君を見つけてしまったから

#2


シュテルンビルトのヒーローの殆どはそれぞれ企業のヒーロー事業部に所属している。自身がオーナーであるという特例もあるが、全員が表向きは企業所属の会社員という立場である。イワンが所属するヘリペリデスファイナンスは中心地であるメダイユ地区の南側に位置する大手金融会社だ。シュテルンビルトの通貨であるシュテルンドルを扱う大企業で、従業員数も多い。イワンは他のヒーローたちに比べてもいわゆる若者にカテゴライズされ、当然所属する会社でも一番若い存在だった。毎日出社するわけではないが、まだ若いとは言え会社員として企業に所属している以上、それなりにデスクワークもある。それ故にヒーロー業とは別に、平日は他の社員同様出社をして仕事をこなす時間もあった。

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会社のメインエントランスに入る時、イワンは社員証をトレーニングセンターのロッカーに忘れた事に気がついた。しまった。これからスポンサーとの打ち合わせが入っているのに。桜が散り、新緑が目に眩しい時期。ここのところシュテルンビルトでは夏を先取りしたかのような暑い日が続いており、イワンは上着をロッカーに入れて来たのだが、そのポケットの中に社員証を入れたままにしていたのだ。
壁の時計を確認し、自分の失態を悔やむ。どうやら取りに戻る時間は無さそうだった。
どうしたものかと困って辺りを見ると、左手奥にあるカウンターが目に留まる。来訪者受付と書かれているそこには、来客者の対応をしている女性が居た。社員であるイワンにとってはあまり馴染みのない所。しかし、以前同じように社員証を忘れたヒーロー事業部の社員がビジターカードを発行してもらった話をしていたような、とイワンは足を向ける。中に居る社員に連絡を取り迎えにきてもらっても良いが、わざわざ下に降りてきてもらうのは申し訳ない。自分で解決できることは多少手間であっても自分でやる。なるべく迷惑はかけたくない。それがイワンの中に染み付いている考え方だ。

重い足取りでカウンターの前まで来ると、イワンが遠目で見ていた時に対応してもらっていた来客者が丁度受付を済ませて去るところだった。対応をしていた受付の女性社員は一礼し、そのまま顔を伏せて手元のモニターに何かを打ち込み始めた。
「す、すみません」
立て続けの対応になってごめんなさい。そんな気持ちを込めながらイワンが控えめに声を掛けると、カウンターの向こうの女性は「はいっ、お待たせいたしました!」と聞き覚えのある元気な声で返事をし、ぱっと顔を上げた。
そして、

「え!?」
「あ!?」

イワンと“彼女”が声を上げたのは、ほぼ同時だった。
自分は、この女性を知っている。
イワンはそれに気付いて思わず上げてしまった素っ頓狂な声に対し、「すすすすみませ、あの、びっくりして」と言い訳のようなものをしながら、咄嗟にへこへこと頭を下げた。
「……なんで謝るの?」
そして、「私もびっくりしちゃった」と、彼女は桜の木の下で会った時と同じ笑顔を見せた。

偶然としか言いようのない再会だった。驚きで未だ心臓が高鳴る中、イワンは事情を話そうと口を開こうとする。しかし、ここで初めて、他の社員たちに比べて特段に若い自分がこの企業に所属していると言っても信じて貰えるのだろうか、という考えがイワンの頭を過ぎる。
ヒーローは基本的に本来の姿を隠して活動をしている。だから自分はこの企業所属のヒーローをやっています。立派な社員です。でも社員証を忘れてしまいました、と馬鹿正直に話すわけにもいかず、イワンは内心で頭を抱えるのだった。
そうこうしていると、イワンの態度に不信感を覚えたであろう彼女が先に口を開く。
「会社に何か用?若いからまだ学生だと思ってたけど。……あ、インターンとか?」
インターン。
彼女の口から出た単語。これだ、と思ったイワンは
「! そう、『インターン』で、来たんですけど、」
社員証を忘れて、と息を詰まらせながら話す。苦しかったか。イワンは焦っていたが、幸いにも受付業務担当の彼女はそれ以降何も追及することなくにこりと笑い、「まかせて」と二つ返事で対応をしてくれた。
「そしたらここに必要事項を記入してくれる?あー、急いでるなら名前とインターン先の部署名だけでいいや。すぐ確認取るから」
「すみません」
「だからぁー、謝んないでよ。私の仕事だし」
「ありがとうございます」
受け取ったボールペンで名前を書くが、イワンは焦りと驚きによる手汗のせいで何度も滑り落としそうになった。書類を書きながら、イワンは彼女の姿を盗み見る。先程の来客者の情報を打ち込んでいるのだろうか。忙しそうにモニターに目を走らせていた。東洋系の顔立ちは若く見られがちだと俗に言われるが、それを繕うように目元には程よく化粧を施している。以前会った時は下ろされていた髪を下の方で纏め、初めて見た時よりも少しだけ大人びた印象を受けた。
そうしてイワンは他所事を考えながらも何とか指定された書類を書き終え「できました」と彼女に渡す。彼女はにこやかに書類を受け取り、「ちょっと待っててね」と言いながらさっそくモニターに何かを打ち込もうとした。

――が、イワンから受け取った書類に改めて目を通した瞬間。急にすべての動きをピタリと止めた。そして、それから目を大きく見開き、視線をイワンと書類との間で三往復させ、ゆっくりと瞬きをする。

「……あの、何か不備がありましたか?」
明らかに、普通ではない。一連の彼女の動作と表情をカウンター越しに見て、よからぬ気配を察知したイワンが恐る恐る尋ねると、彼女はその声で我に返ったようにふるふると首を振り、「ううん、大丈夫。すぐビジターカード渡すから」と笑い、作業に戻るのだった。
結局、彼女の様子に変化が見られたのは、その一瞬だけだった。
後はとくに何もなく、1分程でビジターカードの発行は終わり、イワンは彼女からカードを受け取る。
「本当にありがとうございます」
「いいのいいの。よくいるから、忘れる人。次から気を付けてね?まあ忘れてもまたすぐ発行してあげるけど」
茶化すようにして言い、彼女は顔の横で「じゃあ、頑張ってね」と小さく手を振った。

イワンは振り返りながら会釈をし、もらったビジターカードを手にセキュリティゲートへと向かう。 (僕の気のせい、だったかな)
書類を見た瞬間の彼女の奇妙な反応を脳裏でリプレイさせるが、その正体を追及するには判断材料が無さすぎた。
彼女について、気になる事は幾つかある。しかし、今はとりあえず仕事に打ち込もうと自身を奮い立たせ、イワンはヒーロー事業部があるフロアへと向かうのだった。