Day Dripper

Monday


窓から差し込む朝日が目に染みる。
全身に満遍なく漂う、その何物にも例え難い気だるさに思わず低く唸り声を上げた。
痛いと言うよりは重い。何かが身体の上に乗っているかのように。当然、実際に何かが私の上にのしかかっているわけではない。しかし頭が、腕が、足が、胴体が、全身が重く感じ、まるで自分のものではないような、そんな気さえするのだ。
――この異常なまでの気だるさの原因は私にはわかっていた。
しかしできることならばわかりたくなかったし、敢えてここで声を大にして言いたくもない。それに、床に散らばった衣類と布団から覗く肩の冷たさが全てを物語っているので、私が敢えて今わざわざ口に出して言う必要は無い。ということにしておく。
眉を顰め、鈍重な動きで身体を起こし前髪を掻き上げると、未だはっきりとしない視界の端でぼんやりと捉えていた“気配”が私の覚醒に気づいたようで、「ちゃんおっはよー!」と底抜けに明るい声を投げかけた。
その無駄に大きな声が私の鈍く痛む頭にダイレクトに突き刺さる。(ちょっとは自重しろ。)
昨夜のこと、そして今のこと。両方ひっくるめて彼に言ってやりたいことは山ほどあったが、カーテンの隙間から垣間見える、深く高い青空に免じて許してやろう。
ぐっと全ての不満を飲み込んだ私は手の甲で目を擦りながら
「おはよう、ライアン」
溜息と一緒に、彼に向けた朝の挨拶を吐き出した。

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「珍しいな?俺よりちゃんの方が遅く起きるなんて」

明らかに焼きすぎているトーストを私の向かい側で齧りながら、ライアンはのんびりと言う。
(「それ、焦げてない?」と指摘すると彼は自信たっぷりに「これがいい」と答えた。)
その屈託のない笑顔に私は静かに顔を引きつらせ、視線を手元のマグカップに落とす。

「…そうね」

自分からあんなに――執拗に“求めて”きておいて、その態度は如何なものか。
そんな思いが一瞬頭を過ったが、まあ2週間ぶりに会えたのだし、正直久々の逢瀬に私もついついテンションが上がってしまったのも事実であるから、何も言えない。
口元にマグカップを運ぶと、湯気の向こうで彼の笑顔が憎たらしく揺れていた。

私がライアンのマネージャーの座から退いて1ヶ月とちょっと。仕事がある日はほぼ毎日顔を合わせていたあのときと比べると、ライアンと会うペースは格段に減った。
けれどもお互いに仕事とプライベートの切り替えをする必要がなくなったため、その分気が楽になったのは確かであり、そもそも彼も私もそれを望んでの今回の決断であったので、このことに関して一切不満はない。
寧ろ、やっと後ろめたさが取っ払われ、この関係のスタートラインに立てた。そんな気さえしていた。

私は彼が淹れてくれた濃いめのコーヒーと一緒に様々な思いを胃の中に流し込む。
一方で彼は気の抜けた声を上げて大きな欠伸をし、惰性で流していたテレビのニュース番組を見て「このアナウンサー、ポメラニアンみてぇ」と、わけのわからないコメントをする。
理解不能なそのコメントに、私は思わずコーヒーを吹き出す。
慌ただしいながらに鷹揚な時間が、月曜日の食卓を満たしていた。

「おっ、もうこんな時間かよ」
暫くするとテレビから壁の時計へと視線を移し、ライアンはマグカップの底に少し残っていたコーヒーを全てを飲み干して椅子から勢い良く立ち上がった。
私は食器を流しに運ぶその後ろ姿に向かって眉根を寄せつつ「あれ、いつもより早くない?」と疑問を投げかけた。
時計は8時前を指している。私の家から会社までは30分程度かかるが、それを考えても始業時刻の9時まではまだまだ余裕があるはずだ。

「うん、朝一で取材あって。遅刻厳禁なものでね」
ライアンは戯けるように答え、ベッドの上に無造作に置かれた自身の衣類をまとめ始める。
「へぇ。何の取材?」
体を忙しなく動くライアンの方へ向け私は問いかけた。

環境が変わった私だけでなく、彼は彼で人気ヒーローとして相変わらず忙しい日々を送っているようである。
最も、本人はヒーロー業に関してもその他のマスコミ関係の仕事に関しても心底楽しんで行っているため、どんなに忙しくとも苦労や疲れは一切見せず喜々として仕事へ向かうのだが。
この点に関しては私は心底尊敬しているし、憧れに似た感情もあった。
これは本人には伝えていない、私だけの秘密である。

「えー?なんだっけ…あ、あれだ、いつものファッション誌」
「撮影あるの?」
「あったと思う」
「今日は取材、一個だけ?」
「んー、確か」
「そう。じゃあ午後からは会社で事務仕事ってパターンね?」
「まあな」
「月末だし、報告書とか溜めてるんじゃないの?大丈夫?」
「……なあ、ちゃん」
言って、彼は動かしていた手をはたと止め私に視線を移す。
「えっ?」
突然の呼びかけを不審に思い私が首を傾げて見せると、彼は少し困ったような笑顔を浮かべ、やれやれと言う風に肩を竦めて短く息を吐いた。
「もう俺のマネージャーじゃねーんだから、仕事についてそんな突っ込んで色々聞く必要、無くない?」
「あっ…ごめんね、つい…」
半ば呆れたように私を嗜める彼へ向けて咄嗟に謝罪の言葉を漏らすと、彼は柔和な笑みを浮かべる。
そして大股で私の元へ歩み寄ると、くしゃくしゃと頭を撫でた。
「いや、別にいいけどさぁ~。ホラ、何か、ちょっとな?」
調子狂うから。そう言ってライアンは唇をほころばせる。
「ほんとごめん。癖がなかなか抜けなくて…」
ちゃん、ほんと真面目すぎ」
目尻を下げ、彼はからからと軽い笑い声を上げた。

当然、私も悪気があったわけではない。
無意識のうちに、私はもう踏み込む必要の無い場所にまで深く潜りすぎてしまっていたようだ。
何と言うか、我ながら呆れて物も言えない。
決まりが悪く、照れと自己嫌悪が入り交じった複雑な表情を浮かべライアンを見上げれば、彼はそっと口に微笑を滲ませた。

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「じゃあ、また連絡すっから」
身支度を終え、玄関のドアを開けながら彼はこちらを振り返る。
私が食器を洗う手を止め「行ってらっしゃい」と顔の横で小さく手を振ると、彼はそれに答えるように満足げに微笑み足早に会社へと向かった。
次会えるのはまた週末だろうか。
――なんてことをこれまた無意識のうちに考えてしまう自分に気がつき、気を引き締めろと自分で強く言い聞かせる。
ふるふると邪念を取り払うように頭を振り、残っていた洗い物をテキパキと片付ける。
少しばかりゆっくりしすぎた。
時計を一瞥した後、私も出勤するための準備に急いで取りかかった。