どうしていつも、嫌な予感ばかり当たるのだろう。
やはり、「ねーねーあの人めっちゃ綺麗」「やば、男の人…だよね?」「そりゃそうでしょ。何してるんだろう」「彼女待ちかな?」「えー?誰ー?」等という女子たち(リボンの色から察するに1年生)の黄色い声が聞こえた時点で踵を返しておくべきだったのだ。
昔からそうなんだ。今日はなんだかツイてない気がすると思った日には抜き打ちの小テストがあったり、大事な忘れ物をしてたり、予報外れの雨に降られたり、連続ドラマの最終回を見忘れたり。
私の嫌な予感というのは当たるのだ。たぶん、恐らく、きっと、一種の特殊能力なんだ。
しかし、予感がしたところで“何が”起こるかはわからないのが哀しいところ。
それが解れば超能力者だか予言者だか、怪しい肩書と共に食べていけるのに。
そんなどうしようもない、先に立たない後悔をしながら正門をくぐった瞬間捉えたくないのにうっかり捉えてしまった姿に私は「何で居んの」と吐き捨てるように言った。
「はは。それ、絶対言うと思った」
「私は何で半兵衛がここに居るのかって聞いてんの」
「元気そうで何よりだけど、ここであまり大きい声を出すのは君の為にならないと思うよ」
無意識のうちに強まっていた語気にハッとして口を塞ぐも、時既に遅し。
先程あれこれ推測して盛り上がっていた女の子達の視線が背中に突き刺さる。
それに「あれ竹中先輩じゃん」「ホント、懐かしー」「一緒に居るの…ゲッ、やっぱそうなの!?」「違うでしょ、ほらさんは3組の子と…」「だ、だよね?」という事態が更に悪い方向に突き進んでいる気しかしない会話が重なり、私は文字通り頭を抱える他無かった。
「は本当に墓穴を掘ってそれに自ら埋まるのが得意だね」
「……妙な褒め方しないでくれるかなあ!?」
「褒めては無いよ。褒められたと思ったの?」
真夏のピークが去り、頬に当たる秋風が心地いい最高の空気の中、「正気?」と意地悪く笑う幼馴染の姿は腹立たしいのと同時に、懐かしくも思う。
それもそうだ。こうして会話をするのは半兵衛が高校を卒業した、今年の春ぶりなのだから。
隣の家に住んでいる、ひとつ上の幼馴染の男の子。物心ついた時から当たり前のように一緒に居た彼と、これだけ長い間会話をしなかったのは初めてだった。
彼は今も実家から大学に通っているから、会おうと思えばいつでも会いに行ける。
小6の頃は、一足先に中学に上がった半兵衛の部屋に行って漫画を読んだ。
中3の頃は、やはり一足先に高校に進学した半兵衛の部屋に行って勉強を教えてもらった。
しかし、高3の私がその選択をしなかったのは何故か。それは、そろそろ私も“卒業”の頃合いだと思ったからだった。
同じ道、というか彼が辿る道をアヒルの子のようにてとてと付いて歩んできた。
でも、終わりはいつか来る物。別の人間だから、別の道を辿る日が必ず来る事。
それに気づいたから、自ら卒業という形を選んだのだ。
盛大なセレモニーがあるわけでも、証書がもらえるわけでもない、幼馴染からの自主卒業。
――無論、相変わらず凍てつく視線を投げかける、半兵衛の美貌に心奪われた在校生達は全くの無関係である、と言ったらウソになるが。
「懐かしいね」
視線を校舎ではなく暮れ始めた秋の空に向け、目を細めて穏やかに笑う彼に「……だろうね」と返す。
それは彼と共に過ごしてきた十余年を振り返ってもあまり見たことがない表情で、一瞬彼が全く知らない人であるかのように感じられた。毎日嫌でも通う学び舎の前なのに、知らない所に来てしまったかのようにも。
それは寂しくもあり、でも嬉しくもある。心底、妙だと思った。
そんなことを考えていると、
「……お久し振りです」
後ろから突然掛けられた声にぴくりと肩を震わせる。すらりと伸びる影。黄色い声で塗りたくられた空気を落ち着かせる、低い声。
「ああ、三成君。君も元気そうだね」
「遅くなり申し訳ありません」
半兵衛に深々と頭を下げる彼――半兵衛が可愛がっていた後輩で、私の隣のクラスの石田君の姿を見て、私はこれまでの茶番の真意を全て悟ったと同時に、膝から崩れ落ちてしまいたい程に脱力した。
事の経緯は語るにも価しないものだった。
半兵衛は卒業後も可愛がっている石田三成君と頻繁に連絡を取り合っていたらしい。その中で、彼の志望校が半兵衛と同じ大学に決まり、受験勉強の際に用いていた参考書やら赤本やらを譲るという話になる。石田君は自分が取りに伺うと言い張ったらしいが、半兵衛の「先生たちにも挨拶したいし、僕が高校まで持っていくよ」という言葉に渋々引き下がり今に至る、と。
話を聞きながら、いやアンタ絶対私を揶揄いたかっただけだよね!?そうだよね!?!と何度も言ってやりたい衝動に駆られたが、星屑をちりばめた瞳で熱い眼差しを半兵衛に送る石田君が居る手前、ぐっと堪えた。なんて偉いんだろう私。功労賞的なやつを貰っても良いくらいじゃないか。
「と、いうわけで僕は職員室に寄って帰るよ」
「……」
「今日は本当にありがとうございましたっ」
「三成君なら絶対に受かると思うけど、聞きたい事があったら連絡して」
「…………」
「有難きお言葉……っ」
天を仰ぎ噎び泣く勢いでお礼を言う石田君を尻目に、細く長い溜息を吐く。
日暮れが近い。校舎の向こう。西の空が紫がかって綺麗だった。石田君が現れた辺りで解散したギャラリーたちに言ってやりたかった。あなた達が夢中になってる綺麗な顔しただけの悪魔より、何千倍も何万倍も秋の夕暮れの方が綺麗だし期待を裏切らないよ、と。
私は別れの挨拶は特にしなくて良い。望まずとも、明日も明後日も会える。当たり前の日々を送ってきたから、今まで半兵衛にそんなものはしたことない。だから今日もしない。別れを惜しむ石田君と、校内へ向かう半兵衛の姿を背に、そっと帰路につこうとした時だった。
「、」
校門をくぐる前、今一度足を止める半兵衛に呼び止められた。
「なーに?」
体の向きは変えず、立ち止まり肩越しに振り返る。何処からか漂ってくる甘ったるい花の匂いが、濡れたスポンジを絞る様に私の胸を締め付けた。
「君もいつでも勉強、見てあげるよ」
「……。……考えとく」
その時私は一体どんな顔をしていたのだろう。咄嗟に前を向いて隠したから、半兵衛にも、石田君にも、他の下校中の生徒にも見えていないであろう私の表情。
長らく止まっていた心が揺れ動いた曖昧な瞬間の中、確かだった事はふたつだけ。
私の顔は頭上で光る一番星しか知らない事。それから、卒業はまだ半年ほど早かったかもしれないと、静かに撤回宣言をする心の中の私。