そもそも、デートとはこんな風に思いつきで行う物なのか。
イワンは靄が掛かった思考を携えてはいたが、頭の中に比較できる事例を持ち合わせているわけでもない。よってこの件に関しては保留にせざるを得ない状況だ。そもそも、と出会ってから「これ」と決定的な答えを出せた事の方が少ない気がするのだが。
の提案で少し歩き、ふたりはウエストブロンズの港近くにある公園までやって来た。
天気に恵まれていることもあって、公園内には芝生の上にレジャーシートを広げてピクニックを楽しむ家族連れやグループが散見される。週末の昼下がりを家族や気の合う者と過ごす彼らの中に、自分達と同様に、突然思い立って時間を共有している人は存在するのだろうか。またしてもあまり好ましくない考えが生まれ、イワンは『自分はここに居ていい存在では無いのでは?』という居心地の悪さを感じてしまう。
そんなイワンとは対照的に、はイワンにとっては良くも悪くも通常運転であり、余計に彼の調子を良い意味で狂わせた。
「ちょっと休もうか」
またしてもの提案で、運よく空いていたベンチに座り、近くのワゴンで買ったアイスを食べる。バブルガムフレーバー特有の重たい甘さが舌の上に広がり、うまく回らない思考を余計に鈍らせていく気がした。
自分と同じく、この場に不釣り合いな気しかしない子供っぽい甘い香りに包まれながら、イワンはアイスを買っている途中、の目を盗んで【デート 定義】と検索をしたところ出て来た『男女が日付や時間、どこで何をするかなどを決めて行うこと』という一文を思い返す。
それに因るならば、やはりこれは厳密に言うとデートでは無いのではないか。ほら見た事か。そう言ってやりたい衝動に駆られるも、誰に言えるはずもない。心の中がより一層もやもやした気持ちで充ちていくのを感じ、息が詰まった。
しかし、そんな気持ちも隣に座るの「美味しいね」と笑う顔を横目で見れば割りと呆気なく溶かされていく。
「最高の日曜日の過ごし方だよ。ありがとね」
「……なら、良かったです」
まるで魔法のようだと思った。一言で、イワンが抱えていた居心地の悪さがみるみるうちに軽減していった。
黙って目の前に広がる風景を眺めたり、時々思い出したように何でもない話をしたり、ふたり並んでアイスを食べる。それだけの時間。
落ち着かないはずなのに、息が詰まって苦しいはずなのに、ずっとこの時間が続いてくれても良いと思ってしまうのは、そう願いすらしてしまうのは何故だろう。
ヒーローとして人前に出ている時とは別に、と居る時の自分は自分であって自分でない感じがする事には、さすがにイワンも気付いていた。
「……しっかし、バーナビーが出てきて益々わかんなくなったよなぁ」
不意に聞き慣れた名前が聞こえてきて、甘ったるさの中に居たイワンははっと我に返って顔を上げる。声がした方を振り返ると、すぐにその声の主を特定する事が出来た。
ベンチのすぐ後ろのテーブルに座って談笑する4人の若い男女。彼らはイワン達と同じアイスのカップをつつきながら、電話を覗き込み楽し気に語り合っている。彼らが何を見ているかは容易に想像できた。最初に聞こえて来た『バーナビー』に続いて聞こえてくる単語から察するに、大方、ヒーローのランキングでも見て話をしているのだろう。
不自然な視線を送ってしまった事が彼らにバレないようイワンはすぐに顔を逸らしたものの、聞き耳は立てたまま、視線を手元のアイスが入ったカップに落とし、神経を彼らの会話に集中させる。
イワンの今までの経験上、シュテルンビルト市民によるこの手の話題を盗み聞きしても気分が高揚する事など決してありはしないのはわかっていた。けれども、自分にとって良い思いはしない話題だったとしても、何かしら得られる事はあるかもしれない。一縷の望みをかけ、縋る思いで話を聞いた。
彼らは暫く期待の新人、バーナビーについて語り合っていたが、ほどなくして話題は現在のランキングの順位へと切り替わっていく。
この辺りでなんとなく会話の方向性が見えてきて嫌な予感はしたものの、イワンが好奇心を止める事は今更出来るはずがなかった。
「……ふーん、折紙サイクロンは相変わらず最下位か」
「こいつって何が出来るんだっけ?見切れ?」
「擬態……?らしいよ。よくわかんないけど」
「使ってるとこ見たことないよねえ」
「まあ中継見る感じ企業名アピールに賭けてる風だし、本人が良ければ活躍しなくてもそれでいいんじゃない?」
「あはは」
痛いほどに真っ直ぐイワンの耳に届く言葉たち。軽薄な笑い声。胸の奥をぎりぎりと締め付けられるような感覚を覚えるものの、その感情が何という名前なのかはイワンはわからない。初めて抱くわけではない。寧ろ馴染みが深すぎて、今更知りたいとも思えなかった。
深く息を吸う。それから言い聞かせる。仕方ない、仕方ない。彼らが言っている事は、全部紛れもない事実なのだから。イワンが震える指先を弄びながら、そう自分に言い聞かせていると、
「あああああーーーーーっ!!」
イワンの隣で、が突然大声を上げた。
何事か。驚いて、すぐさまの横顔に視線を送る。ついでにヒーローについて語り合っていたグループにも目をやると、彼らも会話を止め、同じく「なんだなんだ?」と訝し気な視線をに向けていた。
「……。……ヤダ、ぼーっとしてたらアイス落としちゃった!」
は「えへ」と照れくさそうに頭を掻いた。
前かがみになり、落ちたアイスのカップをひょいと拾い上げる。そしてそのまま流れるような動きでイワンの手を掴み取ると、「行こ」と言って勢いよく立ち上がった。
一体その小柄な体のどこにそんな力を秘めているのか。
イワンは思わず問いたくなった。だが今の彼女にそれを許す隙は一切無かった。
ベンチから立ち上がったアサギは、そのままの勢いを保ったままずんずんと公園の中を進んでいった。
途中見つけたゴミ箱に、さっき落としてしまったアイスのカップをイワンの物と一緒に乱暴に突っ込んだ時以外、彼女が歩みを止める事は決してなかった。
今、一体どんなことを考え、どんな表情をしているのだろう。気になったが、に掴まれた手首から伝わる熱は、イワンの「知りたい」気持ちを突っぱねているように感じられた。
けれども一方で、イワンは不安を覚えるのと同時に、まるで自分の物ではない、新たな人生が拓けたような晴れやかな気分にもなっていた。
気が付けば公園を抜け、港の方まで来ていた。
風も無く穏やかで、海は凪いでいる。
海鳥が鳴く声を聞きながら、海を見つめて珍しくずっとだんまりを決め込んでいるに、何か自分から声を掛けてみるべきかとイワンは思案するも、どれだけ考えても何が正解なのかはわからないままだった。
大丈夫?どうしたの?ありがとう?
頭に浮かんでは消えゆく言葉たちは、どれも正解で、どれも不正解な気がしていまいちしっくりこない。
同じ言葉を話していても、どれだけ近くに居たとしても、伝わらない事はある。伝えられない事も、ある。伝わらないでいいことがひとりでに伝わってしまう事はあるのに。なんて皮肉な事だろうか。
沈黙に耐え切れなくなってきたイワンがこの世の仕組みに対して静かな怒りを覚え始めた時、は漸く固く閉ざしていた口を開いた。
「……ねえイワン。私、イワンに言わなくちゃいけない事があるんだ」
騒がしい公園とは違い、一定の人通りはあるものの周囲は静かで、の声が良く届く。
それは彼女のいつになく真剣な表情と相まって、大きな決意を固めた響きがした。
「……言わなくちゃ、いけない事?」
自分の体の中に言葉を入れるように、イワンはの言葉を繰り返す。それが何を指しているのか、面白いほど心当たりが無かった。しかし、の横顔が醸し出す空気には、イワンは見覚えがあった。間違いはない。ビジターカードを発行してもらったあの日、一瞬だけ見せた違和感に酷似していた。
はイワンの問いにこくりと一度頷き、海に面した柵に頬杖を付く。後ろできらきらと輝く海面が眩しかった。
「一体――」
何ですか。
覚悟を決めてイワンが問い掛けようとした言葉。
それは次の瞬間、どこからともなく聞こえて来た「ワン!」という威勢の良い鳴き声に見事にかき消された。
「……わ、ん……?」
とイワンはほぼ同時に浮かべた怪訝な顔を見合わせる。それから鏡合わせの如くゆっくり視線を落とすと、ふたりの足元を忙しなく行ったり来たりしている仔犬の存在に気が付いた。
「…………犬?」
イワンがしゃがんで抱き上げる。毛並みの良い真っ白な仔犬は鼻をひくひくさせ、尻尾を勢いよく左右に振った。機嫌はとても良いようだ。
「どこから来たのかなぁ?」
首元には赤い首輪とリードが付いている。散歩の途中で逃げたのか、と簡単すぎる推理をしていると、「すみませーん!」と手を振りながら走って来る女性が目に留まり、ふたりは全てを理解するのだった。
「ありがと、う、…ございますっ……捕まえて、くれて…」
肩で息をし、何度も何度も礼を言う仔犬の飼い主に「捕まえたって言うか、この子がたまたま私達のところに寄って来ただけですから。ね?」とは笑いかける。
深々と頭を下げる女性の腕に抱かれた仔犬は最後にもう一度元気な鳴き声を残し、ふたりの元を去って行った。
「私達、また人助けしちゃったね?」
人だけじゃなくて犬も。
女性の背中を見送りながら冗談めかして言うの顔に、先程見た影はもう無い。自分は夢でも見ていたのかもしれない。そう思わせるかのように、それまで静かだった海の方から強い風が吹きぬけた。
「なんか、イワンと居ると退屈しないなあ、私」
くしゃりと顔を綻ばせては言う。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして?」
身に覚えのあるやり取りをし、イワンは「ふ」と自然に笑みを零す。
ふたりを取り巻いていたやや張り詰めた空気は、迷い込んだ仔犬のおかげですっかり元に戻っていた。
「……ところで、さっきの話」
それを踏まえた上で、今度は思い切ってイワンの方から切り出す。今なら、このいつもと変わらぬ空気なら、彼女の言葉を受け止める事が出来る気がした。
イワンの発言に、海に向かって大きく伸びをしていたは、「ん?」と気の抜けた声を漏らした。
「さんが僕に言わなくちゃいけない事って、何ですか?」
少しだけ声が震えていた。それでもの元に、イワンの声は届いている。まっすぐに問い掛けられたは困ったように「あー……」と視線を泳がせ、言葉を探す素振りを見せる。
しかしすぐに「また今度にするね!」とおおらかな笑顔で笑い飛ばした。
「ま、また今度!?」
の返しに意表を突かれたイワンは思わず声を荒げる。
それを見てはただただ愉快そうに「うん、また」と重ねた。
やはり自分と何もかもが正反対。対極の所に居るこの人は、一筋縄ではいかない。考えが読めない。イワンが改めて頭を抱えさせられていると、は相も変わらず楽しそうに「じゃあ、今日は代わりに一個だけ聞いても良い?」と問う。
「いや、『じゃあ』って何ですか」
「え、……何かホラ。折角の機会だし?と思って」
「意味がよく解らないんですけど」
「まーまー、細かい事はいいじゃない。兎に角、一個だけ」
両手を顔の前に合わせて「お願い?」と頼むの姿にあっさり折れ、イワンは「……はい」と要求をわりと素直に呑む。は大袈裟にぴょんと跳ねながら「やった!」と喜んで見せると、続いて“質問”を投げかけた。
「私とイワンが初めて会った場所、覚えてる?」
「……え?はい。会社の近くの公園、ですよね?」
何故今更そんなことを聞いてくるのだろう。イワンにはの意図も目的も、全く解らなかった。
予想に反して簡単すぎた質問に簡潔に答える。は少しの間を置いて、
「……うん!正解!」
人差し指と親指で丸を作って見せた。そして「じゃ、そろそろ帰ろっか」と華麗に話題を切り替えて、軽い足取りで元来た道を辿り始めるのだった。
彼女と一緒に過ごせば過ごすほど、近づけば近づくほど、解からない事が増えていく気がする。
時折見せる謎めいた表情。不思議な居心地の良さ。意図の解らない質問の目的。エトセトラ。
同時に、それらを解りたいという強く確かな気持ちも。
黙って彼女の後に続いて行きながら、イワンは考える。
イワンの中に芽生えた好奇心を越える感情は、もう誤魔化しがきかない所まで来ていた。