Goldrushed!

#3


私の異動が“めでたく”決まってから新ヒーローが来るまでの約1ヶ月間は、予想していたより遥かに大変であった。
まずは前任者、つまり前シーズンまでうちに所属していたヒーローのマネージャーだった先輩社員から、業務についてや留意点等を聞き、徹底的に頭にたたき込む。
更に各メディアへの挨拶回りなどで日中歩き回り、元々それなりだったふくらはぎは更に太くなってしまった。
そしてまだそれだけなら良かったのだが、それと平行して自身が今まで担当していた仕事の引き継ぎも同時にこなさなくてはならず、私の小さな脳みそは静かに悲鳴を上げていた。キャパオーバーというやつである。

我がヒーロー事業部は約10人という少人数で構成されている。
「約」という曖昧な表現をするのには理由があり、他の部署と兼任している社員が殆どであるからだ。
部長や経理・事務担当の社員は頻繁に顔を出すが、【ヒーロー事業部】というプレートがかかっているこの部屋に常駐して仕事をしているのは、ほぼ私ひとり。
他の社員は皆、普段は兼任している部署で仕事をしながらヒーロー事業部の仕事をこなしている、という状態である。
その社員の中から1人くらい人員を確保することはできなかったのか、本当に使えないなこの会社の人事部は、とも思ったが、残念なことに他の部署に比べヒーロー事業部の年齢層は群を抜いて高く、私を除いた社員の年齢を平均すると40代後半くらいにはなるだろうから、若さと健康な身体だけが取り柄の独身女の私は社長の言うとおり、まさに適役であると言えた。(自分で言っていてすこし悲しくなってきた。)

そんな若さだけが取り柄の私に振られた主な仕事はヒーローのスケジュール管理、取材の取り付け、取材現場への付き添いその他諸々であった。
現場によっては部長が付き添うこともあるが、前任者の話だと8割はマネージャーである私が撮影等の現場に付き添うことになるらしい。
ヒーローのメディアへの露出度は各企業がヒーローをどう扱うかによって決めるためまちまちだが、うちの会社は自社の広告塔としてバリバリ働かせて行くという方針らしく、また、「新ヒーロー」としての物珍しさから、本人が来るまでの間も取材のアポ取りの電話は絶え間無くかかり、私は慣れないスケジュール管理業務に日々追われていた。

「はあ…」
キーボードを叩く手を止め、ため息を吐く。異動してから何度目のため息だろうか。そろそろ1000回を超えるだろう。
そんなことを考えながら、マグカップに淹れたコーヒーを飲む。自覚がないほど集中して仕事をしていたのであろう。中身はすっかり冷めていた。
予想外の冷たさに顔を顰めながら腕時計を見る。15時52分。
この後、16時からいよいよ新ヒーローと初顔合わせをすることになっていた。
この約1ヶ月間、まだ声も聞いたことのない“彼”のために自分の生活の全てを捧げた。
最初は戸惑いもあったが、これまで自分に割り振られていた仕事内容に「本当に自分に向いているのだろうか」という疑問を抱くことも多々あったし、更に以前所属していた部署の先輩たちからも「ちゃん真面目だし、意外にこういうの向いてるんじゃない?」「せっかくの機会なんだからやるだけやってみなよ」と背中をぐいぐい押されたこともあり、考えを改め、やるからには全力で取り組もうと決めて必死で毎日過ごしてきた。
そして今日、漸く本当の意味でスタートラインに立てる。

私はブックスタンドに立てていたファイルから新ヒーローのデータが印刷された紙を取り出し、暗記するほど読み込んだ書類に今一度目をとおす。
彼は私と同い年ではあるが、様々な土地でのヒーロー経験があり、各地で残した成績も申し分なく、メディアの期待度はかなり高い。
更にサービス精神も旺盛で、その甘いマスクとの相乗効果により各地に熱狂的なファンを大勢作ってきたという話も耳にしている。

(さすらいの重力王子、ねえ…)

履歴書サイズの彼の写真を指でなぞりながら再びため息を吐いていると、軽いノックの後、「お疲れ様~」と気の抜けた声と共に、疲れた顔の初老の男性が部屋に入ってきた。
「お疲れ様です、部長」
私は書類をファイルに戻しながら顔を上げ立ち上がり、今しがた入室してきた男性――ヒーロー事業部部長に会釈をした。
「調子はどうだい?」
「ぼちぼちです」
疲れてはいたが、精一杯の笑顔を作って部長へ向ける。
「それはよかった」
にっこり微笑みながら部長は歪んでいたネクタイを締め直す。そして
「お待ちかねの人を連れてきたよ」
と言い、親指でドアの向こう側を指した。

(ああ、いよいよだ。)

唇を噛みしめる。社長に呼び出されたあのときほどではないが、程々に緊張している。
口の中がカラカラだった。
「いよいよだね」
「はい。いよいよです」
「心の準備はいいかい?」
「…まだ、って言いたいところですが、そんなことも言ってられませんからね」
「はは」
部長は緊張気味の私に今一度笑いかけ、静かに頷き、廊下で待つ“彼”を手招きをしながら呼ぶ。
「ライアンくん、こっちこっち」
その呼びかけに対し、「あーい」という気の抜けた返事と共に現れたのは、
(わ、)
写真で見るよりも少しばかり、いや、かなり、なんというか、

「どーも」

眩しい、男だった。

「えーと、こちら、君のスケジュール管理や雑務を担当してくれる、さん」
全身から発せられる彼の強烈なオーラに固まってしまっていた私は、部長が自分を紹介する声で漸く現実に引き戻され、慌てて挨拶をする。
「あ、えっと、です。至らない点も多々あるかと思いますが…」
「へえぇ~?マネージャーっていうから堅苦しいオッサンを想像してたけど、カワイイ子じゃん。嬉し~」
彼は私の言葉を遮り大股で歩み寄り、腰を屈めて私の顔を覗き込む。
「へっ?」
「ライアン。ライアン・ゴールドスミス…って、知ってっか」
「は、はい」
写真ではなく、至近距離で実際に見るその完成された端正な顔立ちに思わず息を飲む。
これは女性ファンも多いというのも頷ける。って、何を考えてるんだ私は。気を引き締めなければ。
自分自身を叱責していると、
「ま、これから一緒に、テキトーにがんばろうぜ?ちゃん」
そう言って彼はチャリ、とアクセサリーが立てる金属音を伴いながら右手を差し出す。
私は促されるままおずおずと握手に応じながらも、彼が今し方発した、「テキトー」という言葉をそのまま嚥下することができず、魚の小骨のように喉の奥に引っかかることに気付く。

テキトー?
適当、ってこと?
適当ってなに?

こちらは今まで必死で彼を迎える準備をしてきたというのに―――
ふつふつと、怒りに似た感情が沸き起こる。
決して上品とは言えない、だらしのない笑みを浮かべる彼の顔を見ながら、私は早くも彼との間に仕事に対する考え方の違いを感じ、

(これからちゃんとやっていけるのだろうか…)

心に大きな不安を抱いた。