オーケストラを観にいこう

#3

遠くからでも目を引く巨大なスクリーンの周りに、人々が色とりどりのレジャーシートを広げている。
飲み物を飲んだり、近くで売っている軽食を摘まみながら談笑したり、睡魔に勝てず眠りについている人も居て、その光景は見ているだけで面白い。

まだ微かに残る茜色の下、僕はちゃんの手を引き人混みの中を歩く。
そして少し開けたスペースを見つけ、立ち止まり、周りを確認する。
他にここを使う予定の人は居なさそうだ。
スクリーンからは少し距離があるが、多分大丈夫。あの大きさだと問題なく楽しめるだろう。
鞄からレジャーシートを取り出すと、ちゃんが待ってましたと言わんばかりに僕が持つのと反対側の辺を素早く取り、広げるのを手伝ってくれた。

「少し遠いけど、いいよね」
「全然!十分でしょ」

早々にスニーカーを脱ぎ捨て、レジャーシートの上にお尻を乗せながら言うちゃんはとても楽しそうだ。
来る途中に買ったお気に入りのサンドイッチ(なんと今日は奇跡的に残っていた!ふたつも!)とフレンチフライを前に並べ、うっとりした表情で眺めるのを見て、僕は靴を履いたまま隣に腰を下ろしながら小さく吹き出した。

「何?」
「いや……ごめん、ちゃんが楽しそうだったから」
「楽しいに決まってるでしょ。イワンが誘ってくれたデートじゃない」
むっと頬を膨らませ、ちゃんは言う。デートという単語を聞いた瞬間、忘れていた羞恥心に近い感情が僕の中に沸いたが、彼女にとっては造作もない出来事なようだった。
「野外シネマって初めてかも」
「僕も」
「わくわくするね」
「楽しそうで良かった」
そう言うと、ちゃんは少し何かを考える素振りを見せた後、レジャーシートに寝そべって

「あーーーー!すっごく楽しい!」

と、突然大声で叫び始めた。
あまりに大きな声だったので、近くに座っていた人たちが「何だ?」と怪訝な顔でこっちを見ていたし、家族連れと一緒に居た小さな犬には吠えられた。
「ちょっ、えっ、何?」
「すっごく楽しいと思ったから」
「いや、それは見ればわかるよ、わかるから」
人の視線を気にして焦る僕に、ちゃんは寝そべったまま悪戯っぽい笑みを向けた。
「私、これからは思った事をちゃんと言うって決めたので」
「はい?」
「イワンと一緒に居て楽しい時は楽しいって言うし、ちょっと今のはつまんなかったなって思ったらつまんないって言う。寂しいって思ったら寂しいって言うし、嫌な事あったときは今の嫌だったよって言う。自分勝手だなって思われてもいい。私が思った事をそのまま伝えるよ」
だって好きだもん。
彼女の宣言を、ただ黙って聞く。
心地の良い風が緑の匂いを運んできて、優しく僕たちの頬を撫でた。
「だからイワンも、思った事ちゃんと言って?」
「……うん」
「約束」
そう言って差し出されたちゃんの小指に、恐る恐る自分の小指を引っ掛ける。ゆびきりげんまん、と呪文のような事を唱え、小さく笑った。
「それではご一緒にどうぞ」
「え?」
「ほら、ここ空いてるよ」
ぽふぽふと自分の隣を叩き、僕に寝そべる様指示を出すちゃんは晴れやかで、相変わらず楽しそうだ。 なんてことだ。
そんな顔でお願いされたなら、従う他ないではないか。
靴を脱ぎ、彼女に倣って空を仰ぐ。
香ばしい、美味しそうな匂いがする。人々の談笑する声が聞こえる。大都会の狭い空を、鳥たちが自由に横切っていく。隣に体温と呼吸を感じる。
一見ちぐはぐにも思えるこれらの風景や匂いや音が、何故こんなに愛おしく、心地よく感じるのだろう。
答えは簡単だった。

「た、楽しいーーーーー!」

顔が熱い。お腹の底から声を出したのなんて何年振りだろうか。寝そべっているおかげで先程ちゃんがやっていたときに感じた視線や声は感じず、ただいつものガムを嚙んだ後の爽快感のような物だけで満たされる。 まずい、癖になりそうだ。
「お、良い感じじゃん」
ちゃんがにいっと笑い、ウインクした。
「ほんと?でもちょっと恥ずかしくない?」
「大丈夫、ふたりでやれば恥ずかしくないよ」
いくよー?
すうーっと息を吸い込む音がする。
それに合わせ、僕も思い切り息を吸い込む。肺一杯になった幸せを噛み締め、息を止める。
高鳴る鼓動がうるさく耳元で鳴る。
そうして僕たちは吐き出すのだ。
ちゃんの「せーの」という合図と共に。嘘なんてない、最高の言葉を、共に。


fin.
title:オーケストラを観にいこう(UNISON SQUARE GARDEN)