との初めての約束の最中に発生した事件は、イワンを含む7人のヒーロー達により無事犯人を確保することが出来た。
尤も、事件の収束に大きく関与したのは残念ながら折紙サイクロンではなく、ランキング上位に安定して居座るキングオブヒーローことスカイハイだったのだが。
しかし、イワンはその事に関して特に悔しさを感じる事は無い。今日に限った話では無く、いつだって胸中に抱くのは「仕方がない」という、諦めに近い感情のみなのだ。
イワンの持つ能力、『擬態』はそもそも使いどころを選び、テレビの中で派手に魅せる事にも向いていない。その上、一応世間に能力の名前は周知はされているものの、同僚達ですらどのような事が出来る能力なのかを把握していなかった。そんな中で自分がヒーローになれたのは本当に運が良かったとしか言いようがないと常々思っている。世の中にはイワンよりも派手で使い道の多い能力を持ち、ヒーローになろうと努力しているのにその機会に恵まれずなることが出来ない人々が大勢存在しているのを、イワンはよく知っていた。当然、イワンだって物心ついた時からヒーローになるのが夢であった。だからこそ自らの意思で専門性に特化した学校にも進んだ。だが実際当時の夢を叶えても、思うように活躍する事はできないし、成績は振るわないし、スポンサーの名前をアピールする事くらいしか出来ていないのが現状だ。
あの頃の自分や、支えてくれた人々が今の自分を見たら何と言うだろう。考えるだけで頭が痛くなる。
そんなことをぐるぐると考えながら帰宅したイワンは、部屋の電気も点けず、そのまま布団の上に蹲る。反動でポケットから転がり落ちた電話を拾うと、新着メッセージが届いていた。
丁度1時間前に来ていたからの「おつかれさま!またね」という短いメッセージを確認すると、イワンは不思議とそれまでの鬱屈とした気分がいくらか和らいでいく気がした。
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あの日、イワンが出動要請を受けて途中で帰ってしまって以降、もしかすると二度と誘って貰えないのではないかという悪い考えが頭を過ぎったが、その予想は好い方向に外れてくれた。
数日後、出社している日の昼間にから「良かったらお昼一緒にどう?」というメッセージを受け取り、それに応じてからというもの、ふたりは時間が合えば共に昼食を取る仲になっていた。
頻度はまちまちな上に声が掛かるのも唐突で、週に1、2回共にする事もあれば数週間から1ヶ月以上会わない日もあった。また、都合がつかなかったり、そもそもイワンが出社していなかったり、誘われたとしても渋々断らなくてはならないという事も。
そんな事が繰り返されているうちに、イワンが思うような結果を出せないままHERO TVの1シーズンは終わり、新たなヒーロー1名を迎えた輝かしい新シーズンが始まっていた。
季節も自分を取り巻く環境も日々変わっていく中、との関係はイワンとしては程よい塩梅に保たれている。
ギリギリ両手の指で収まるほどの回数×1時間弱の他愛もないお喋りからでも、イワンはの常に明るく前向きな人柄から得られる心地よさを十分すぎるほどに感じていた。
つい物事を悪い方へ捉えがちな地の底に住むイワンにとって、は手を伸ばしても届かないが頼まずとも自分の事を照らしてくれる太陽のような存在だった。
最初は単なる興味だった物が、いつしか憧れに変わった。それがまたイワンの中で少しずつ変化しつつあるのに彼が気付くのは、もう少しだけ先の事になるのだが。
さて、そのきっかけのひとつとなる出来事は、またしても突然起こる。
街の並木にも赤や黄色が目立ち始めた頃。日曜の昼下がり。特に予定が無かったイワンはブロンズステージにある自宅を出て、近所を散歩がてら買い物に向かおうとしていた。
つい先日まで暑かった気がするのに、今日は天気が良いとは言え少し肌寒い。やがて来る冬を想像してややナーバスになっていると、反対側の歩道を往く人物が目に留まった。
薄手のロングコートに深い青のパンツ。遠くからでも目を惹く真っ白なスニーカーを履き、電話を片手に足早に歩く女性。イワンが普段見る彼女の服装とは少しテイストが異なるものの、イワンには誰なのか、すぐにわかった。
「さん!」
無意識に、イワンは道路の向こうに向かって声を掛けていた。
イワンは自分の性格について、かなり慎重な方だと理解している。自分が傷つかないように、あれやこれや予防線を張って、結局行動に出せずに事が終わる。という事が常であった。
にもかかわらず、何故自分は咄嗟に呼びかけてしまったのだろう。何度目かの偶然の遭遇よりも、自分自身が取ってしまった行動について、イワンは驚いていた。
しかし驚いたのはもちろんイワンだけではない。道路の向こうにいる彼女はイワン以上に驚いた様子でキョロキョロと辺りを見回した後、自分を呼んだ者の姿を見つけると、目を見開いた。
「イワン!?」
数秒間、時が止まったみたいにふたりは道路を挟んで視線を交し合う。そしては車が来ていない事を念入りに確認し、道路を横切ってイワンが居る反対側の歩道に渡って来た。
「びっくりしたー。奇遇だね、こんな所で会うなんて」
息を軽く弾ませたは胸に手を当て、言った。
「はい。家がこの近くで……」
「そうなんだ。そういやイワンの家知らなかったや。当たり前か」
はははと乾いた笑いを漏らし、照れくさそうに言う。そして、
「イワンはこれからどこかに出掛ける感じ?誰かと待ち合わせ?お買い物とか?」
と、イワンの姿を上から下へと撫でるように見ながら、は次々と質問を投げかける。最初に受けた印象がそうだったこともあり、底抜けに明るい性格のイメージが先行しがちだが、は存外頭の回転が早い。些細な事にも気が付き、そこから様々な可能性やキーワードを導き出すのが得意だという事は、社員証を忘れた日にも感じた事である。
「買い物はしようと思ってたんですけど、特にこれと言って予定は無く。ひとりで散歩でもしようかと」
「……。……へぇ?」
イワンが包み隠さず答えると、は少し間を置いて返事をする。
それから口元に手をやり、何やら考え込む素振りを見せた。何か彼女の中で引っ掛かる事を言ってしまっただろうか、とイワンが不審に思っていると、やがては何かを閃いた様子で笑い、口を開いた。
「……ねえ、イワン。ちょっとだけ待っててもらってもいい?」
「え?」
そう言って一旦コートのポケットにしまっていた電話を再び取り出し、は数メートル先の建物の角に入る。一体何だというのか。イワンが首をひねりながら物陰に入って行ったの姿を盗み見ると、それに気づいた彼女は電話を耳に押し当て「いいからいいから」と言うかの如く、手をひらひらと振った。
ふたりの間には距離があった為、会話の全てを聞きとることはできなかった。けれども、『予約・急に・キャンセル』という単語は辛うじてイワンの耳に入ってきた。
3つの単語を頭の中で並べつつ、何事だろうと思案していると電話を切ったが満面の笑みを浮かべてイワンの元に戻って来る。その足取りは羽が生えているかのように軽やかだ。
そして、これまで彼女に指示されるがまま傍観に徹していたイワンが何の電話だったのかと問おうとした時、が言った。
「ねえイワン。これから私とデートしない?」
「…………はっ?」
きっと聞き間違いだ。そうに違いない。今しがた鼓膜を震わせた、イワンがつい数秒前まで全く予想していなかった単語の登場に、ただただ狼狽える。
後でがっかりしたくないなら、常に最悪の事を考えていればいい。
長年の経験から培い、自分の中に染み付いている思考をいつもみたいに掲げるが、何故だか上手くいかない。だって聞き間違いなはずがないのだ。聞き間違いであればいいのだが。何がいいのかはわからないけど。
「デートだよっ」
イワンの微妙な反応に痺れをきらしたのか、が念を押すかのように言う。
ほら、やっぱり聞き間違いじゃなかった。
道端で大輪の花を咲かせるように笑うを前に、イワンは舌を巻く。だがそれも仕方ない。ふたりで一緒に食事をする事はあっても、何処かへ出かけるという事は今までしたことが無かったからだ。
「あの、でも……さん、何か予定があったんじゃ……」
声が震えた。指先も冷たい。心臓は、小動物のそれさながらにせわしなく打った。
イワンが精一杯の力を振り絞って正気を保ちながら、の行動から推測できたことを指摘する。しかし、は相変わらず楽しくて仕方がないという風に言うのだった。
「無い!無くなった!無くしたから!だから暇なの!美容院なんていつでも行けるから!今の私、すっっっっっっごく暇なの!」
降参。
夢や希望、期待。その他諸々の輝かしい感情をぶつけるかのような表情を向けるを前に、イワンは遂に白旗を挙げる。これ以上言い訳じみた言葉を並べても、いつしか彼女の熱に溶かされてしまうだけだと思った。
「……よろしくお願いします……」
せめてもの抵抗で、目を逸らしながら言うイワンに「うん、よろしく」と明るく返す。
それから、
「あー……こんなことならもっと可愛い恰好してくればよかった」
と、は悔しそうに呟いたが、イワンの耳に届いていたかは不明である。