小さな神社の向かい側。ところどころ塗装が剥げた、なんだか少し痛々しい見た目の滑り台だけがぽつねんと佇む公園の角。そこを右に曲がると線路沿いの通りに出る。
たたん、たたん。たたん、たたん。
幾度と通った、そしてこれからも通うであろう、三成の家から駅までの、夜の道。
角を曲がる前から聞こえる独特なリズムを刻む軽快な音に耳を傾けながら、私はぎゅうと今一度結んだ指を強く握りしめる。
やめろ、痛い。そういう仕組みのからくりでもあるかのように間髪入れずに頭上から降りかかる鋭利なお小言に「ごめん」と心にもない返事をすると、言葉の代わりにふん、と子犬が喜んで鼻を鳴らしたときのような息が漏れた。
三成は些細なことですぐに怒るし、怒らせる原因やことばを作るのがとても上手な私はすぐに謝る。
いいや、謝らないときもあるし、ほんとはすぐに謝らないときの方が多い気がするのだけれど、そんな私の話は今は棚に上げておくことにする。
怒ることにはそれなりにエネルギーが要るのに、三成はあまりごはんを食べない。
ごつごつとした荒野のような手の甲や、首の後ろのぐりぐりが目立つ青白い背中、筋張った寂しげな膝小僧を見る度に「ごはん、食べなよ」と私なりに愛を込めた忠告をするのだが、彼は決まって「貴様に言われずとも毎日三食食べている」と御託を並べる。うーん、私が言いたいのは回数の話じゃなくて、量の話なんだけどな。
そう思って更に言葉を投げかけようとするが、そうすることで更に三成の中の苛々が募り、そのうすっぺらい体内に蓄積されたエネルギーを使わせてしまうことに直結してしまうことを私はよくよく理解しているので、いつも唾と一緒にごくりと飲み込む。
見守ることも愛なのだ、と前にテレビで誰かが言っていた。
それを知っていて実際に行動に出ている私は少なくとも三成よりは大人である。なんてことをうっかり思ってしまい、こうして街灯とほんの少しの月明かりの下、今日も得意気な顔を晒してしまうのだった。
どことなくふて腐れている風な三成の顔を仰ぎ見ると、同時に視界に入ってきた彼の真上にある街灯の眩しさに一瞬目が眩む。
ぐらりと揺れた私の身体を引っ張り上げるように結び目に力を入れる三成の指先はじんわりと暖かくて、微かに冬の匂いがした。
「。よそ見をするな」
私を窘めるそれは怒ってはいるけれど、柔和な声。なつかしい声。風、闇、月、星、或いは鈴。
底知れぬきれいなものを連想させる声に「はぁい」と答えた頃には、私の大好きな庭の大きな煉瓦造りの洒落たお家はとっくに通り過ぎ、駅の灯りが目と鼻の先まで迫っていた。
花でいっぱいのあの素敵な庭を見逃してしまったことは寂しいけれども、不思議なことに、胸の中は角の無いまるいものでいっぱいだった。
「んじゃあ、おやすみ」
「うたた寝をするなよ」
「しないよ、三成じゃあるまいし」
「私がいつ――」
「じょーだん」
電子音と共に改札をくぐり抜け、三成の眉間に刻まれた皺が一段と深くなることを確認してから私はへらへらと笑って見せる。
ぴく、と片眉が持ち上がりきつく結ばれた薄い唇がゆれるのを捉えたが、ホームに最終電車を案内するアナウンスが響くのと同時に、まるで波が引くようにじわりと緩む。
たんたんと階段を上りながら、今一度改札の向こうの三成を振り返る。
私が結び目を解いた直後と全く同じ。三成はそこで生まれそこで死ぬ運命にある銅像のように微動だにせず、腕組みをし、ただこちらをじぃと睨んでいる。
しかし肌寒さ故か、その背中は私に注ぐ視線や向き合い方とは裏腹に少しだけ曲がっていて、何だかその懸隔が面白くて思わず吹き出してしまった。
ほぅらね。肉が無いから寒いんだよ。
口元を覆ってくすくす笑う私の姿をきょとんと見遣る薄い身体。
今私の、三成に比べると随分と肉付きの良い身体の中にぽかりと浮いたこのことばは、次に会ったときのために取っておくとしよう。
言えば、三成は怒るのだろう。
存分に怒ってもらうためには、やはりしっかりごはんを食べて貰わないと。張り合いが無いし、怒ってくれないと何より私が寂しい。
寒くなってきたから、次は鍋の材料を買って行くのもいいかもしれない。
三成の家に鍋なんて気の利いたものは無いだろうから、私の家のを貸してあげるとしよう。
特別に。そう、特別に、だ。
ありとあらゆる三成との一方的なお約束。頭の中でぐるぐるとかき混ぜながら、私は上りのホームへと歩みを進めた。