二つの雨


「雨、止まないね」
「…うん」

今日何度目だろう。飽きもせず、沈黙が2人を再び支配する。
まるで見えない手が2人の喉元を締めつけているようだ。
しかし、思い返せば、出会ったときもこんな感じだった。
この点だけはあの頃から何も変わっていない。
何かを変えるには勇気が必要だが、変わらないことには努力が必要――
少なくとも、僕たちの間ではそうだった。
2人で過ごした数年間、振り落とされないよう、お互い傷だらけになるほど強くしがみついていた。今となっては笑えるくらい、それはもう必死で。
けれども、それも今日でおしまい。

冬の終わりに降る雨が嫌い――
彼女の左隣に腰を下ろし、開かれた2つの傘をバラバラと打つ3月の雨音を聞きながら、出会って間もない頃、彼女がそう言っていたのをふと思い出した。
理由を聞いた気もするが、忘れてしまった。古い古い記憶だ。
こんな風に、その瞬間は自分にとって鮮やかで意味のあった記憶も、幾つもの季節を通過する毎に少しずつ色褪せて、そして忘れていくのだろう。これからも、死ぬまで。

そんなことを考えながら顔を上げ、ずっと自分の足下を捉えていた目をゆっくりへ向けると、彼女は僕の視線を絡め取り、そして疲れたように力なく笑った。
その笑顔と呼ぶには余りにも脆すぎる表情から、“もう手遅れだ”というメッセージを改めて感じ取る。
わかってはいたが、思考が現実となった瞬間、どうしようもないくらい空っぽな気持ちになった。
何が善くて何が悪かったのか。
そんなの考えるだけ無駄だ。ここ数日考え通し、僕はそう結論を出した。
名誉のために言っておくが、決して考えることから逃げたわけではない。
答えなんて端から無かった。それだけだ。
思わず漏れた僕の短い溜息に答えるように、が何か言おうと口を開く。
しかし、言葉の代わりに出たのは、小さな嗚咽だった。
こっちはこっちで彼女へ向けるべき気の利いた言葉が見つからず、ただ傘からぽたりと垂れてくる雨水を眺めている。
朝から降り続いていた冷たさの残る雨は弱まってきた。そろそろ上がりそうだ、なんて余所事をつい考えてしまう。僕の悪い癖だ。

ごめん。さよなら。げんきでね。

ありふれた別れの言葉しか見つけられない自分が情けない。
本当はもっと言うべき事があるだろうに。最後の最後まで気の利かない奴だ。
彼女にもことある毎に「イワンはカイショーナシだ」と言ってよくからかわれたっけ。今はとても笑えない、実に的を射た意見だ。
全く。彼女には、敵わない。

ふっ、と思わず自分への呆れと諦めとが入り混じった溜息のような笑みを漏らすと同時に、自分の身体が震えているのに気がつく。喉の奥が焼けるように熱い。
ああ、僕はきっと、全てに後悔している。ならばせめて、

、」
「…な、に?」
「ありがとう」

覚悟を決めて(そんなもの必要ないだろうに!)(しかし今の僕にはそれはもう並々ならぬ覚悟が必要だった。情けないことに)、無性に言いたくなった言葉を呟くと、一瞬彼女は驚いたように、涙をいっぱいに浮かべた目を見開き、それから、形の良い唇を歪めた。
甘美な笑顔を、頬を伝う涙が引き立てる。怖いほどにうつくしい。
しかし、そんな幻をかき消すかのように、彼女はすぐにまた目を伏せてしまった。

そうだ、これでいい。

雨は止んだ。やがて春が来る。冬が去る。今は前に進むことができず立ち止まる僕たちを置き去りにして。

傘をたたみ、右手を伸ばし、そっと彼女の冷え切った左手を取って目を閉じる。
まぶたの裏は見慣れた、そして僕が確かに愛していた、彼女の目がくらむほどの眩しい笑顔で溢れかえっていた。