さよならバイスタンダー

#3


突き当りに大きな観葉植物。南国の海みたいな色のカーペット。そこは見覚えのある廊下、というか会社のエレベーターホールに続く廊下だった。手前の角から見覚えのある赤い髪がひょっこりと顔を出す。左近だ。ポケットに手を突っ込んで、欠伸をしながらエレベーターを待っている。ほどなくして、彼の後ろから大きな段ボールを持った女の子が現れた。名前は知らないが、何度か会社で見たことがある子。少し垂れている大きな目と、アッシュ系の髪色が印象的だった。彼女は左近を見つけると、親しげに声を掛けた。知り合いなのか。そっか。左近はとても顔が広いから。あの人好きのする笑顔ですぐに誰とでも打ち解ける。ふたりは知り合いと言うよりは、気の合う友達。もしかしたら、彼女の方はその先を望んでいるのかもしれない。女の勘ってやつだ。私には、ふたりがそんな風に見えた。声を掛けられた左近は二言三言彼女に向って何かを言うと、彼女が抱える荷物へ手を伸ばした。ちょっと頬を赤くした彼女がオレンジの入った口紅を塗った唇を動かす。ありがとう、左近ちゃん。たぶん、そう言った。デジャヴ。というか、これは夢だ。気づいたのは、そう遅くはなかった。夢だというのに、胸の奥だけはあの時のまま、やけに現実的な熱と痛みを持っていた。

私はお世辞にも可愛げがある女とは言えない。予定が無い日は平気で一日中パジャマで過ごせてしまうし、髪すらも梳かさない時だってある。小さい動物や子供を見てかわいいなあと思うことはあっても、それを口に出して言うことはあまりない。誰かと一緒じゃなきゃラーメン屋にも牛丼屋にも入れないなんていう角砂糖まみれの発言なんてしないし、恋愛映画よりも派手なアクション映画を好んで見る。左近の隣で頬を染めたあの子のことを、私は何も知らない。でも多分、憶測だけど、私とは真逆のかわいい子なんだろうなと思う。見た目の話ではなく中身の話。思い返せば、左近の周りにはかわいい子が沢山居た。流行りの物が好きで、可愛いものには「かわいい」と声に出して言えて、友達とご飯を食べる前には必ず写真を撮ってSNSに上げて、好きな人が他の子と話しているだけでムッとして、でも好きな人にはちゃんと「好き」って言える。そんな、素直で真っ直ぐでかわいい子。だから私も、そうなろうとした。もっと左近に自分の事を好きになって欲しかった。これは意地だった。勝手に不特定多数に対して競争心を抱いて、勝手に嫉妬して。初めはよかった。苦痛は感じなかった。でも、段々とそんな自分に嫌気がさしてきた。左近に近づこうとすればするほど、自分が自分でなくなっていくような気がした。理想と現実の間で板挟みになって、悩んで、その悩みが限界に達したとき、私は左近に別れを切り出した。どうあがいても、私はかわいい子にはなれないから。それに気づいてしまったから。私は正しい。そう言う左近はきっと、どんな私でも構わないとかいう甘いことを言って受け入れるのだろう。でもそれでは駄目なのだ。私は左近に甘かったけど、左近も私に甘かった。甘えすぎていた。だから……
勝手に躍起になって、勝手に勝負を挑んで、勝手に敗北して、勝手に身を引いた。去り際までかわいくない。最後まで可愛げのない女だったなあ。本当に。

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目を覚ますともう日が暮れていた。眠りが浅くて途中何度か起きた気がするが、はっきりとは覚えていない。寝すぎたせいか、まだ熱があるせいかはわからない。朦朧とする意識の中、瞼を開けるのと、玄関のチャイムが鳴るのとはほぼ同時のことだった。誰だろう。薄暗い部屋の中をふらつく足取りで抜け、モニターの画面を見た私は、そこに映った色を見て思わず息を呑んだ。風に揺れる一部分だけ赤く染めた派手な髪。駱駝みたいな色のチェスターコート。ぐるぐるに巻いた派手めなチェックのマフラー。そのすべてに見覚えがありすぎた。左近だった。まるでお化けにでも出くわしてしまったかのように早鐘のように打つ心臓。冬だというのに背中に滲み、伝う汗。どうしよう。本当はどうするべきかはわかっているのに、体が動かなかった。そんなこんなしていると、またチャイムが鳴った。ここで私が出なかったら、ドアの向こうで寒い思いをしている左近はどうするのだろう。きっと諦めて帰るか、少し待ってみて、それから帰るか。そのどちらかだろう。では、私がここで私が出たら?捨てた男の訪問を受け入れて、それから、どうなる?まだ熱があるのか、回らない頭で考えたが、答えは出なかった。答えが見えなかった。ふいに、今朝三成と電話をしたときのことを思い出した。『そういうのは私ではなく左近にでも頼んでおけ』。頼んだところでどうなるのだろう。記憶の中の三成に聞いても、自分に聞いてもわからない、わからない。いくら考えてもわからない。漸く体の自由が利くようになったと同時に、見えない何かに吸い寄せられるようにふらふらと玄関に向かう。ふらついて、靴箱の上に置いていた招き猫を倒してしまった。ごとり。「さん?」その物音に反応した左近がドアの向こうで私の名前を呼ぶ。もう、観念するしかなかった。
「はい…」
襖を開けるようにしていつもより重たく感じるドアを開ける。恐る恐る。客観的に見れば、そんな表現が適切だっただろう。半開にしたドアから私の姿を捉えた左近は一瞬目を大きく見開いてから、何故か泣きそうな顔になった。
「っ~!よかった、生きてたァ」
左近はいつでも大袈裟なんだ。

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いつも仕事に持っていく時より大きめのバッグを持ってきたことから推測するに、左近は出張の帰りにそのまま家に寄ったらしかった。大した会話もなくとりあえず家に上げ、玄関で左近が靴を揃えるのを見ていると、目が合った。眼の下に薄っすら隈があるような気がするが、玄関が薄暗いだけかもしれない。いずれにせよ、前に三成からの説教を受けているときに横目で見た時よりはいくらか元気そうに見えた。
「ちゃんとご飯、食べてる?」
「第一声がそれっすか」
はは、と力なく笑い、左近は私のおでこに掌を当てる。
「もしかしてまだ熱、ある?」
「測ってないからわかんないや」
「あっ、つーか俺、もしかして起こしちゃった!?」
「辛うじて起きてたから大丈夫だよ」
「なんすかそれ」
んもう、三成様から聞いて飛んできちゃいましたよー。風邪薬飲みました?俺いちおー買ってきましたよ市販のやつ。メシは?つーかさんの方こそメシ食ってんすか?なんか痩せてね?食べてないから風邪引くんでしょ。ぜってーそうだよ。俺ちゃんと毎日三食食ってるから風邪ひかねーし。まあ、殆ど出来合いのやつだけど。あ、馬鹿は風邪ひかないってか?それ言われると辛いわ。先程までの沈黙が嘘みたい。堰を切ったように話しながら、左近は私をベッドに座らせて、自分は私の足元で正座をした。上着くらい脱いだら?自分の部屋なのに居心地の悪さを感じた私がそう告げると、左近はばつがわるそうにコートと上着を脱いで、傍らに置いた。
「久しぶりだね?」
「俺はあんまりそんな感じしませんけどね」
「なんで」
「エッ、ほら、会社で…見るし…あの、別に目で追ってたとか、そういうワケじゃないんスけど。ついついこう、探しちゃうっつーか、あーもうすいません、さんに迷惑かもとか考えないわけじゃなかったんッスよ、これはガチで!だって連絡とるのは歯ぁ食いしばって止めましたし、」
まあ結局、どんだけ言い訳してもこうして会いに来ちまったから申し訳も立たねぇよな。左近は私の足元で自嘲気味に笑い、それから視線を正座したままの自分の膝に落とした。申し訳が立たないのはこちらも同じだ。こうしてホイホイ別れた男を家に上げてしまうのだから。
「やっぱ迷惑でしたよね。風邪引いてんのにそれをダシにして上がりこんで。俺、帰ります…」
「うん、帰って」
「……ッ」
「って言っても帰んないよね」
わかってるよ。だって私はあなたのそういうところが好きだから。前も、今も、変わらずに。そっか。好きなのか。私は左近の事が、まだ。意地悪言ってごめんね。言えるはずもなく、目の奥が熱くなるのを誤魔化すように、ベッドの上で膝を抱え、小さくなる。顔を伏せると、左近が心配そうに「さん?」と聞いた。
「そんなしんどい?つーか………泣いてる?」
「泣いてない」
「そう…」
「……嘘。泣いてる」
『君はもっと正直になった方が良い』。眼から入る情報をシャットアウトした世界で、私は半兵衛の助言を思い出していた。左近が私の隣に腰掛ける気配がする。遠くもないけど、近くもない。肩と肩が触れ合わない程度の間隔をあけて。「俺のせい?」顔を見なくてもわかる。恐る恐る聞く左近に首を左右に振って答える。私が泣いているのは私のせいだし、風邪を引いたのも私のせい。ついでに言えば左近に気を使わせてしまっているのも私のせい。そしてもしこれで左近に風邪が移ってしまったら、それも私のせいになる。なにかひとつ、ちょっとくらい、左近のせいであったらよかったのになあ。思考や感情と連携できずにとめどなく出てくる涙と鼻水によってぐしゃぐしゃになっているであろう顔を上げると、左近はふにゃりと笑った。
「かわいすぎでしょ、さん」
「は?」
「かわいいって言ってんの。聞こえなかった?」
お望みなら何回でも言いますよ。さんがまた俺のことを好きになってくれるまで。なんて、チョー重いじゃん俺。でも本気ですからね。俺、やるときゃやる男だし。 自分で自分を茶化してはいるが、そう言って笑う左近の顔に嘘の色は見られなかった。というか、彼がそんな嘘やお世辞を言える性格ではないということは私が一番わかっている。この世界で一番、左近のことが好きな私が。
「…よく自分のことを振った女にそんなこと言えるね」
でも、この期に及んで私はまだそんな可愛げのないことを言ってしまう。自分で自分に呆れながらも左近に視線を送れば、どうしたことか、彼はやっぱり笑った。そうやって、すぐに甘やかすのだ。
「だって俺、さんのことが好きだし」
「…私だって左近のことが好きだよ」
「…………………へ?」
「好きだって言ってんの。聞こえなかった?」
すきだよ、左近。そう告げた私の目に映る左近は、ここで初めて笑顔を崩し、それはそれは間抜けな顔をする。お気に入りのおもちゃを無くしてしまった犬のような。それすらも愛おしくてたまらない。左近の頬に触れたくて、手を伸ばす。でも、私が触れていいのだろうか。彼を捨てた私が。躊躇っていると、左近は伸ばした指先を器用に絡めとってシーツの上に置く。私の手が熱いせいか、少し冷たくて気持ちよかった。
「……まじで?」
「まじで」
「じゃあ、」
その言葉に続く言葉を、私はわかっていた。だから左近の前に手を翳し、遮るようにして口を開く。この1ヶ月間、いや、それ以上ずっと抱えていた私の想い。それから、周りの人と話して気づいた想い。声も掠れていて、うまく話せたかはわからない。正直に、変に取り繕ったり意地を見せたりせず、話した。左近は途中何度か私が今まで見たことがないような難しい顔をしたが、何も言わず、最後まで聞いてくれた。それから話し終えた後、買ってきてくれたアクエリアスをコンビニの袋から出して差し出しながら、口を開いた。
「…それ、別れるって言い出す前に言ってくれよ」
「私もそう思う」
「……じゃねーや、俺が言いたいのは……なんつーの?俺……やべぇ、今チョー嬉しい…」
「えっ?」
「だって、さんが自分のことこんなに話してくれたの初めてだし?つーか俺もアンタに言いたいことあったんよ。さん、何で俺にもっと腹割って話してくんねーのかなって。別れるつったときも結局最後まで理由言わなかったっしょ。まあ今聞けたから良いんだけど…。ほんとアンタって超が付くほどの意地っ張りだよなあ。あ、あと俺の事そんな風に思われてたってのもちょっと気に食わねえし…だって俺はそのままのさんが好きって、これ前も言ったよな?でも、変わろうって思ったのは俺の為を想ってっしょ?それって、そんなの、チョー嬉しいとしか言いようがねえよ、なあ」
嬉しい、嬉しい。
私の手からペットボトルを取ってテーブルの上に置くと、左近は鼻歌でも歌い始めそうなほどウキウキしながら、ベッドの端から毛布を引っ張りあげてきて私の背中に掛けた。正直、引かれても仕方ないと思っていた。見限られても。捨てられても。勝手に推測して、勝手に頑張って、勝手に別れを告げて。でも、伝えなくてはならないと。そして包隠さず伝えた結果、この男は「嬉しい」と言った。先ほどよりも距離を詰め、毛布越しに触れる肩と肩がくすぐったかった。
毎日会社で会っているというのに、律儀に起床後と就寝前には必ず連絡を寄越し、週末にはまめにデートに誘ってくれる左近。対して、左近からの連絡に緩くふわふわと応じるだけの私。その温度差は明白だった。しかし、その温度差を生み出していたのは他でもない、意地っ張りで妙なところで照れ屋を発揮する私自身だったのだ。水と空気みたいな存在でありたい。そう言ったとき、思えば、無意識のうちに私は自分の殻を割ろうとしていたのかもしれない。変わりたいと、思い始めていたのかもしれない。あの時はほんの気まぐれで言った言葉だが、もっと素直に生きてみようかと思える今なら左近の目を見てはっきり言える気がする。あなたが居ないと生きていけないわ。そんな、ドラマチックなことは言えないけど、気を張らなくても、遠慮をしなくても、気が付いたらそこに在るような、そんな関係に。そう言えたとしたら、左近はまた、明瞭に「そっすね!」と言ってくれるだろうか。まっすぐな目で、私をまた、肯定してくれるだろうか。そんなことを考えながら、左近の頭に両腕を伸ばし、抱え込んだ。 「好きだよ、左近」
「それ、顔見てもっかい言って欲しい」
「私が意地っ張りでも、捻くれ者でも、好きでいいの?」
「関係ないね。さんはさんだし。あと俺、さんが居ないと生きていけねーし」
「……恥ずかしいから今は嫌」
「じゃあ平気になったら言って。それまで何時間でも待つから。何時間でも。何日でも。何週間でも。何ヶ月でも。何年も。つーか、それくらいの我儘言う権利、俺にはあるよな?」
何回でも何十回でも言ってあげるよ。あなたが望むのならば。でも、もう少しだけ待っていてね。次に左近の目に映る自分は、彼に負けないくらい真っ直ぐな目をしていると良いな。願いを込めるように、誓うように。左近の赤い髪の毛の上にキスをした。

fin.
title:さよならバイスタンダー(YUKI)