ないものねだられ・ないものねだり


まさにされるがまま、といった状況だった。
文字通り手持無沙汰になり、膝の上で組んだ指を親指から人差し指、中指と順番にくるくる回していく。小指までいったらまた親指から、今度は反対まわりで。もうかれこれ10回以上はその意味のない動作を繰り返している。
さすがに飽きてきて、なんとなく視線を窓の外へ向ける。朝から降り続く雨は弱まって来たものの、未だ暫く止む様子は無い。音もなく雫が窓ガラスを上から下へ、伝っては落ちていく。これもまた、俺や彼女がしている動作と同様に、何の意味も持たない。この地球に存在する誰の人生にも関与しない動きだと言える。

4月からずっと同じ、教室の一番後ろの自分の席に座り、俺は背後に立つに毛先を弄ばれている。引っ張るのではなく、丁寧に一束一束を指先に絡めてみたり、撫でてみたり、不規則に。 何が楽しいのだろうか。昼休み特有の賑やかな教室の音に紛れ、少し調子のずれた鼻歌まで聞こえるのだから内心驚いている。
指は直接地肌に触れている訳では無いのに、妙にくすぐったく感じる。
その理由はとても単純で、こういった類のことをされるのに慣れていないという点と、毛づくろい紛いのことをしているのが他でもなくだからという点がうまい具合に融合した結果、この何とも表現し難い感情を生み出しているのだ。珍しく混乱している頭でも、そのくらいの答えは簡単に導き出すことは出来た。
癖の付いた俺の髪は今日のような悪天候の日は空気中の水分のせいで一層元気になる。別に生きていて困るほどでは無いにせよ、家を出る前にある程度纏めないといけないのは正直少し煩わしい。
しかしそんな自分にとっての『厄介な存在』である髪が、はいたく気に入っているらしかった。

「……
数分前、「髪の毛、触っても良い?」という彼女の問いかけに戸惑いながら「いいよ」と返答したときぶりに口を開く。
こんなに湿気が多いのに、喉の奥はカラカラに乾燥し、声は掠れていた。
「何?」
問い返しながらもは指先の動きは止めない。彼女の冷えた指先が、いつもより熱を帯びている耳を掠めた。
「楽しい?」
「うん、楽しい」
背を向けているので表情は見えないが、オウム返しされた声は軽く、明るい。
それはよかった。心の中で返事をしていると、前から歩いてきたクラスメイトのひとりが通りすがりに俺の顔を一瞥し、目をほんのわずかに見開くのが見えた。
その様子から自分が浮かべている表情の複雑さを推測し、急に気恥ずかしさが込みあげてくる。
見られたのがチームメイトでなくて本当に良かった。その点に関しては運がよかったと言えるだろう。不幸中の幸いとも言える状況に安堵していた時、

「大和の髪の毛、好き」

雨粒がガラスを打つような優しい声でが呟いた。
好き。すき。スキ。
普段、俺の方が告げる事の方が多い言葉が彼女の口から出て来た事に驚き、頭の中でその部分だけを何度も繰り返す。それから己の口元が意思に反して少しずつ緩んでいくのを感じた。
「……髪の毛だけ?」
我ながら態とらしかったとは思う。ほんの少しムッとしたような声色を作って問えば、相も変わらず忙しなく指を動かす彼女は「んー?」と困ったような、けどそれでいてどこか楽しそうな声を上げる。
それに続く言葉は虚しくも、予鈴の音にかき消されていくのだった。

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絵本に登場するお姫様や王子様という存在は、大抵みんなくるくるの髪の毛を持っていたのを幼いながらにずっと不思議に思っていた。
多分見栄えだとか『こうあるべき』とかいう謎の固定観念を持つ大人のせいだとは思うのだが、癖のない真っ直ぐな髪の毛を持って生まれてしまった私は一般的な女児と同じく、そういった媒体を通してくるくるの髪の毛に漠然とした憧れというのを抱くようになっていった。ある種の刷り込みだ。
小学生の時に三つ編みをして寝てみたり、中学生になったらヘアアイロンで巻いてみたり。しかしそういった努力も虚しく、なかなかしっくりくるウェーブは作れず、その度にがっかりしたものである。

だが、高校に入って出会った大和猛という男の髪の毛を初めて見た時、私は「これだ!」と6歳の時ぶりに思った。
毛先だけくるりとカールした髪。そして何よりあるがまま、ごく自然に持ち主に馴染んでいる(生まれ持った物なので当然なのだが)。
特に今日のように朝から雨が降り続いている日は湿気のおかげで見た目の柔らかさが上がり、見ていてとても楽しい気持ちになる。
本人は時折鬱陶しそうに掻き上げる動作を見せるものの、それすらも私の目には輝かしいものとして映るのは、恐らくまだ本人には言わない方が良いはずだ。これは私の勘だけど。

「……
自分の席なのにどこか居心地悪そうに座る大和の後ろから、あちこちに向かって撥ねる毛先を指先で弄っていると、暫くされるがままになっていた大和が数分ぶりに口を開いた。
その声は何故だか掠れており、いつもの自信に満ち溢れた言動からは程遠く、どこか滑稽で笑ってしまう。
「何?」
一瞬手元から視線を外したせいで、指先が大和の耳に触れる。髪に集中していて気づかなかったが、先の方はほんのり赤くなっていた。
「楽しい?」
「うん、楽しい」
大和は私に背を向けているのでどんな顔をしているのかはわからない。だが、声色はどこか鈍く重たげだ。もしかすると私の見た事のないような顔をしているかもしれない。
とても気になったが、それよりも今は憧れの柔らかさに触れる方を優先した。

大和は私が持っていない物を何でも持っている。
好きなことをするのに向いている体格も、自信も、目標を達成するために努力をし続けるだけの根性も、私の大好きなくるくるの髪も、何も持ってない私の事を「好きだ」という気持ちも。
(最後のひとつに関してはまだちょっとよくわからないのだが、)それらについて考えていると、不思議と暖かい感情が込みあげてくる。
たぶん私はないものを手にするよりも、ないものへの憧れをただ募らせている方が向いているのだろう。しっくりこない髪型をするより、しっくり来ている人の髪の毛を触る方が。そんなことを考える。
いつの日か、自分にはもったいないと解っていながらも手にしたいと思う日が来るかどうかは今のところわからないが。

「大和の髪の毛、好き」

何の気なしに私が呟くと、ぴくりと大和の肩が動いた気がした。
見間違いかと思考を巡らせていると、「……髪の毛だけ?」とどこか不満そうに返される。
珍しく子供みたいな反応をされたのが可笑しくて、必死に笑いを堪えながらはぐらかす。
「んー」
どうでしょう。私もまだその件については考え中だからなあ。もう少しだけ、待っててね。
大和にどう告げようかどうか悩んでいると、5時間目の予鈴の音が私の代わりに『今日のところはここまで!』と知らせてくれた。