいけばどちらかと言うと男の子っぽい。
頭の回転が速いし、思い切りも良い方だと思う。もちろん、良い意味で。
加えて1度「こう」と決めたら譲らない節もあるようで、持ち前の行動力も相まって休みの日には行きたいと思った場所を目指し、あちこちへと繰り出しているようだ。
それに元はと言えば、ふたりでどこに行こうかと話していたとき、この新しくできたアイス屋さんに行きたいと言い出したのもちゃんの方だった。
迷うことなく、躊躇うことなく、なんでも自分で決めてしまう。
そんなちゃんを悩ませるこの宝石みたいなアイスクリーム達はかなりの大物だな、なんていうどうでもいいことを考えると同時に、普段あまり見られない彼女の表情に胸が高まるのを僕はひっそりと感じていた。
「…それで、ちゃんはどれとどれで迷ってるの?」
心なしかいつもより小さく感じる背中に声をかけながら僕はちゃんの隣に並び、控えめに横顔を覗き込む。
彼女は少し驚いたように目をぱちぱちとさせたあと、指先を摺り合わせ、照れくさそうに笑った。
「どうにかふたつには絞り込んだんだけど……」
「うん」
「あっちの桃のやつと……この、こっちのチョコが入ってる、バニラの…」
まよう、まよう、としきりに口の中で繰り返し、ちゃんは再び腕を組む。
しかし、浮かべている表情は数分前までの険しいものとは違う。
眉はへにゃりと下がり、うっすら目を細め、口元はふわりと緩んでいる。
迷いながらも、迷えることがたまらなく嬉しい。そんな雰囲気すら感じさせるような不思議な印象を受けた。

幾つかの選択肢の中からどうしても何かを選ばないといけないとき。
最後に選択の後押しをするのは、過去の自分の経験であることが多い。
成功体験だったり、目をそらしたくなるような失敗だったり。その種類やものさしの長さはその人が歩んできた人生によっても異なるが、皆それぞれに「決める」ための材料を持っている。
けれども時には自分のものさしではなく、自分と全く異なる経験を積んできた第三者からの意見を判断材料にすることも、ままある。
現に僕は仕事中に生じた悩みをちゃんに零したとき、幾度となくアドバイスを貰ってはその度に参考にさせてもらい、新たな道を選び取ってきた。
ちゃんが提案することは僕の世界の中だけでは到底構築できないような目を見張るようなアイデアばかりだったし、そんな彼女の考え方に憧れていたし、そして何より最終的に「イワンなら大丈夫」と背中をばしばしと叩きながら言ってくれるときの、そのニッと笑った顔が――好きだな、と思っていた。…これは余談だけど。

そんな尊敬する彼女といつもと立場が逆転し、僕は何だか少し落ち着かない。
逆転したからには何か彼女の助けになる気の利いた助言を、と考えを巡らせてみても、浮かんでくるのは我ながらぱっとしないものばかりだった。
(やっぱり僕は、決めるのが下手なんだろうな、すごく。)
途方に暮れながら、視線をくたびれた靴の先からショーケースへと移す。
それからそのまま左側に顔を向けると、丁度前に並んでいたお客さんが会計を終えたところだった。
「おねえちゃんありがとう!」
「また来てね」
高い声で店員さんにお礼を言う女の子とそのお母さんが手を繋ぎ、にこにこ顔で僕たちの後ろにある出口へと向かい歩いてくる。
小さな彼女なりに選び取った答えである、チョコのアイスをコーンの上に乗っけて。――いや、こう言うと大袈裟かもしれないが。
「落とさないで食べるのよ」と窘めるお母さんと、「うん」と元気よく返事をする女の子。
僕らの横を通り過ぎる、小さな手と大きな手。
形も大きさも違うふたつの手には、種類の違うふたつのアイス。

ふたつの、ちがう、

(そうだ。これだ、)

微笑ましいとしか言いようのない、ふたりのやりとりを捉えたその瞬間、だった。
突然、稲光のような眩しい光りが僕の脳裏を掠めた。

「すみません、」

ちりりん、と店のドアのベルが軽く鳴るのを聞きながら、先ほど苦い笑みをくれた店員さんを呼ぶ。
その様子を見て「…イワン!?待って私まだ、」と、焦りながら僕の服の裾を引っ張るちゃんを尻目に、僕は大きな声ではっきりと、今まで彼女を悩ませていた張本人である桃とチョコが混ざったバニラのアイスクリームを注文する。
店員さんはちゃんの表情に一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに「少々お待ち下さいね」と微笑んで、ディッシャーを手に取った。
「……あ、あの、イワン…?ねえ、イワンのアイスは!?」
言って、徐にちゃんは僕の肩に手を回し、がくがくと強めに揺さぶる。
ぐわんぐわんと頭の中がかき混ぜられるような奇妙な感覚を覚えながら、僕はすうと深く息を吸い込んで、僕が選んだ『彼女のための』選択を口にした。

「ね、ねぇ、ちゃん、」
「なに!?」
「……アイス。半分こ、しよう?」

人は生きている限り何かを選ばなくてはならない場面に遭遇し続ける。
どちらかを選べば、どちらかは選べない。
必ず、どちらかを選ばなくてはならない。

しかし、偶にはふたつとも選べる時があっても良いんじゃないかと僕は思う。
ひとりでひとつまでしか選べないのなら、ふたりでふたつ選んでしまう。
時にはそういう選択もあるのではないだろうか。
時にはそういう選択肢があってもいいのではないだろうか。

――本当に、“優柔不断”な僕らしい選択だと思うけど。

僕の言葉に、ちゃんが揺らしていた世界が静止する。
暫しの静寂の後、次に僕の視界に飛び込んで来たのは、ショーケースの向こうに並ぶどんなアイスよりもあまい、溶けかけた笑顔だった。

*

「…イワン」
「うん?」
「…………間接キス?」
「あっ!???!!!」

title:勇敢なヴァニラアイスクリーム(YUKI)