日色の花よ


通りすがりの誰かが少しずつ落としていった夏の欠片を全部集めたみたいな匂いがする。草と土埃、あとはよくはわからないけど、甘酸っぱい匂い。これが向日葵の匂いなのだろうか、と思ったが、考えたところでどうせ答えは出ないので一旦忘れることにした。今年もまた、短い夏が終わる。太陽を模倣したような形の花々はここぞとばかりに背中を伸ばして咲き誇り、私が先程よりしゃがみ込んでいる、小径の脇の窪みに無数の影を落とす。花々が創り出すかくれんぼには打って付けのその場所でひっそりと息を潜めていると、段々と空気や自然と同化していくような、奇妙な錯覚を覚える。が、しかしそれが楽しかったのも最初だけで、程なくしてスリルとは全く無縁の退屈という感情が心の底に芽生えてくる。この退屈というやつはとても厄介で、一度感じてしまったらもうどうすることも出来ない。痛んだ毛先をぐるぐる指に巻き付けても、地を這うありんこを目で追いかけても、頭上で忙しなく動く働き蜂を見上げてみても、やがて喉の奥から沸いて出てきた大きな欠伸を噛み殺すことは叶わなかった。おーにさんこーちら。欠伸のあとの蒟蒻みたいにふにゃふにゃした声で呟いてみるが、それに応える声は無く、代わりに遠くで鳴く蝉の声と「おぉい~~?何処行きやがったんだテメェ~」という人を探すにしては些かやる気が欠如しているように感じる元親の声が耳に届いただけだった。一体その逞しい体のどこから出て居るんだろうか。問い詰める気力さえ欠けさせる、その覇気の無い声は。
~?何処だ~?さっさと出てきやが」
「ここ」
「な…ッ」
私がコンパクトに収まっていた小径の近くの影からいつもの調子で肩で風を切りつつ悠然と現れた元親に向かって顔の高さでひらひらと手を振ると、彼は豆鉄砲を食らった鳩のような表情を浮かべた。最も、私は豆鉄砲を食らった鳩を見たことがないので想像の範疇を出ることはないのだが、それについても向日葵の匂いと同様、今は置いておこうと思う。
「てめ、何してやがんだこんな所で。探しただろうが」
「あんなアホっぽい声で呼ばないでよ恥ずかしい。猫探してんじゃないんだから」
「俺の質問は無視か」
まあ落ち着きなって。淡々と、お腹を空かせた野良犬みたいなとげとげした顔でこちらを睨む元親を宥めつつ、スカートのポケットから取り出したコンデジを向ける。吃驚した?私が問うと、彼は眉間に寄せた皺を緩めて、わしゃわしゃと頭を掻きながら私の元へと大股で歩み寄り、「…意味わかんねぇよ」と悪態と共に短い溜息を吐いた。シャッターを切った後。掌の中の画面に映し出されているのは、実物よりも困惑した様子が誇張されているように思える元親の顔。元親を困らせるのが何より得意で何より好きだと自負する私が求める物。何て性格の悪い女。そう言われてしまっても仕方が無いけど、事実だからこれまた仕方が無い。そんでもって、そんな性格の悪い女だと知っておきながら、無愛想な面を向けつつすぐに甘やかそうとしてしまう元親もまた、仕方が無い奴なのだ。
かくれんぼからのにらめっこ。そろそろ足が痺れてきた。それでもしゃがみこんだまま、仕方が無い、仕方が無い、と誰にするでも無い言い訳を口の中で転がし、私は右手を頭の上へと伸ばす。凜と咲き誇る花々へ。少しずつ秋の色を滲ませ始めた青空へ。不機嫌そうな顔をした元親へ。どれかひとつでも届けば良いのに。そんなことを考えていると、やっぱり期待通り。元親の大きな手がかすめ取り、私をぐいっと引き上げた。水中から水面へ誘うような力強さ。それでいて、じめっとした暑さを一瞬忘れさせるような、夕立の後のような体温を携えて。
「元親」
「あ?」
「夏が、終わるね」
暑さで溶けてしまいそうな声で告げると、元親は何か言いたげな顔をしたが、少し考える素振りを見せた後、結局「…おう」というぶっきらぼうな返事だけを寄越した。私だけじゃない、元親も。今日も何処かで孫市の背中を追いかけている慶次も。炎天下の中汗ひとつかかずに佇む姿が印象的な石田くんも。夏の終わりはみんな等しく寂しいのだ、きっと。考えながら、繋がれたままになっている手に力を込める。暑さのせいで少ししっとりとした掌の感触が、不思議と心地よく感じられた。

「でも、また来年来るだろ」

だからもう勝手にふらっと居なくなるんじゃねえぞ。そう付け加えて、絡めていた指を解くとそのまま私の前髪を乱し、元親は砂埃をあげながら蜃気楼のようにゆらゆら歩き出す。海のように広く、それでいてやはり寂しげその背中に「うん」と短い返事を告げながら、私達は夏の出口に向かって行く。