夜が眩しいのは君のせい


電子音を鳴らして改札を出た正面。塗装が剥げかかった柱にもたれて腕組みをしている男の姿は、一瞬残業に疲れすぎて見えてしまった幻だと思った。
しかし遠目でも十分すぎるほど解る、あのサイズ感を見間違うことなどあるわけがない。会社から最寄りまで30分弱立ちっぱなしだった為、棒のようになりかけた足をぎこちなく交互に出しながら歩み寄ると、やはり幻などではなかった本物の筧は口の端を微かに持ち上げて「おかえり」と言った。
それと同時に私は残業が決定した瞬間、先に帰っているであろう彼に送ったメールの内容を思い返す。
予定通りの時間に帰れなくなった事と謝罪の言葉。凡その帰宅予定時間。それから最後に、

「私、迎えに来なくていいって言ったよね?」

急いで打ったので多少の誤字はあったかもしれないが、内容は問題なく伝わったはずだ。しかしどうしてだろう。メールを最後まで読んで「了解。無理しすぎんなよ」と丁寧に送り返してきた筈の筧はこうして私たちが住む家の最寄り駅まで迎えに来ているではないか。
やばい。どうして。やばい!
そんな現実に図らずも口元が緩んでしまう。それを必死に隠しながら、じりじりと詰め寄るように筧の目をじっと見つめる。
私が送る熱い視線を擽ったそうに躱した筧はごほんと咳ばらいをひとつして、「……ついでの用があったから」と居心地が悪そうに言ってのけ、私の手を取り駅の出口に向かって歩き始めた。

4年に渡るアメリカでの修行を終えて帰ってきた筧は、現在こちらの大学に編入をして教職課程を履修中だ。性根を叩き直してくれた国で一からやり直した結果、最終的に行き着いたのが自分にとっての嘗ての大和くんのように人を導く存在になりたいという答えだったのは実に彼らしい。
一方、4年間離れた場所から筧の事を応援し続けた私はこの春から筧より一足早く社会人の仲間入りをし8ヶ月、ほどほどに仕事をこなしながら生きている。まあ、ほどほどと言っても今日のように急な残業に翻弄されることもままあるが。
そうして学生として、社会人としてそれぞれ新たなスタートを切った私たちは先月から共に生活をしている。
4年離れていた筧と毎日一緒に居るのは正直まだ変な感じがする。それこそ、先ほどのように自分が見ているのは幻かもと疑うこともある。
しかし、その居心地の悪さすらも今は楽しい。4年間の間に筧が一時的に帰ってきたり、私が向こうに行ってみたりして数度会う機会はあったが、こうして毎日顔を合わせるのは高校時代以来だ。
仲良く並んで帰るのも、あの頃に時間を巻き戻したようで照れくさくもあり、懐かしくもある。少なくとも、私はそう思っている。

「ねえ、筧」

対向車がふたりを照らし、次々に通り過ぎていく。22時を過ぎた駅前の通りはシャッターが下りている店も多く、ひっそりとしている。
遠くで鳴る軽妙な踏切の音を聴きながら私が問えば、先ほどから黙ったまま真正面を見据え、規則正しい速さで私の隣を歩いていた筧は「ん?」と久しぶりに声を出した。

「何の“ついで”だったの?」
「……手紙を投函するついで」
「駅まで来なくても家の近くにポストあるじゃん」
「……あと牛乳買うついでに」
「近所のコンビニでいいじゃん。てか明日の朝買えばいいじゃん。どうせ起きてすぐランニング行くんでしょ。帰りに買ってくればいいじゃん」
「…………」

身長差があるのに加え、薄暗い夜道ではわかりにくいが、筧はきっと気まずそうな顔をしている。4年離れていたけど関係ない。私にはわかる。筧のことなら何でもお見通しなのだ。
そして恐らくお見通しなのは彼も同じ。私がほんのちょっとの期待を込めながら打った『迎えに来なくていいよ』という言葉の裏に隠れた『来てくれると嬉しいな』という本心を見抜いた結果、彼は見え透いた嘘と共にわざわざ駅までやって来た。
長時間の労働でそれなりに疲れているはずなのに、スキップをしたくなるような心の軽さを携えながら夜空を見る。冬の澄んだ空気の中、星と三日月が似た者同士のふたりを笑うように瞬いていた。

「私を迎えに来たかったからって素直に言っていいんだよ」

固く結ばれていた手を振りほどき、この!と肘で筧の鳩尾の辺りを軽く突けば、間髪入れずに「うるせぇ!」と返ってくる。
その仕組みがまた、お腹を抱えて笑いたくなるほど愛おしくてたまらない。

「よし、じゃあ家まで競争しよう」
「『よし』じゃ無ぇ。っつーかその靴でか?絶対やめとけ転ぶぞ」
「転んだら駿くんが担いで帰ってくれるから大丈夫!」

よーいどん!という唐突な私の提案と合図に「ちょっ、!」と困った声を上げる筧を背にして、私は酷く眩しい夜道を走り出す。
突き刺すような風が頬を撫でていく。勝負になどなるはずのない勝負の結果は目に見えている。きっと、あっという間に呆れた顔の筧に追い越され、すぐに息の上がった私は立ち止まり、仕事終わりにパンプスで駆けっこを挑んだ事を強く強く後悔するだろう。
そうして『だから言ったじゃねぇか』と小言を言いながら私の元へと駆け寄る筧に言ってやるのだ。意地の悪い笑みを浮かべて、『そういえば牛乳買ってないじゃん?』と。
その後に見せる筧の表情まで想像できてしまう自分に呆れつつも誇らしさを感じながら、私は風を切る。