本来ならば心地が良い筈の静寂が生む音も、今はかえって耳障りだ。
妙な焦燥感に駆られている自分自身に苛つきつつ、三成は音を立てないようそっとドアノブに手を掛ける。
夜の真ん中に在る、色の無い空間で唯一現実味を帯びている物と言えば、ベッドの上で時を刻むかのような規則正しい寝息を立てているが以前、「天の川を作る」と言って天井の隅に散りばめた蓄光シールだけだった。
ドアを閉めることも忘れ、寝室の入り口に立ち尽くし、闇の波に揺蕩う光を眺めながら、最後にこの部屋を訪れたのは何時だったかを三成は思い出そうとする。
一週間。半月。一月。或いは、もっと前だったかもしれない。
しかし幾ら悔いた所で戻りはしない、他でも無い自分自身が生み出した空白の月日に、此処へ向かう前に部下である左近が何気なく言った「最近仕事ばっかしてっけど、いい加減さん寂しがってんじゃないっスかぁ~?かわいそ~」という浮いた言葉が図らずも重なる。
「…寂しい…、」
確かめるように。或いは、自分に言い聞かせるように。
三成の哀れになるほどにかさついた唇から零れたその言葉は、いとも簡単に濃紺に溶けた。
ここで漸く寝室のドアを後ろ手で閉めた三成は、彼女によって創られた人工的な星明かりに導かれるがまま、おぼつかない足取りでベッドへと歩みを進める。
が「三成用」と言って以前用意してくれた毛足の長いスリッパは何処へやっただろう。
探す暇すら惜しかったが、ぺたぺたと足の裏に纏わり付くフローリングの冷たさは、この上なく不快だった。
先程よりも幾ばくか大きくなった寝息に耳を傾けながらその方を見下ろせば、羽毛布団の中で猫のように丸くなって眠るの手の中にある、固く握られた携帯電話が目に止まる。
そう言えば、今日は毎晩届く彼女からの連絡に返信をしていなかったと、ふと三成は思い出す。
それにより、如何に自分が大した考えも無く、ただ突き動かされるように、転がされるように此処へ向かわせた欲望に支配されていたかを改めて想起させられ、今は力なく頭を振る事しか許されなかった。
後悔、そして多少の気恥ずかしさにも似た感情。
それらでごった返している三成の内側を知ること無く、桜は寝息を立て続ける。
恐る恐る伸ばした三成の指がの鼻先に当たると、一瞬、蓮の花の蕾が開くかのようにぴくりと彼女の肩が震えた。
音も、色も無かった。
しかし、三成にとってそれは、体中に稲妻が走るのと同等の衝撃だった。
なるべく外気を入れないよう細心の注意を払いながら、文字通りジャケットを脱ぎ捨てて、スラックスとシャツに皺を作る事も厭わず、三成は布団の中へ滑るように入り込む。
時折ぎしりと音を立てて沈むスプリングにじりじりと神経がすり減らされる。
しかしそれに比例するかのように、が猫のように丸くなって眠ることで不自然に出来ていた隙間は、段々と自然になっていく。
そうして彼女との距離が限りなく零に近づいた時、三成は胸中に、何か夜とは対照的な、暖かくて柔らかい物が注がれるような感覚を覚えた。
夜が明ける頃、靄掛かった光の下、震えるの瞼が開いた時、彼女は一体何を思うのだろう。
どんな表情を浮かべるだろう。
どんな声を上げるだろう。
出来ることならば。身勝手な自分にも、そう望むことを許されるのならば、――
未だ遠い、春の陽射しのような暖かさに包まれながら、止めどなく溢れ出てくる想い。
自身の鐵のような強欲さを再度自嘲しつつ、三成は瞼を閉じ、と同じ所にたどり着くべく意識を沈ませた。