午後、陽炎、金木犀


昼と夜の丁度真ん中。西日が差す駅のホーム。今まさに自分たちの目の前で電車が行ってしまったばかりのそこは、まるで宙に浮きそのまま忘れ去られてしまったかのような寂しさがある。
その空間の端っこに置かれたベンチにはつかつかと歩み寄ると、そのまま全体重を預けるようにどかりと座り込み、深く重い溜息を吐いた。
「おっさんかよお前は」「うるさいだまれ元親のくせに生意気」「んだよそれ」他愛も無いやりとりの後、元親は同じくしての右隣に腰を下ろす。
明け方から風が強く吹いているせいだろうか。少しだけ土埃を被った座面がみしりとしなった。
やっぱコンビニに寄らなければよかったかな。アイスを選ぶのにあんなに時間を取らなければ。そんでもってあそこで信号に引っかからなければ。っていうかそもそも講義が終わった後、元親がもっと早く起きてくれれば良かったんだよ。そうだ、そうに違いない。
額に滲む汗を手の甲で拭いつつ赤い唇から次々に紡がれる愚痴に相槌を打つ代わりに、元親は黙って片眉を持ち上げた。
「……ねえ、聞いてんの?」
そんな自分の言葉をただひたすらに受け流していく元親の様子が気に障ったらしく、は不機嫌そうな顔で覗き込む。
突然詰められた距離に元親は少しだけ後ずさりをし、くしゃりと自身の前髪を掻き上げた。
「…聞いてる聞いてる」
「ほんとに?またあんたはそんな不景気な面して」
「関係ねぇし生まれつきだから仕方ねぇだろこれは」
「確かに」
妙に納得した様子でにふふっと肩を小さく揺らして笑うに釣られるように、何処かで咲いているらしい金木犀の香りの混じるぬるい風が吹いた。

朝夕の静けさ。少しずつ長くなっていく夜。夏の喧噪が消えて久しい今日この頃。そんな中この甘ったるい香りに鼻腔を擽られてしまっては、嫌でも秋を感じざるを得ない。
別に秋が嫌いなわけでは無いが、それでも胸中にこの寂しさに似た気持ちを抱くのは、気温がまだまだ不安定なせいか、はたまた元親が夏に忘れてきた物があるからか。
まあ、いずれにせよ、夏は終わったのだ。

「じゃあ不景気な面を吹っ飛ばすような何か景気の良い話でもしてよ」
「はあ?」
「あるでしょ、1つくらい。ほらほら」
「………。…バイトの時給が上がった」
「えっ、いいな。なんか奢って。さっきのアイス奢って貰えばよかった」
「なんでだよ」
「いつも元親は私のお世話になっているじゃない」
「んな言い回しする奴初めて見たわ」
「えへへ」
態とらしく照れたように笑うの無茶な振りを躱しつつ、元親は頭上にかかった時計を見る。
もう間もなく次の電車が来る頃だ。
会話に集中していて気づかなかったが、駅のホームにもちらほらと人気が見られるようになっていた。
大学の最寄り駅ということもあり、改札をくぐってくる中には2人の顔なじみも多く見られる。
ちゃん!」「ばいばい」「お疲れ様ぁ」「また明日」
知り合いがベンチの前を横切る度に手を振ったり会釈をしたりと暫く忙しそうにしていただったが、やがてそれも一段落すると眩しそうに目を細め、手を膝に置く。
それからゆっくりとした動作で何処までも広がる空を仰いだ。
「…私、海が見たいなぁ」
「…………あ?」
「さっきの話の続きだよ。時給の上がった元親くんが私のリクエストに応えてくれるっていう」
「そんな話してた覚えねぇんだけど。つーか何か奢るってところから発展してねぇかそれ」
「あれ?慶次も一緒にって話だったっけ?ごめんごめん」
「余計意味わかんねーよ」
「まあまあ、細かいことはいじゃないの。私今年1回も海行ってないから」
「……お前なあ……」
の突拍子も無い発言に脱力し、元親は上体を背もたれに預ける。
そんな様子をはただひたすらに、心底にやにやと楽しげに覗き込んでいた。
夏の喧噪が消えて久しい今日この頃。
甘ったるい秋の匂いに包まれながら、忘れ物をしてきた事に目をつぶろうとする自分と、海に行きたいと宣う彼女。
夏に忘れ去られたひとりとひとり。

(まだ、夏だ。)

無意味に、それはそれは大げさに咳払いをひとつした後、元親は背もたれに預けていた上体を起こし、日焼けの残る自身の腕に視線を落とす。
それからの方へと向き直り、口元に無邪気さの残る笑みを湛えた。
「わかったよ」
「…えっ?」
「海だよ。行きてぇんだろ?」
「ほんとに連れてってくれるの!?じゃあみんな誘わなきゃ…」
「ただし条件がある」
「条件?」
程なくして響く電車の到着を告げるアナウンスが鳴り響く。
周りの電車を待っている人達には聞こえぬよう、しかしホーム中にわんわんと響き渡るアナウンスに負けないよう、元親は大切そうに条件をに告げた。

「ふたりでなら。いいぜ」

強い風と共にホームに電車が入ってくるのと、元親の言葉にがきょとんとした表情から一転し、西日に染められたかのように頬を紅くしたのはほぼ同時のことだった。