Goldrushed!

#9


腕と背中の痛みに「うぐ、」と色気も無い呻き声を上げながら、机から上半身を起こす。
カーテンの隙間から僅かに差し込む光の眩しさに顔を顰め、そのまま視線を壁に掛かった時計に移し、時間を確認。
「…しまった」
どうやら昨晩持ち帰った事務仕事をしている途中で寝てしまい、そのまま朝を迎えてしまっていたらしい。
不意に襲う絶望感に、私は思わず頭を抱えた。

早いことに、自社所属のヒーローとしてライアンを迎えてから、即ち私が彼のマネージャーになってから3つの季節が通過しようとしている。
光陰矢の如しという言葉があるが、その言葉が指す通り、本当に飛び去るように時間が過ぎていく。
私はヒーローTVのシーズン終わりが近づくにつれ日に日に増えていくデスクワークに追われつつ、すっかりこの街のヒーローとして馴染み、相も変わらずあちこちから引っ張りだこな彼のスケジュール管理をこなしていた。
“余計なこと”を考える暇を一切与えない、ここ数ヶ月続く激務に最初こそ感謝したが、ここまで来るとさすがにやり過ぎだろうとも思う。
しかし愚痴を言っても事態が好転するわけでもないし、それに忙しいのは私だけではない。更に駄々をこねたところで誰かが自分の仕事を代わりにやってくれるわけでも勿論ないので、半ばやけになりつつも全力で(そして割り切って)仕事に取り組んでいた。

私としたことが…と自身の失態を心の中で悔やみながら、鈍く痛む頭を左右に軽く振り立ち上がる。
ぐだぐだと後悔しているこの時間も勿体無い。
幸い、まだシャワーを浴びるくらいの時間はありそうだ。
5分で出てきて化粧して、それから20分で残ってる仕事を仕上げて…
(よし、間に合う!)
家を出なければならない時間から逆算し瞬時にタイムスケジュールを立てると(完全に職業病である)、私はパチンと両頬を叩き気合を入れ、相変わらず鈍く痛む頭を抱えながらよろよろとバスルームへと向かった。

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「このままの調子で逃げ切れば、今シーズンの1位はライアンで決定だろうねぇ」
事業部のオフィスの片隅にある丸テーブルに頬杖をつき、ヒーローTVの再放送を食い入るように見つめながら部長が言う。
月に一度行っている私と部長とライアンの3人での打ち合わせを終え、室内は束の間のリラックスムードに包まれていた。
私と同じくここのところ残業続きで、通常時でも充分疲れた風貌なのにいつにも増して老けて見える部長であったが、テレビの中のライアンに救助ポイントが入る度に「おお」だの「いいぞ」だの小さく声援を送る様は、まるで10歳かそこらの少年のようであり、なんだか微笑ましく思う。

「油断はできませんがね」
私がそう部長の呟きに返すと、隣に座るライアンが「そんなこと言うなよ~ちゃん」とご丁寧に頭を抱えるモーションまで付けながら喚いた。
「油断大敵ですよ。足下掬われても知りませんから」
横目でライアンに冷ややかな視線を送ると、部長が視線をテレビから私たち2人の方へ移し、「まあまあ」と仲裁に入る。
「ほら、ライアン、彼女は君のことを心配してるんだよ」
「ぶ、部長!」
私は反論しようと思わず立ち上がり声を荒げるが、肝心の部長と言えばただ何も言わずにこにこと私に微笑みかけるだけであり、結局何も言えずぐっと言葉を飲み込んだ。
「あー?なるほどね?」
部長の言葉にライアンが私を見上げながら何か妙に納得したように笑い、それから「まあ座りなって」と声を掛けた。

「でも、1年目でこの成績は本当に素晴らしいと思うよ」

私がライアンに促されるまま再び椅子に座ると、部長はテレビの電源を切りテーブルの上の書類をまとめ始めた。
「俺が優秀なのは当然のことだけどな」と私の隣で誇らしげに笑う彼の高慢な態度に、私はただ呆れるだけであったが、部長はうんうんと相も変わらず穏やかな表情で頷き、それからライアンの方へと向き直し、こう切り出した。

「そういえばそろそろ契約更新の時期なんだよね。こっちとしては是非来年もお願いしたいんだが、君は今のところどう考えてる?」

この地域の大抵の企業は、1年毎、つまりシーズン毎にヒーローとの契約を更新している。
雇い主と数ヶ月かけて面談を行い、成績や活躍、将来性、それから本人の意向などを考慮した上で、会社とヒーロー双方の希望が合致すれば契約更新。
また次シーズンも自社のヒーローとして活躍をしてもらう。
勿論例外もあり、怪我などによりシーズン途中で引退したり、他の会社に移籍したりといったことも過去にはあったらしいが、かなり特異なケースらしいという話を聞いたことがある。
「俺としてはそっちさえ良ければ更新してもらうつもりだけど?」
「そうかい。それはよかった」
契約に関しては完全に当人と雇い主の問題であり、マネージャーの私が出る幕では無い。
ライアンと部長のやりとりをぼーっと眺めながら、もう契約更新の話をする時期なんだなと、私はひとり静かに、時の流れの速さをひしひしと感じていた。
「…じゃあ、また更新に関しては追々社長も交えて面談するから」
「はぁい」
ヒヤリングと呼ぶには余りに簡単すぎる2人のやりとりが終わり、「お疲れ様」と手を振り自室へと戻っていく部長に私は会釈し、自分も事務仕事を再開すべく立ち上がった。

(もう17時か…)
ちらりと腕時計を確認し、溜息を吐く。打ち合わせが予想外に長引いてしまったが、幸いにも今日はもう会議もライアンの取材も無い。
集中してこの貯まりに貯まった書類を片付ける絶好のチャンスだ。
自分を奮い立たせながら、私はデスクに向かって歩き始めた。

――が、数歩歩いたところで、私はふいに強烈な頭の痛みに襲われる。
歪む視界。
ぐらつく足下。
「わ、」
まずい、倒れる。妙に冷静になりながらもどうすることもできず、とっさに衝撃を恐れて目を固く閉じる。

「っと!」
しかし、私を受け止めたのはオフィスの固い床ではなく、ライアンの両腕であった。
「……へ…?」
「あっぶねー…セーフ!」
俺の瞬発力に感謝しな、と言って戯ける彼を、何が起こったのか理解できない私は素っ頓狂な声を上げつつただ腕の中から呆然と見上げる。
「ジョーダンはおいといてさ、大丈夫?なーんかちゃん顔色悪くない?」
「そうですか?」
すみません、と謝りながら彼の腕を離れると、彼は心配そうに私の顔を覗き込んだ。 「うん。最近忙しいみたいだけど、ちゃんと休んでる?」
「…はい」
正直に言うと、休めていない。全く休めていない。
しかし自分でもよくわからないのだが、彼を心配させまいという気持ちからか、自然と嘘を吐いていた。
「ふーん?」
彼は眉を顰め一瞬私に疑うような視線を送ったが、すぐに表情を和らげる。
それからデスクに着く私を腕組みをしながら暫く眺めた後、彼は突然何か閃いたように「あ!」と声を上げた。
「なっ、なんですか?」
不審に思いながら視線を彼に向けると、
「俺、今日ちゃんの仕事が終わるまで待ってるわ」
名案だろ?と胸を張りながら微笑んでいた。
「…はい?」
まだ微かに残る頭の痛みに加えて突如降りかかった彼の予想外の提案に呆然としている私に構うことなく、彼は続けた。
「だからー、ちゃんの仕事が終わるまで待っててー、家まで送り届ける!」
「ちょ、待って下さい、何でそうなるんですか!?」
向かい側のデスクに座る彼に向かって声を荒げるも、彼は表情ひとつ変えずに飄々と宣う。
「だって俺、今日もう仕事無いし」
「暇なら、帰れば良いじゃないですか」
「マネージャーがこんだけ必死に働いてんのに帰れるわけねぇだろ」
「……っ」
(その顔は、ずるい)
普段あまり見せることのない彼の真面目な表情に、私は何も言えなくなり、同時にちくりと痛む胸に手を当て、唇を噛みしめる。
いつもの自分なら絶対に、どんな手段を使っても断るところだが、いつもと違う雰囲気を醸し出す彼に、私はついに折れた。
その目には有無を言わせず従わせる不思議な力があった。
「…わかりました、好きにして下さい」
「うん、好きにする」
そう言うと彼は再び笑顔を浮かべる。

ちゃんにはお世話になってるし、俺のこと、もっと頼ってよ』

ふと、あの日の彼の言葉を思い出し、私はむず痒い気持ちになる。
私はどうも、昔から人に頼るということが苦手である。
全ての問題を自分の中で解決しようとし、それで幾度失敗をしたかわからない。
それが良くないと頭ではわかってはいるのだが、それでも他者に助けを求めることができないのだ。
今回ももしかすると、無意識のうちに色々と抱え込みすぎていたのかもしれない。 そんなときに、彼は手を差し伸べてくれた。
表面上は戯けて見せているが、恐らくは彼なりに相当気を遣ってくれているのだろうし、とりあえず折角の好意なのだからありがたく受け取っておこう。
――私がそんなことを考えながらブックスタンドに立てかけていたファイルに手を伸ばすと、

「げっ、」

ほぼ同時に、すっかり聞き慣れた電子音が室内に鳴り響いた。
「こんな時に呼び出しかよ!」
ぶつぶつと文句を言いながら彼はPDAを操作する。
一通り事件の状況を確認をすると、苛々とした様子で机を固く握りしめた拳で強く叩いた。
「早く行って下さい」
なんだか今日は彼の珍しい表情が沢山見られるな、などとよそ事を考えながら私は彼に声を掛ける。
「けど、」
彼は何か言おうと顔を上げ口を開くが、私はその言葉を遮った。
「マネージャーが倒れそうになるまで必死に働いているのに、当のヒーローは働かないなんておかしくないですか?」
私の言葉に、彼はまいったと言うように肩を竦め、それから諦めたような笑みを浮かべる。
「…わかった。絶対ちゃんの仕事が終わるまでに片付けてくるから待ってろよ」
「はい。行ってらっしゃい」
そう言って、慌ただしくオフィスを飛び出して行く彼の背中を、今私ができる中で最高の笑顔で見送った。
オフィスのドアが閉まると、少しだけ残念に思っている自分に気がつくが、そんな気持ちを拭い去るように私は首を左右に振る。

(蓋をするって、自分で決めたじゃない、)

呼吸を整え、どうにか胸中のざわめきを沈める。今は仕事に集中しよう。集中しなければ。
それに、彼にあれだけ大それたことを言ってしまった以上、私も頑張らねば。
心の中で自分を叱咤激励し、ふうっと一息吐き、先ほど手に取ったファイルを開くと――

「……ッ!」

先ほどと同じ、鈍い頭の痛みに再び襲われ、机に上半身を預ける。
一体自分の身体はどうしてしまったというのだろう。
私は曖昧な意識と霞む視界の端で、今し方ライアンが出て行ったドアの辺りにうっすらと人影を捉える。

「ライアン、」

私は無意識に、譫言のように彼の名を呼んだことに自分自身で驚きつつも、立ち上がることもそれから先の言葉を発することすらもできず、ただ思考が深く深く沈んでいくのを感じていた。