警察、野次馬、マスコミといった沢山の人々でごった返す大通りを足早に通り抜ける。
既に事件は終息していたが、相当派手な逃走劇を繰り広げたらしい犯人のせいで、警察は周辺の交通整理や片付けに追われていた。
そんな未だ続く混乱の中、私は目ざとくライアンのトランスポーターを見つけ出すと、一目散に駆け寄る。
(よかった、まだ居た)
会社に直接行き戻って来るのを待つべきか、現場に駆けつけるべきか迷ったが、直感を信じてよかった。今日はついているかもしれない。
入れ違いにならなかったことに対し、私はほっと胸を撫で下ろした。
トランスポーターの周りには、ライアンの姿は無い。
HERO TVの中継もインタビューもさすがに私が移動している間に終わっているだろうし、恐らくは中で部長の指示を待っているのだろう。
私自身、事件現場に居合わせることは殆ど無かったため、この現場の張りつめた空気がとても新鮮に感じると同時に、居心地の悪さを感じていた。
――とりあえず中に入れてもらおう。
何処かに会社の関係者が居ないかと、再び背伸びをしながら注意深く周辺を隈無く探す。すると、以前何度か顔を合わせたことのある技術部門の男性社員がトランスポーターの上で作業をしているのが目に止まった。
やはり、今日はついている。
「お疲れ様です!」
社員証を掲げながら周囲の音にかき消されぬよう大きな声で呼びかけると、男性社員は一瞬不審な顔でこちらを見つめたが、すぐに私のことを思い出した様子で「あっ」と声を漏らす。
それから非常に察しの良いことに、瞬時に私が何を求めているのかを理解した様子で「ライアンなら中にいるよ」とご丁寧にジェスチャー付きで返してくれた。
私は彼にぺこりと軽く会釈をし、滑るように中へ乗り込んだ。
独特な匂いが漂う、あまり快適とは言えない狭く短い通路を足早にすり抜け、待機室の前で足を止める。
トランスポーターの中に入るのは初めてではないが、私はまるで初めて入った時のように緊張と期待の入り交じった不安定な気持ちを抱えていた。
ざわつく胸に手を当て、少しだけ大げさに深呼吸をする。
(伝えないで一生後悔するのは絶対に嫌だ)
走りながら何度も自分に言い聞かせてきた言葉を頭に響かせ、覚悟を決めて自動ドアのボタンを押す。
私のほてった顔とは裏腹に、冷たく無機質な音を立ててドアが開いた。
長椅子と机とモニターだけの殺風景な小部屋の真ん中で、既にヒーロースーツから私服に着替え、かなり寛いだ様子で鼻歌交じりに携帯電話を操作しているライアンが目に飛び込んでくる。
私が部屋に入る気配に気づいたライアンは、鼻歌を止め、ゆっくりと顔を上げる。
そして私の姿を捉えると目を大きく見開いて、「ちゃん、」と心底驚いた様子で呟いた。
「お疲れ様です、ライアンさん」
あんぐりと口を開きこちらをじっと見つめる彼のその表情は、写真に撮っておきたいなんて巫山戯た考えが浮かんでくるほどに、普段の様子からはあまり想像できないほど間の抜けたものだった。
「…退院、したんだ」
彼は我に返った様子で声を絞り出すように言う。
「ええ、つい先ほど」
彼の元へ歩み寄り、隣に腰を下ろしながら私は短く答えた。
「めっちゃ病み上がりじゃん。何してんの?」
無理すんなよ、と眉を下げながらライアンは苦々しく笑う。
それに対して「ありがとうございます」と明るく答えると、彼は呆れたように肩を竦めた。
会いに行ったとしても「帰れ」と突っぱねられるかもしれない――その可能性もあるだろうと考えていたが、この様子だと、少なくとも“まだ”拒絶されてはいないようだ。
もしかするとそういった類の感情を隠しているだけで、本当のところは私の勘違いかもしれない。
でも、それでもいい。構うものか。
だって、私は彼に伝えると決めたのだから。
「どうしても、伝えたいことがあったので」
私は膝の上で手を組み、体をライアンの方へ向ける。
口元に手をやり「伝えたいこと…」と私の言葉を譫言のように繰り返す彼の真剣な表情に、少しだけ心臓が跳ねるのを感じる。
ほんと、懲りないなあ、私。
簡単に揺れ動く、それはもう正直すぎる思考回路を自嘲しながら、私は口を開いた。
「ライアンさんは、『私達の関係を壊さないためにこの街から去る』って言いました。確かに、あなたの選択は大人としては正しい。私もそう思います」
ライアンは何かを考えるようにひんやりとした床を見つめたまま、微動だにしない。
何を考えているのだろうか。
気になったが、彼に構うことなく、私は続ける。
「けど、それがどんなに正しかろうが、私は嫌なんです。何も無かったことになるのは、嫌なんです」
私が口にした「嫌」という単語にライアンの身体が一瞬ぴくりと反応したのを横目で捉える。
しかし、すぐにまた岩のように動かなくなってしまった。
「『無かったことにしない』ための方法なら、いくらでもあるはずです。……いや、そんなにはないかもしれないけど……でも…でも、あるはず、なんです」
移動中、何と言おうか頭の中で整理したのに、感情が先行して思ったように上手く話せない。
もどかしさと、自分への苛立ちと、彼の隣に居るこの喜びと――様々な想いが次々に溢れ出て、言葉が詰まり、視界が滲む。
(駄目だ、まだここで止めるわけにはいかないのに、)
俯き、ぎゅっと掌を握りしめ、目を固く閉じる。
寒いわけでもないのに、手足が小刻みに震えている。指先が酷く冷たい。
目を開けば涙がこぼれ落ちそうで、口を開けば嗚咽が漏れそうで。
私はどうすることもできず、途方に暮れていた。
――もう限界だ、言葉が出てこない。
彼がどう思っていようが関係ない。そう強がっていたが、やはり無駄だったのかもしれない。
私が必死に語りかけるも黙りを決め込む彼を目の前にし、ここで再び、1時間ほど前まで私を支配していた負の感情が顔を覗かせる。
“私の想いは、ライアンには届いていない”
そんな最悪の考えが脳裏を過ぎる。
もしも彼の中で、もう既に私が決して壊すことの出来ない、揺るぎない答えが確立されていたとしたら――
私が今更いくら主張したところで、頑張ったところで、どうにもならないのではないだろうか。
だとしたら、こうして一方的に決して届くことのない自分の考えを主張し続けている私は、何て惨めで愚かな存在なのだろうか。
次から次へと膨らむ悪い考えに押しつぶされ、挫けそうになったその瞬間、
「…ある、かな?」
消え入りそうな、空気に溶けてしまいそうな声で、ぽつりとライアンが零した。
その小さな、しかし同時に力強さも秘めた呟きが私の鼓膜を震わせると、それまで抱いていた不安が、まるですうっと波が引くかのように消えて行く。
私は今にもこぼれ落ちそうだった目尻に溜まった涙を手の甲で軽くぬぐいながら顔を上げ、彼の横顔を見つめる。
その視線と彼の視線が合わさると、私は深く、大きく頷いて見せた。
「……もしも、ライアンさんも私と同じ、この気持ちを無かったことにしたくないのなら――」
絞り出すように言葉を紡ぐ。まだ微かに震えの残る声で。
けれどもそこにはもう、躊躇いも、不安もなかった。
「その方法を、私と一緒に、探しませんか?」
ひとりで見つけられないのなら、ふたりで探せば良い。
今日が無理なら、明日また続きをすればいい。
時間はたっぷりある。だって、終わらせない限りは続くのだから。
(これが、私が必死に見つけ出した答え。)
「…だから、行かないで下さい」
驚いたように、でもどこか嬉しそうな色も覗かせる、少しばかり複雑な表情を浮かべて私をまっすぐに見据えるライアンに、私は精一杯の笑顔を向ける。
外の喧噪が嘘のような静寂の中、私たちは暫く2人で見つめ合っていた。
――が、やがてライアンが根負けしたように「ふっ」と表情を緩めくしゃりと笑うと、それを合図に2人で声を上げ、これまで2人の間に存在していた分厚い壁を吹き飛ばすように、ただひたすらに笑い合った。
(これが私の欲しかった物。)(そして、もう決して手放さないと誓う物。)
「行かないで、ライアン」
年甲斐もなく子供のように大声を上げ笑ったことにより乱れた呼吸を整え、私は静かにライアンの手に自分のそれを重ねる。
それに答えるかのように、彼はその大きな手で「痛い」と文句を言いたくなるほど強く握りかえしてきた。
「私は、あなたのことが、もっと知りたい」
返事は、なかった。
しかしその代わりに、今にも泣きそうな笑顔を浮かべたライアンに両腕で力強く抱き寄せられる。
肩越しに見る景色はやはり殺風景で、無機質で、味気なくて。
でも、それくらいが不器用で、不真面目で、でも変なところで真面目すぎる私たちには丁度良いのかもしれない。
彼の甘ったるくも何処か懐かしい匂いと確かな体温に頬を緩めながら、私は考えていた。