Goldrushed!

#2


私が勤めるこの会社は、コンチネンタルエリアでも名の知れたアパレルブランドである。
主に20代~30代の男女に支持され、最近では海外にも多く出店している。
あまりファッションに興味のない若者にブランド名を言っても「ああ、名前は聞いたことある」と答える程度の知名度、と言えばわかりやすいだろうか。
大した覚悟や大きな目標もなく、幼い頃からなんとなく服が好きだったという理由で、なんとなく学校で勉強をし、なんとなく卒業した私が何故この会社に入れたかは未だに謎であるが、とにかく運が良かった。
そしてその運をここで全て使い果たしてしまったようだ。どうやら。

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長い長い廊下の突き当たりにある、この建物の他のどんな扉とも違う、静かに威圧感を放つ煉瓦色の木製のドアの上で上品に輝く【President Office】の文字を眺めながら、私はぎゅっと両方の手を握りしめた。

「失礼します」

覚悟を決めてドアをノックする。
「どうぞ」と凜とした女性の声が聞こえるのを確認し、ゆっくりとドアを開ける。
この緊張感――入社面接を思い出すなあと暢気なことを考えながら社長室に入り、深々とお辞儀をする。
頭の中でゆったり三秒数え顔を上げると、グレーの髪を耳の後ろ辺りで一つに結い上げた初老の女性――この部屋の主、即ち私を呼び出した張本人である社長が、何かの書類を眺めながら「さんね?」と問いかけた。
「はい。お呼びでしょうか、社長」
声が上ずっている。
人見知りはあまりしない方だが、社長の前では話は別だ。
普通に、普通に、と自分自身に言い聞かせながら、普通にするということがまず無理だ、普通に話せるわけがない、っていうか普通って何だ、とよくわからないことを考え始める程度に私の頭の中は目の前に広がる非日常的な空間と張り詰めた空気に混乱していた。
「おかけになって」
私は勧められるまま部屋の中央に鎮座する革張りのソファに腰をかけ、相変わらず書類に釘付けになっている社長の顔を眺める。

私の記憶では、社長の年齢は50代後半だったはずだ。しかし、近くでよく見ると年齢を感じさせないほどの若々しさがある。
背筋はピンと伸び、白い肌にも艶がある。
これは相当金かけてるよな…等と、思わず下品なことを考えてしまう自分がとても恥ずかしい。

「…私の顔に何か付いてる?」
私の熱い視線に気づき、社長は顔を上げる。
「いえ!!社長ってお若いなあって!見とれてました…ごめんなさい」
必死で弁解する私を見て、社長は「貴女、本当に面白い人ねぇ」と上品に微笑んだ。
「あ、ありがとうございます」
果たして今のはお礼を言うべきところだったか考えていると、社長はふっと小さく笑い「じゃ、本題に入りましょう」と座り心地の良さそうな背もたれ椅子から立ち上がり、私の向かい側に優雅な動作で腰掛けた。
「はい」
いよいよ呼ばれた理由が明らかになるらしい。固唾を呑み、ひざの上に置いた両手を握り直す。手のひらが湿っているのがわかる。
社長は銀フレームの眼鏡を外してテーブルに置きながら、春に咲く薔薇の色のようなルージュが塗られた形の良い唇を開いた。
「我が社が新しいヒーローと契約を結んだのは、知っているわよね?」
「ひー…ろー…?」
それは私を責める言葉でも叱咤する言葉でも、クビという何よりも恐ろしい二文字でもない。
社長の口から飛び出した、予想もしていなかった単語に素っ頓狂な声が漏れる。
「ええ。ヒーロー」
「…ああ、はい、知っております、が…?」

ヒーロー。
この街では、それぞれ自身が所属する企業の名を背負った“ヒーロー”と呼ばれる特殊能力者「NEXT」が、様々な事件・事故現場で犯人確保や人命救助をし、活躍に見合ったポイントを獲得するため競い合う様子がエンターテイメント番組として放送されている。
元々は他の国で始まった番組だが人気が出たことにより、ここ数年、この街も含め、各地で似たような番組が放送されるようになっていた。
この会社でも数年前からあるヒーローと契約し事業に参入していたのだが、先月そのヒーローが今シーズン限りで一身上の都合により引退することを発表。
そのまま社内でヒーローに関する全ての業務を担っていたヒーロー事業部は解散するのかと思いきや、つい先日、他の地域で活躍していたという新しいヒーローと契約を結ぶことになったという話を朝礼や噂で聞いていた。

「それで、そのヒーローと私に何の関係があるんですか?」
勿論私はNEXTではないし、ヒーロー事業部の所属ではない。それ以前にヒーローにもあまり興味はなく、HERO TV自体数える程度しか見たことが無い。 社長が何を言おうとしているのか皆目見当が付かない。
ヒーローの話題は、私の緊張をほぐすための社長なりの気遣いなのだろうか。だとしたら申し訳ない。生憎それに乗れるだけの知識は持ち合わせていない。
そんなことを考えていると、
「関係、あるわよ」
と、社長は毅然と言ってのけた。
「え?」
「だってあなたには、来月からその新しいヒーローのマネージャーになってもらいますから」
社長はそう言うと机に置かれたファイルから【辞令】と仰々しく書かれたA4サイズの紙を取り出し顔の横に掲げ、少女のような綺麗な瞳でこちらを見つめた。
「ええ、と…?」
私にとっては大発見だった。
人は驚きすぎると言葉を失うらしい。
「……ひとつ、聞いてもいいですか?」
ひとつどころか100個くらい聞きたいこと、というかツッコミたいことはある。
しかし欲張るのはいけない。欲張っていると必ずどこかで失敗するから。
「どうぞ」
白い紙にしっかりと記された自分の名前から目を離すことなく、私は社長に一番聞きたかった疑問をぶつける。
「何で私、なんですか?」
相変わらず春の日差しのような笑顔を浮かべる社長は、よくぞ聞いてくれたと言うように胸を張り、自信満々といった風に答えた。
「だって、元気が良いから」
「はい…?」
自分でも驚くくらい情けない声が漏れた。
社長はそんな私を尻目にソファから立ち上がり、窓にかかるブラインドを開け、外の景色を眺めながら続ける。
「今のヒーローのマネージャーをしている社員にそのままお願いしようと思ったんだけど、彼女も今シーズン限りで退職することになっててね。他のヒーロー事業部の社員も、引き続き同じ仕事をして貰った方が勝手もわかってるし効率がいいじゃない?だから、他の部署から1人、若々しくて活気溢れる健康そうな社員を探してお願いしようと思ってたの。この仕事って、貴女が今までやってきたデスクワークと違って体力勝負なのよ。取材に同行したり、アポ取ったりね。だから元気があるのは絶対外せない条件なの」
「は、はい…」
はい、と口では言うものの、実際社長の言っていることの半分も理解できたか怪しいところだ。
回らない頭をフル回転させ、どうにか言葉を飲み込み、体力のある社員を必要としているというところまではなんとなく理解した。
しかし同時に新たな疑問が生まれる。
体力のある若い社員なら、自分でなくとも他にいくらでもいるのではないか。
それなりの歴史があるとはいえ、若者向けの商材を扱うこの会社の平均年齢は、他の商社に比べれば若い方だ。
それに、私は社長に見初められるような特技を会社で披露した覚えもないし、更に言えばそんなもの端からなく、学生時代の体育の成績もお世辞には良いとは言えなかった。
どうして私なのか――その疑問をダイレクトにぶつけようと口を開きかけたが、社長の方が先に話し始めた。

「昨日の夜、休憩スペースから飛び出して来る貴女を見てピンと来たのよ」

昨日の夜。休憩スペース。飛び出す。
この3つのワードを聞いた瞬間、全身からサッと血の気が引くのがわかった。
あの時の人影は、ああ、なるほど、そういうことだったのか。

「あの脚力、声の大きさ。新ヒーローのマネージャーとしては申し分ないわ」
再び私に視線を向け、社長はうんうんと納得するように自身の発言に頷く。
そして、青白い顔で餌を待つ鯉のようにパクパクと口を開閉させる私に、とどめの一言を突き刺した。
「プライベートで“何か”あったみたいだし、心機一転、がんばってみない?」
なんということだろうか。
昨夜走りながら心の中で呟いた、『遠くへ行きたい』という願いがこんなにも早く叶うとは。
ずたずたに切り裂かれた心の悲鳴を聞きながら、窓の向こうに広がる空に目をやる。
私の心とは対照的に、雲ひとつない快晴だ。
その微かに夏の匂いを残す青空を背景に、社長がいたずらっ子のような笑みを浮かべ、ただただ私を見つめていた。