頂で待ち合わせ


「それはもう、最低な1日だった」と、甘い塔のてっぺんに鎮座するさくらんぼを柄の長いスプーンですくい、皿の上に避難させながらは語る。
以前手土産として彼女の家に持って行った苺のショートケーキを食べているとき、「てっぺんの苺はいつ食べるか」という話になったが、どうやら苺と同じく彼女はパフェの上のさくらんぼも最後に食べる派らしい。
こてんと首を傾げるように横たわるさくらんぼを見つめ、俺は「最低?」と彼女の言葉を繰り返し、白いカップに注がれたカフェオレを一口飲む。
玉座とも言える場所に居たさくらんぼが消えたことにより、重力に逆らうように絶妙なバランスで成り立っていたフルーツパフェはいくらか安定感を増したように見えるのが可笑しい。
夕方5時のチャイムが古い喫茶店の窓越しに聞こえる中、スプーンに付いた生クリームを舐めると、は短く息を吸い込みながら口を開いた。

「まず、朝起きたら目覚ましの電池が切れてて止まってるでしょ。昨日寝る前には確かに動いてたのに。起きたら家を出なきゃいけない時間の15分前で。まあ何とかなる時間だったからこの点に関してはまだ最低では無いか。でも朝ごはんは食べたいから支度しながらトースト焼いてたら、バター塗った瞬間床に落ちちゃって。しかもバター塗った側からだよ?なんでかトーストって、バターやジャム塗った側から落っこちない?私だけかな。まあ拾って食べたけど、気分はあんま良くないよね。そんで駅までダッシュして、乗りたい電車にギリギリ間に合う!と思いつつ改札抜けようとしたら前歩いてた人が立て続けにふたりSuicaのチャージ不足で引っかかって、そのせいで電車乗れなくてさ。立て続けにふたりはヤバくない?ひとりでも最悪なのにふたりって。どんだけツイてないんだろうってこの時初めて思ったね。それで結果、ちょっと遅刻したけど授業受けようとして教室のドアを開けたら、なんか知らない顔ぶれが居てさ。『え?お前誰?』みたいな顔で私に気づいた人たちがみんな見てくんの。でも後から考えたら当然なの。今日木曜じゃん?なんと私、金曜だと勘違いしてたわけ。その瞬間まで。当然、違う講義が行われてたの。そんなことある?しかも木曜は2限からだから実は寝坊でも何でもなくて、普通に間に合ったの。逆に早く来すぎたの。意味わかんないよね。んで、それ以降の授業はちゃんと受けたんだけど、曜日間違えて用意したからテキスト全部違うやつ持って来てるわけで。毎回隣に座ってる友達に見せてもらって、それはもう肩身が狭い思いをしたのよ。ひたすら惨めだったよね。身体的疲労より精神的な疲労の方が大きいっていうか……ねえ?」

人間、大きな不平や不満を抱えていても、口にすることで解放される場合がある。にとって「最低な1日」の話はまさにそれに該当したようで、こちらに相槌を打つ暇すら与えぬほど饒舌になっていた彼女はここで一旦話を中断し、脇に刺さっていたグレープフルーツを抜き取り、齧る。
恐らく想像していたより酸味が強かったのだろう。眉間に寄った皺が全てを語っているようだ。その姿に図らずも笑みがこぼれてしまうのがバレないよう、俺は口元を隠すようにカップに口をつける。

「……どうして悪い事って立て続けに起こるのかなぁ」

次に彼女の口から出て来たのは、自分のツイて無さに対する嘆きではなく、単純な疑問だった。
キウイ、バナナ、りんご、いちご。その他の果物をひとつひとつ大切そうに選んでは口に運ぶ合間、は思い立ったように言った。
もう今日の話は終わりか、と問うべきか迷ったが、薄暗くなり始めた窓の外をぼんやり眺める彼女の横顔を見て、俺は「良い事が立て続けに起こる事だってあるだろ。それの裏返しじゃないか?」と当たり障りのなさそうな返答をしておいた。それによる反応は大体予想できたが。

「うーん……確かにそうだけど。なんか大和に言われると腹が立つ」
「はは。そりゃどうも?」

予想に違わず、俺の選択は間違いでも正解でもなく、中間だったようだ。俺の乾いた笑いを聞くと、生クリームに隠れたバニラアイスを掬いとって、は「別に褒めてないよ」とため息交じりに言う。これもまた予想通り。
少しずつ、しかし確実に食べ進められたフルーツパフェは大分背が低くなり、安定感を感じる高さになっていた。

「……はさ、」
「ん?」
は、パフェの語源が何か知ってる?」

店員がグラスに水を注ぎに来た後、その背中を見送り俺はそっと問いかける。
するとは真剣な面持ちでアイスとコーンフレークを融合させていた手を止めて顔を上げ、丸い目を俺に向けた。
溶けかけた氷がカランと透明感のある音を立てる。気が付けばすっかり遠くなった、夏を思わせる音に似ていた。

「いいや、知らない。どういう意味?」

皿の上にスプーンを置き、は瞬きを繰り返す。
いちばん安全なところに居るさくらんぼは未だに、店の落ち着いた照明の下、静かに輝いている。

「パフェの語源はパルフェ。フランス語で『完璧』って意味」
「完璧?」
「そう」
「……ええ。こんな、めちゃくちゃ食べづらい食べ物が?完璧?」

怪訝な顔をして、は俺の顔と残り半分ほどになったパフェとを交互に見る。「そんな風に考えながら食べてたのか?」と聞くと、彼女は照れくさそうに眉尻を下げ、困った笑顔を作って見せた。

「ってことは最低な日に完璧な物を食べてたのか、私は」
「俺は知ってて敢えて選んで食べてるのかと思ってたよ」
「えー、そんなユーモアないよー」

あはは、と照れたような、やはり困ったような顔では笑う。
それは切り捨てるべき所の無い、自分にとっての『完璧』な存在である彼女の見せる表情の中でも、一番と言っていいほど好きな顔だった。
君にとって最低な1日も、俺にとっては君が目の前で笑っているだけで完璧な1日になる。
そのような事を今日だけでなく、常日頃から考えているとありのまま伝えたら、どんな顔をするだろうか。
知ってみたい気もするし、今はまだ知りたくない気もする。
自分は基本的に白か黒かをはっきりさせたがるし、伝えたいことはすべて伝える性格のはずなのだが、とりわけ彼女の事に関しては、偶にそんな曖昧さを容認してしまう傾向にある。それは彼女の言う通り、完璧なはずなのにどこか足りない、不完全な食べ物に少し似ているのかもしれないと頭の片隅で考えていた。

「じゃあ、もしかするとこれは大和にこそ相応しい食べ物かもしれないね」
「え?」

落ち着いたクラシック音楽に乗っかるの声に、顔を上げる。
何故だろうか。それほど大きな声では無いはずなのに、頭の奥の方で彼女の声が反響する。
心地の良い間の後、はいつの間にかすっかり空になった背の高いグラスの向こうで微笑んだ。

「それでは、こちらは完璧な大和へ」

最低な私より!と付け加えて、は赤い宝石を指先で摘まんで俺の鼻先へと差し出す。
完璧な食べ物の結末。それは皮肉にも、彼女の前では永遠に完璧になどなれそうにない俺に委ねられた。