Goldrushed!

#12


「じゃ、無理せず頑張るのよ」
「うん。ありがとう」
「あと、偶には帰ってきなさい。お父さん泣いてるから」
「あはは」

冬の空気のように乾いた笑い声を母の背中に向けて投げかける。
玄関のドアが閉まる音を聞くと、私は肩の力を抜き、深いため息を漏らした。

私がダウンしてから3日。医者からの許可も下り、先刻自宅へと帰ってきた。「私も忙しいんだけど」と文句を言いつつも退院するまで付き合ってくれた母は荷物を一通り片付け、私に激励する言葉をかけると足早に実家へと戻って行く。
まさに母親様様である。本当に頭が上がらない。冗談ではなく、近々一度顔を見せに戻らなければ。
誰が見ているわけでもないのに、私は無意味に2度、力強く頷いた。
そしてふと、時計に目をやる。
時刻は3時半。
何をするにも中途半端な時間だ。
私は暫く抜け殻のようにぼーっと靴箱の上に置いた時計を見つめていたが、ふと我に返り、明日からまた始まる仕事に備え今日はとにかく全力でだらけよう――そう心に決めると、よろよろとソファへと向かい、そのままうつ伏せに倒れこんだ。
ぎし、とスプリングが軋む音が虚しく響く。
腕におでこを預け、ゆっくり目を閉じると、一昨日病室で起こったあの出来事が、思い出したいわけでもないし、できることなら無かったことにしてしまいたいのにも関わらず、自然と浮かび上がってくる。

自分はこれからどうするのか、どうしたいのか、ここ2日間考えてはみたけれど、結局答えらしい答えは何一つ出てこなかった。
――本当は、答えを出すことを恐れているだけかもしれない。
それだけはなんとなく、認めたくはないけれど、理解していた。

静寂に耐えられなくなり、手探りでテーブルに置いてあるリモコンを手に取りテレビを点ける。
伏していた顔を上げて適当にチャンネルを回すと、
「…うっ」
偶然にも(そして不運にも)、HERO TVが中継を行っていた。
今自分が一番会いたいけれど一番会いたくない人物、ライアンの姿をしっかりと捉え、私は呻き声を上げる。
私の自宅がある地区――とは言っても真逆の方向にある繁華街だが――で強盗事件があったらしく、TVの中でヒーローたちが懸命に犯人を追っていた。
物騒な世の中だなあ、などと人ごとのように思いながら、私は騒がしいTVの中とは対照的に、不気味なまでに静かな部屋でライアンの言葉を反芻させる。

『だから、俺、契約切るよ。2人の関係を壊さないために。…諦めるために』

関係を壊さないために。彼は確かにそう言った。
【関係】
そもそも私たちの関係って、何だったんだっけ?
彼はヒーローで、私はそのマネージャー。それだけ。たったそれだけの関係だ。
その、ビジネス上の絶対的な関係が、2人の間に生まれた感情により壊されようとしている。
それを良しとせず、根元からばっさりと断ち切るため、彼は契約を切り、次シーズンから海外の会社に所属すると言った。
あんな風体で仕事とプライベートの分別に関しては真面目なんだな、と思うと、本人には悪いが少しだけ笑えた。
いや、笑ってはいけない。
きっと私にはわからない、彼なりのこだわりがあるのだろう。
これまでの経験から得た、彼なりの仕事へのこだわりが。
ほら、やっぱり知らないことだらけだ。

知りたい、彼のことがもっと知りたい。なのに、それがもう叶わないなんて。

すん、と洟をすする。喉の奥がじんわりと熱くなった。
再びTVへと視線を移すと、私がぐるぐると思考を巡らせている間に事件は大きく動いており、ライアンを含む3人のヒーローが犯人を追い詰めるところまできていた。
オフィスで何度となく眺めたTVに映るこの勇ましい姿も、もうすぐ見納めか。
3ヶ月後には確実に、この画面から彼の姿が消える。
消えると言うより、彼が来る以前の状況に戻ると言った方が正しいだろう。
彼がいなくなれば、私も彼へのこの気持ちを諦めざるを得ない。
もしかすると、彼の選択は私にとっても、彼にとっても好都合なのではないか。そんな考えが生まれる。
だとしたら、何を迷う必要があろう。
彼が望む、2人にとっての最良の選択。それを選ばない手はない。
でも、

「…いやだ」

テレビの画面をじっと見つめながら、無意識のうちに自身の口から零れ落ちた言葉に驚き、口元に手を当てる。
しかしその驚きはすぐに“確信”へと変わり、私はそれまで強張らせていた顔の筋肉をゆっくりと緩めた。

嗚呼、やはり、私にその選択肢を選ぶ勇気は、無かった。
私は、諦められない。
終わらせたくないのだ。
答えが出た。
いや、自分の中にずっとあった答えに出会えた。

私が自分の答えにたどり着くと同時に、TVの中から歓声が聞こえる。
ライアンが無事に犯人を捕まえたらしい。
犯人を警察に引き渡し、カメラに向かって手を振るライアンの姿を見て、私はソファから立ち上がる。
先ほどまでの気だるさが嘘のように、不思議と体が軽かった。
一昨日の話だと、彼は今日これから社長との面談を行うことになっている。
ならばその前に、伝えたいことが今の私には、ある。

(行かなきゃ)

TVに映る建物からトランスポーターが止まっている位置を推測し、自宅からの所要時間を叩き出す。
(大丈夫、走れば間に合う!)
携帯と財布と、念のために会社の通行証。必要最低限のものだけ鞄に詰め、私は自分でも驚くほどのスピードで玄関へと向かった。