Goldrushed!

#10


気だるさを感じながら意識を浮上させる。重い瞼を開けると、光が一気に飛び込んでくる。
とても眩しい。堪えきれず、ぱちぱちと何度も軽い瞬きを繰り返す。
知らない部屋だった。
部屋の匂い、背中の感触、聞こえてくる音から、私は総合的に判断する。
その中で何か一つでも知っている物は無いか、どんな些細なものでも良い。状況把握するための材料を探すべく首をゆっくり右に傾ける。すると、自分がよく知る人物の姿が目に入り、驚きのあまり息を飲んだ。
「お、かあさん…」
「おはよ。もうこのまま起きないのかと思ったわ」
死んだように寝てたわよ、と私の顔を覗き込み、脳天気に笑いながら私が寝るベッドの横に座る女性――他でも無い、我が母親は言った。
視界ははっきりとしているものの、頭が思うように働かない。
私は引き続き首をゆっくりと動かし、ぐるりと周囲を見回す。
清潔感のある白い壁、天井、母の背後にある何かを仕切るためにあるカーテン――

「ここはもしや…」
「病院」
「ですよねぇ」
久しぶりに会った母は、淡々と答えた。

私の実家は会社のある都市部より、車で2時間弱の場所にある。
帰ろうと思えばいつでも帰れる、逆に言えばいつでも帰れるからなかなか帰らない。
そんな絶妙な遠さと異動後のバタバタのせいで、電話は定期的にしていたものの、気がつけば実家にいる家族と1年近く顔を合わせていなかった。
約1年ぶりの再開が病院とは。皮肉というか、情けないというか、なんとも形容し難い微妙な気持ちになる。

「今がどういう状況なのかを、教えてもらえますかね…」
自分がどこに居るのかを確認し、漸く意識がはっきりとしてきた私は母に尋ねる。改まった口調の私に、母は「なんで敬語なのあんた」とツッコミを入れた。
「…多方面に多大なるご迷惑をおかけしたのは、なんとなくわかるので…」
「その通りよ。感心感心」
もごもごと喋る私の肩をポンと強めに叩き、母は声を上げて笑った。
ちょっとは否定して欲しかった気もするが、ここまで明るく肯定されると、逆にこれで良かったのだと思えてくる。不思議である。

母の話を要約するとこうだった。
結論から言うと、私を襲ったあの頭痛の原因はいわゆる過労からくるものだったらしい。
そして意識を手放す直前、私が見た人影は忘れ物を取りに来た部長であった。
椅子からこぼれ落ちるように倒れた私は、部長の迅速で的確な対応により病院へ搬送。
その後部長から連絡を受けた私の母は、文字通り病院へと飛んで来たという。
部長は母が来るまでの間付き添ってくれていたというが、診断の結果、私が倒れた理由が単なる過労であるとわかると丁重にお詫びをし、引き取ってもらったとのことだ。
それから私はここ数ヶ月間の睡眠時間を取り戻すかのように眠り続け、今に至る。

母の話を聞き、部長の貴重な時間を私が無駄にしてしまったことを心の底から後悔しながら、ゆっくりと身体を起こした。
背中が痛い。半日以上寝ていたのだから当然か。
一瞬軽い目眩に襲われるものの昨日ほど気分は悪くなく、睡眠の大切さを私は改めて実感していた。
「何か飲む?」という母の問いかけに首を縦に振ると、水の入ったペットボトルを手渡してくれた。

「しかし、」
受け取った水を飲む私の姿を眺めながら、ぼんやりと母は言った。
「忙しいとは聞いてたけど、ぶっ倒れるまで働かなくても」
「…だって、代わりがいないんだもん」
視線を逸らしながら私が言うと、母は深い溜息を吐いた。
「どうせ余計な仕事までホイホイ引き受けてたんじゃないの?は人から頼まれると断れないタイプじゃない」
「…うっ」
さすが、私の母親。全てお見通しである。
私は言い返す言葉もなく、妙な汗をかきながら、手の中にあるペットボトルをじいっと見つめた。
そんな私の姿を見て母はゆるりと目尻を下げ、「もう少し器用に生きられるようになるといいね」と笑う。
「善処します」
曖昧な返事をした後、顔を見合わせ、声を上げて笑った。

「じゃ、私あんたの家に必要な物取りに行って来るわ。目ぇ覚めましたって部長さんにも連絡しとく」
暫く他愛もないやりとりをした後、母は椅子から立ち上がりながら言った。
「…え?私明日から働くよ?やらなきゃいけない仕事もあるし、だから荷物なんて――」
必要ない、そう続けようとしたが、母の声に遮られる。
「馬鹿!医者が暫く休めって言ってんだから休みなさい!」
なんだか子供の頃を思い出す。ものすごい剣幕で叱られた私は縮こまり、「はい」と返事をすることしかできなかった。

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母が病室を出て行った後暫くすると、恐らく母が声を掛けたのであろう、看護師さんが私の様子を見に入ってきた。
気分はどうだとか、頭の痛みはどうだとか、簡単な質問にいくつか答えた後、「安静にしててくださいね」と言い残し、部屋を出て行く。
そして病室は再び静寂に包まれた。
――それにしても、退屈だ。
思えばこんな風に何もせず、何も考えず、ぼーっと過ごすのはいつぶりだろう。
働いていたときは休みが欲しい!暇が欲しい!と思うこともあったが、いざそれが与えられると何をして良いのかわからず途方に暮れる。
ぐるぐると無駄に病室を歩き回ってみたり、当てもなく廊下を彷徨いてみたりするも、すぐに飽きてしまった。
そして再びベッドに入りながら、今度から(できれば“今度”が無いことを願うが)、こういう時のためにやりたいことリストを作っておこう、何て書こうかな、等とくだらないことを考えていた。

そんなよくわからない1人遊びにも飽き、ふと母がつけっぱなしにして行ったテレビに目をやると、HERO TVが昨晩の事件のダイジェストを放送していた。
人命救助をするライアンの姿を捉え、ここで漸く昨日のやりとりを思い出す。
――彼はあの後どうしただろうか。
なんだかもう何日も会っていないような気がする。
きっと部長あたりから私のことは聞いているだろう。

(心配、してるかな)

一瞬浮上した、そんな考えに我ながら呆れ、首を左右に振る。顔が熱い。
意識が途切れる前、無意識のうちに彼の名前を呼んだことは、ぼんやりとだが覚えている。

つまり、私は自分の想いに蓋をしきれていなかった。そういうことなのだろう。
どうしても諦めなければならないことに遭遇するのは、何も初めてではない。寧ろ今までは全てをすんなりと受け入れ、飲み込み、つぶしてきた。
しかし今回は何かが違っていた。
そこまで執着する理由が自分でもわからないし、今後もわかりそうにないのだから、余計にたちが悪い。
開け放たれた窓から吹き込む風に触れながら、私はベッドの上で1人、膝を抱え、蹲っていた。

――その時、病室のドアが軽くノックされる。
母が帰ってくるのには早すぎる。他の看護師さんが様子を見に来たのかな、と不審に思いつつ返事をすると、

「よっ、ちゃん」

今まさに私を悩ませていた原因であるライアンが、いつも通りの底抜けに明るい笑みを携え、部屋に入ってきた。
「ライアン、さん、」
予期せぬ来客に目を丸くしながらも、あくまでも平静を装おうと私は必死になる。 「何で体育座りしてんの」と不自然すぎる格好でベッドの上に座っていた私を見て彼は呆れたように眉を下げると、先ほどまで母が座っていた椅子に腰を掛け、口を開いた。
「いやー、びっくりしたわ~」
そう口では言いながらも、そんな雰囲気は微塵も感じられない。のんびりと言い放つ彼の方に身体を向け直し、深々と頭を下げ謝罪する。
「ご迷惑、おかけしました」
「謝る必要なんてねぇっての。ったく、真面目だなあ、ちゃんは」
手を左右に振りながら彼は笑う。
「体調は?もう平気なの?見た感じ元気そうだけど」
「割りと元気です。半日死んだように寝たら、生気を取り戻しました」
「なんだそれ」
あはは、と腹を抱えて笑う彼を見て私は安心をしたが、同時にちくりと胸の奥が痛む。
このタイミングでこの笑顔は、かなりヘヴィーだ。
できることならこの場から逃げ出してしまいたい。鼻の奥が、つんとした。

「…部長、何か言ってました?」
洟をすすりながら1番の気がかりであった部長のことを恐る恐る問う私に、ライアンは「ああ」とため息のような声を漏らし、穏やかに微笑む。
ちゃんに頼りすぎてた節があった、って反省してたぜ?」
「そんな…!」

全ては私の軽率な安請け合いが原因なのに。困惑し、手を口元に当てる私の肩に、ライアンがそっと手を置く。
ちゃんのせいじゃないって」
「でも、」
「俺が違うって言ってんだから違うの!」
前のめりになり声を荒げ無理矢理押し切ろうとする彼の姿に私は驚き、それから思わず吹き出すと、彼も釣られて笑った。

わかっている。彼は私を励まそうとしてくれている。
そう、いつものように。
それがわかるから、余計に苦しいのだ。

「…俺さあ、ちゃんに話、あんだけど」
2人でひとしきり笑った後、珍しく改まった口調でそう切り出す彼に、私は眉を顰める。
(なんだか、とても嫌な予感がする)
私は顔にかかる髪を耳にかけ、ぎゅっと、何かに祈るように手を組むと、震える声でライアンに問いかけた。
「仕事の、話ですか?」
「あー…まあ、そうかな」
ライアンは言葉を濁しながら視線を逸らし、点けっぱなしになっているテレビと目をやる。
既にHERO TVから切り替わり、昼前のニュースが流れていた。
暫し、沈黙が流れる。
ライアンは口元に手をやり、何かを考える素振りを見せる。
その表情は真剣そのものであり、これから紡がれるであろう話の重大さを、なんとなく物語っていた。
そんな彼の様子を私は何も言わず(正確には“言えなかった”のだが)、ただ黙って見守る。
掌がじっとりと汗で濡れ始めた頃、ライアンは「ごめん」と小さく断った後、

「俺、やっぱり今期で契約切るわ」

そう、私の目をしっかりと見つめながら、力強く言った。