新しい日々のこと


クラスメイト達は忙しそうに机の中の荷物を纏め、黒板に書かれた番号と自分が引いたくじの番号を何度も見比べながら座席を移動している。
教卓の一番近くになったのを嘆く者。親しい者同士で近くの席になれたのを喜ぶ者達。後ろの席を引き当てたことを自慢げに報告する者。
様々な感情が入り乱れる混沌とした空間で、筧は誰かと言葉を交わすことなく、ただ西日が差す窓際の席に座ったまま頬杖をつき溜息を漏らす。この忙しない空気の中では誰ひとり気づかなかったであろう小さなそれは、吹き込んできた爽やかな5月の風に溶けて消えていった。

5月の大型連休明け。「今日のホームルームでは席替えをする」と連休前に担任から発表があった時から、筧はこうなることを予想していた。
根拠となったのは他でもない、今までの経験である。
小学校高学年の頃には既に170cmを超えていた身長。今も尚伸び続け、現在では190cmを超えた。同じ位の身長を持つ部活の仲間は別として、普通の同級生達と並ぶと男女問わず、頭一つ分は抜き出てしまう。
そんな自分がもし仮に、他の皆と同様にくじを引き、一番前の席なんかを引き当ててしまったらどうか。別に一番前でなくても良い。誰かの前に座ってしまったら。後ろの席になった者はほぼ100%、板書どころか教師の姿を見ることは出来ないだろう。 それ故に、席替えの際には決まって担任から言われる言葉がある。

“筧は一番後ろで”。

今年担任になった教師もまた、例に漏れずそう告げた。かくして筧はその他、視力等の身体的な問題を抱える生徒同様にくじ引きから除外され、先月に引き続き窓際の一番後ろの席に留まるよう指示されたのだった。
後ろの席は嫌いではない。それに、今の席は窓際なので日当たりも良く、程よく開放感もあり、寧ろ筧にとっては喜ばしい事だと言える。しかし、少なくとも高校を卒業するまでこれからも繰り返されていくであろう、どこか困った顔をする担任とのやり取りを想像すると、退屈なような悲しいような窮屈なような、言い知れない感情に支配された。
この世には努力や知識でどうにかなる事と、どうにもならない事がある。明らかに後者に当て嵌まるこの案件は、そっとしておくことしか出来ないのだ。その現実がまた、問題をそのままにしておけない性分の筧の喉元付近をキリキリと締め付ける。

そんな風にして、筧が得体の知れない感情を人知れず持て余していた時だった。
「やっぱりこういうこと、よくあるの?」とふいに隣から話しかけられ、筧は現実に引き戻される。
急いで声の主を辿れば、空になった隣の席に「よっこらしょ」と言いながら教科書類の山を置く女子生徒が居た。高い位置で結んだ髪の毛を揺らし、意志の強そうな釣り気味の目を細めながら彼女は小首を傾げている。
それに対して思わず口から出た「……は?」という気の抜けた返事に、筧はさすがにぼんやりしすぎたと、内心自分自身に呆れる他なかった。

「いや、さっき溜息吐いてたからさ。後ろに居ろって言われるのはウンザリ!って感じなのかなって思って」
「……ああ……」

なんだ、聞こえていたのか。
特段恥ずべきことでもないが、改めて自分の行動を指摘された事で何故だか急に照れくさくなり、筧は椅子を引いて隣の席に腰を下ろす彼女から静かに視線を外した。
すると彼女は机の上に置いた荷物の片付けもそこそこに、にゅっと上半身を乗り出す。

「えっと、かけーくん……だよね?気を悪くしたならゴメンね?謝るよ」
「別に構わねえけど。実際、そっちの言う通りだからな」

大げさに両手を顔の前で合わせ謝罪の言葉を口にしながらも何処か楽し気な彼女は、聞いてもいないのに自ら丁寧に と名乗ってきた。
巨深は生徒数が多い。高校から新たに入って来た生徒も多くいる。筧も内部進学組とは言え、中学入学後すぐに渡米し、中3の頭に帰国した為、顔と名前が一致している同級生の方がまだ少ない。
新学期が始まって1ヶ月経ち、授業で当てられていたり会話の中で耳にしたりして、それぞれの名前に聞き覚えくらいはあるものの、クラスメイトの半分以上がまだよく知らない人間である。もそのうちのひとりであった。
。覚えたての言葉を繰り返す子供のように、筧は心の中で新たな隣人となったクラスメイトの名前を幾度か呟く。
そんな筧の様子を興味津々といった表情で観察していたは、担任の「お前ら早くしろ」と急かす声を聞いて、漸く机上の整理に取り掛かり始めた。だが、お喋りは止まらない。

「へー、やっぱそうなんだ。私が通ってた中学には君ほど大きい子居なかったから、ホントに身長が高くて後ろに行けって言われる子初めて見てさ」
「はあ……」
「漫画とかドラマみたいでなんか嬉しくなっちゃって。でも後ろの席って良いよね。いや、別に居眠りしようとか考えてるわけじゃないよ?」

よく喋る女だと筧は思った。何かと問題を起こしがちなチームメイト程ではないにしても、だ。
けれども、不思議と嫌な気はしなかった。それは何故だろうかと、の話を適当に聞き流しながら、理由を考えるべく思考を巡らせようと試みる。が、喋りに夢中になっていたが小さな悲鳴と共にペンケースを床に落とした事により、それは叶うことはなかった。

筧は足元に転がって来た消しゴムを拾い上げ、しゃがみこんで慌てて散らばったペンを掻き集めるに「ほら」と差し出す。
お喋りで、どこか抜けている新しい隣人がどういう人間かはわからない。しかしこの数分でわかった事もある。
それは、少なくとも、これから次の席替えが行われるまでの間は賑やかになりそうだという事実。

「ありがとう!」

やや恥ずかしそうに耳の先を赤く染めるは、筧から受け取った消しゴムを大切そうに握りしめ、「これからよろしくね」と付け加える。
机と机の間から自分を見上げるそんな彼女の姿に筧は自然と口元が緩むのを感じ、誤魔化すように頬杖をついている手のひらの位置を微調整するのだった。