夜明け前特有の気だるさの残る空気と、左半身に乗っかる心地の良い重みによって目を覚ます。
以前、「児戯も大概にしろ」と、隣で私の左腕に絡みつくようにしてすやすやと寝息を立てる三成に鼻で笑われながら思いつきで天井に作った蓄光シールの天の川をじっと眺めていると、靄掛かっていた思考が段々と明瞭になってきた。
視線を天井からこっそり三成へと移し、何だか随分長い間見ていなかったような気がするその寝顔を私はひとり堪能する。
心なしかいつも以上に痩けて見える頬は相変わらず血色が悪く、昨年降り積もった雪を連想させる。いつだったか一緒に行ったプラネタリウムで見た、流星群のように流れる銀の髪。閉じられた瞼の裏、夢の淵では何を映しているのか、時折不安定に揺れ動く双眼。その先に蓄えられた、量は決して多くないがすらりと伸びる長い睫毛。微かに開いた唇から漏れる寝息は朝の海のように穏やかだ。
どこを切り取っても申し分のないほどに美しいはずなのに、何故だかぎゅうっと胸が締め付けられる感覚を覚える。
三成はふしぎだな、と内心苦笑をしつつ往年のスパイ映画の主人公さながら、器用に罠のような三成の束縛をすり抜けて上体を起こし、息が多く混じる声で「来てたんだね」と呟くが、その言葉は私自身と天井で控えめに瞬く星々しか聞いていなかった。
文字通り、身を削るようにしてまで働くことに意味があるのか、と問いたくなるほど常日頃から私の向かい側にある整理整頓されたデスクに向かって忙しそうにしている三成だが、ここのところは特に仕事が立て込んでいるらしく、日付が変わってから帰宅する事も多かったようだ。
「自分の業務が終わったのならば速やかに帰宅しろ」と淡々と言い放たれることをわかっていながら、一応荷物を纏める前に「何か手伝う?」と毎日聞いてみても、やはり私が頭に思い描いていたことばと一字一句違わないものが返って来る。故に、為す術の無い私は彼の指示する通り、「程々にね」と声を掛けてからひとりぼっちで帰路に就く事と、就寝する前に「帰った?」と連絡をする事しか出来なかった。
それに対する彼の洗練された(淡泊とも言う)返信を私が読むのは大抵は翌朝目覚めた時、また金太郎飴みたいに切り捨てられた1日が始まる頃だったが、今日は違う。
枕元に置いた電話を光りが三成の安眠を妨げないよう注意深く身体で遮りつつ見ると、私の送信したメッセージの横に既読という文字は躍っているものの、それに対する返信は無かった。
在るのは、隣に横たわる体温のみ。
相変わらず眠りの国を彷徨う三成を残し、ふたり分の熱の残る羽毛布団を抜け出して、ベッドに腰掛けたまま、フローリングに足の裏を付ける。
その想像以上の冷たさに顔を顰め、ベッドの下にしまい込んでいた毛の長い素材のスリッパを爪先で器用にたぐり寄せた。
隣で三成が見ていたら「横着をするな」と一喝されること請け合いの動作も、今は束の間の自由を与えられている。
そのまま手を伸ばして閉じた遮光カーテンの端を音も無く捲って外を見ると、少しだけ薄くなった紺色の空の下で、アーモンドみたいな形の街灯が寂しそうに輝く。
そうして、孤独に夜を守り続けた灯りに何故か親近感のようなものを密かに抱き始めた頃、
「……何を、している」
若干鼻に掛かった声で、いつの間にか目を覚ました三成が問いながら探るようにして私の指先を掴んだ。
それはフローリングと同等か、もしくはそれ以上に冷たく感じられ、私は無意識にぴくりと肩を震わせる。
現を映す瞳に、硬い胸板の内に秘める物。それらがもたらす熱とは対照的に、彼の手はいつだって可哀相なほどに冷たかった。
「灯りを、」
見ていたの。三成の方を振り返り、続けようとした言葉は強引に布団の中へ引き戻され、そのまま流れるようにして塞がれた唇の奥へと消える。
諸々の衝撃は全てマットレスと三成のシルエットの細さの割りにはしっかりとした身体によって吸収された為痛みは無かったが、攫うように掴み取られて、そのまま布団の中で繋がれたままの左手からはじんじんと、冷たい熱が流れ込んで来ていた。
一応、文句のひとつでも言ってやろうか。
思い立って、長めの口づけの後、天井の隅で今も尚ひっそり流れ続ける天の川をそのまま凝縮したような三成の瞳を真っ直ぐ捉えるが、私の背中を伝って後頭部へと辿り着いた三成の左手によって、すっかりしわくちゃになったワイシャツへと埋め込まれ、その気は無へと還る。
いつも以上に隙や暇を与えない、その性急さのある所作ひとつひとつに、珍しく、彼自身の奥底に潜む、焦りのような物を垣間見た気がした。
「」
不意に名前を呼ばれ、答える代わりに、ゆっくりと顔を上げる。
ここで漸く、私の身体は繋ぎ止められていた物すべてから自由を取り戻し、再び三成の中にある無数の星屑を拝むことを許された。
「なあに三成」
左へ右へ。窪みの向こうで忙しなく揺れる瞳は音も無く伏せられる。
恐る恐る、月の光のような色の頬に触れる。予想通りの冷たさに私が口元を緩めると、それに連動するかのように三成の眉は顰められた。
眉間に出来た濃い影は、夜の闇そのものだと思う。
そうこうしていると、やがて三成は先刻まで規則正しい寝息を漏らしていた唇を開け、清閑な声色で「…済まない」と告げた。
まるでそれは、星が濃紺の空からこぼれ落ちるような、やさしい音色だった。
その「済まない」は突然の来訪についてなのか、強引に布団の中に連れ戻したことについてなのか、はたまた私の頭では思い付かない別のことについてなのか。
暫し思案してみても、私には終ぞわからなかったが、「いいよ」と全てを許容する言葉を返せば、三成は「ふ」と口の端を微かに持ち上げた、ような気がした。
夜明けはまだ少し先。すべての真偽の程は暗闇の中にある。
「…せめて着替えればよかったのに。着替えのある場所知ってるでしょ」
「その暇すら惜しかった」
「せっかちだなあ」
「知れた事、」
巻き付く毛布の所為でくぐもった声に私がくすくすと笑い声を上げると、頬を隙間無くくっつけた三成の胸板が共鳴する。
月は夜空へ。星屑は天の川へ。灯りは闇へ。
それと同等に、在るべき物が本来在るべき所へ収まったのだ。そんなことを考えてしまう程に、私と三成はぴったりだった。
「朝が来るね」
「…未だだ」
「三成、」
「何だ」
「おかえり」
ああ、と溜息のようにも聞こえた三成の返事を受け取り瞼を閉じると、ベッドが軋む音と共に首筋に一際心地の良い熱が産まれる。
次にこの目を開けたとき、私はどんな色の星々を見ることになるのだろう。
夜の終わりはまだ遠い。
額へと口づけをする三成の、寝癖のついた頭へと手を伸ばしながら、私は地球から何万光年も離れた星の光りのように遅れてやって来た、ちりちりとした首筋の痛みに唇を綻ばせた。
title:星降る夜になったら(フジファブリック)