カレー食べた後ってコーヒー飲みたくならない?お茶でもジュースでもなくコーヒー。あれずっと不思議だなあって思ってたんだけど、この間テレビでやっててね。食べ合わせが良いんだって。ソージョーコーカってやつ。カレーに入ってる香辛料とコーヒーのカフェインがあの、なんか、なんかね。えっと、どんな効果があるのかは忘れちゃったけど、兎に角体に良いらしいの。何をするにもまずは健康な体が無いとダメでしょ?最近忙しいし?いや、年中忙しいか。あ、急に暑くなってきたし?夏が来る前に夏バテとか笑えないじゃん?それでね、食後に飲むのもいいけど、隠し味に入れても美味しくなるっていうからね、
「うん、大体わかったよ。言い訳はそんな所かな?」
「……はい」
「素直で良いね」
言って、半兵衛は軽く結んだ唇の端を上げ、スプーンで掬った『調子に乗って入れ過ぎたインスタントコーヒーのせいでやや残念なことになってしまったカレー』をそこへ運ぶ。もぐもぐと咀嚼するその表情は一見して絵になるほどに穏やかなものだったが、至近距離で見るとわかる、眉間に寄った小さな皺が全てを物語っていた。
家事は嫌いじゃない。掃除だって毎日仕事で疲れた体に鞭打って頑張ってやってるし、洗濯、は寝坊したら小難しい顔をしてカレーを食べてる目の前の半兵衛にやってもらうこともままあるけど、料理だって。得意かどうかはまた別の話、なんだけど、頑張っている。頑張っている、けど。考えれば考えるほどぼろぼろと生まれる後悔とか惨めさとか、私から出てくる悪いもの全部を一緒くたにして混ぜて煮込んだカレー(インスタントコーヒー入れ過ぎバージョン)を、半兵衛に倣って掬って口へ運ぶ。煮込み料理の割に、よく言えばこんがりとした風味、悪く言えば焦げ臭さとカレーにあるまじき悪意のある苦みが口の中へ広がって、思わず眉根に力が入った。
「…申し訳ありませんでした…」
半兵衛のリアクションは決して大袈裟な物ではない。そう再認識した後、私の口から飛び出したのはテーブルの端に置かれたボトルのミネラルウォーターくらい純粋な謝罪の言葉だった。
「カレー作りで失敗する、って中々無いよね」
「半兵衛、それ、」
「言っておくけど褒めてないからね」
「…はい」
ほんの冗談のつもりだったのに。食い気味に被せられて何も言えなくなった私が視線をまだお皿に三分の二くらい残っているカレーに向けたまま固まっていると、テーブルの向こうでくすくすと耳障りの良い笑い声が聞こえた。
「…そんな笑う?」
「いや、笑うだろ、これは。三成君でも笑うよ」
「それは無いんじゃない?」
「うん、言い過ぎたね」
「もうちょっとなんかこう、慰めの言葉とか、フォローとか頂戴。笑うくらいなら」
「独創的な味」
「今更言われても嫌味にしか聞こえないんだけど」
「左近君あたりなら喜んで食べるんじゃない?ドクターペッパーを嬉々として飲むような舌してるし」
「それは左近とドクターペッパーに失礼でしょ」
「そう?」
「そう」
あと私もドクターペッパーはそこそこ好きだけど別に味覚はおかしくないし。多分。私にも失礼だよ。
救いを期待した自分が愚かだった。やはり半兵衛には敵わない。何年も前からわかっていたことだ。これ以上反論する気にもなれず、苦し紛れに後悔を口に運び続ける。独創的な味。確かに。食器が立てるカチャカチャという音が訪れた沈黙の中で虚しく響く中、改めてその言葉を反芻させる。良い得て妙だと思った。
「」
重苦しい空気の中、ふいに半兵衛の凛とした声が鼓膜を震わせる。近年稀に見る淀んだ空気の食卓で、呼びかけられた私がやっと半分位にまで減ったカレーから数分ぶりに顔を上げると、彼は眼鏡のレンズの向こうにあるガラス玉みたいな目を薄っすらと細めて言った。
「失敗は成功の母という言葉がある」
「…はい?」
「小さな失敗を積み重ねて人は、」
「いやいや、言葉の意味位はわかるよ流石に私でも…」
「……つまるところ、」
私に言葉を遮られた事が少しばかり気に障ったらしい。ということは視線と眉の動きでなんとなく分かった。しかし、言わんとする事はわからない。だから一度スプーンを置いて小首を傾げ、次の言葉を待つ。長くも短くもない、心地の良い間。それを堪能した後、半兵衛は何やら改まったように咳ばらいをし、
「次を楽しみにしてるよ」
いつの間に。すっかり空になったカレー皿を持って席を立ち、そのまま颯爽と流しへ向かう。彼の無駄のない所作、言葉。ひとつひとつに混乱したまま、私は手際よく片づけを始めたその姿を呆然と眺めていると、「食後のコーヒー飲む?インスタントじゃないやつ」と、彼はカウンターの向こうから悪戯っぽく笑い掛けた。