ルールとは多くの人間を公平に扱うために設けられるものである。憲法が無ければ国は国として成り立たないし、法律が無ければ何らかの過ちを犯した犯罪者を裁くことは出来ず、被害者は泣き寝入りをする他ない。スポーツには試合をより公平に面白くするためのルールがあり、自分が打ち込むテニスという競技も例外ではない。そして学校には教師にとって都合が良いだけではないかと時には疑ってしまうものもあるが、一応守るべきとされている校則というものがあり、学生は各々それに縛られながら日々生活をしている。そして、それと同様に、日当たりのいい席で眠たそうに欠伸をしながら教科書を片付けているクラスメイト、と自分との間にも、昼休みに守るべきルールが敷かれているのだった。
「…何や、寝不足か」
「ああ、白石。いやあ昨日の夜中にやってた映画が意外とおもろくてなぁ」
最後まで見てしまって。今日寝たん三時半やで三時半。アホやと思うわあ、我ながら。でもちゃーんと起きられたからえらい。な?せやろ?
3年2組の教室の一番後ろ、窓際から二列目。日当たり良好、風通し文句なしの当たり席に座るに弁当片手にいつものように声を掛けると、は眠そうにアーモンドを転がしたような形の眼を擦りながらくしゃりと笑った。
「どんなやつ?またゾンビが出てくるやつか?」
「ちゃうちゃう、スタローンの。なんかもう煙とか火炎で画面がわけわからんやつや。話はともかく派手でええねん。やっぱ映画は派手でわかりやすいのが一番……ああっと、ごめん、今退くな?」
机の横に掛けている大きなくまのマスコットがついたリュックからパステルカラーの水玉がたくさんついた袋に包まれた弁当を急ぎ気味に取り出すと、は隣の席に座って同じく昼食を鞄から取り出していた謙也に「待たせたな忍足」と断り立ち上がる。謙也の「かまへんでー」という声とギギィ、というが立てた少し耳障りな椅子の音にかぶせるようにして、「おーい何してんの、早う早う」と彼女の友人が呼ぶ声がし、は「ほな、席借りるわ白石」と告げ、控えめな甘い花のような香りを撒き散らしつつ足早に声がする方へと向かって行き、俺が数分前まで座っていた教室のどセンター、前から二番目の席に腰掛けた。開け放たれた窓から吹く風はそれまでの空気を上書きするように、梅雨明けはまだ先にも関わらず決戦を控えた夏を先取りしたような匂いがして、少しばかりむず痒かった。
と俺の間に敷かれたルール。それは昼休み、謙也の隣であるの席と、と仲の良い友達の隣である俺の席を交換するというものだった。ルールと言っても何か紙に書いて仰々しく提示したわけでもなければ「破ったら罰ゲームやで」というペナルティを敷いたわけでもない。進級して数日経った頃、「なあ白石、この席使う?椅子だけやと狭いやろ。貸したげるから代わりに今日からあんたの席貸して?だめ?」「ああ、ええで。こっちも助かるわ、」「ほな交渉成立やな。愛すべきチームメイトの隣の女が気前のいい女で良かったなあ」「ほんまや」等という他愛もない会話をして以来数か月。毎日途切れることなく繰り返されるこの流れ。ある種の型に嵌った様式美すら感じる一連の流れの中で変わるのは、一言二言社交辞令のように交わされる会話の内容。それから、日に日に季節外れの桜の蕾のように膨らんでいくへの、いわゆる“好意的”な感情だけだった。
「んげ。海苔が蓋にくっついとるわ」
「ドンマイやな」
「白石の弁当は相変わらず緑の面積が多いなあ」
「健康志向言えや」
「若いんやから好きなモン食うたらええのに」
「いやべつに嫌々食うてるわけちゃうから」
「そうなん?」
「せやで」
ま、好きなモン食う時が一番幸せっちゅー話や。卵焼きを箸でつまんで行儀悪く掲げる謙也に「せやな」と返しながら、ふとの背中に目をやる。夏服と白いうなじの陰に隠れて見えない弁当箱の中身。それを知ることが出来る日が、すぐでなくてもいい。いつか来れば良いと思う。まだ暫くの間、少なくとも次の席替えが行われるであろう二学期まではこの心地のいいルールに依存する心づもりで居る俺は、そんなことを考えながら謙也のしょうもない話に今日も相槌を打つ。